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第三話 遊撃部隊の進撃

 米太平洋艦隊がウェーク島近海に到着する頃、聯合艦隊主力もまた海上に居た。言うまでもなく、来寇する米艦隊を砲火をもって熱烈に歓迎する為である。その“歓迎”のための一連の作戦行動を総称して『捷号作戦』といった。


 侵攻してくる米艦隊に対し必然的に受け身となる聯合艦隊は、捷号作戦を米艦隊の来襲地点によって可能性の高い順に捷一号から捷四号までの四つに分けた。

 まず、本命の捷一号。米艦隊がまっすぐフィリピン救援を目指し、最短ルートであるマリアナ諸島に向かってきた場合の作戦である。米太平洋艦隊が平時状態から戦時状態への移行に──具体的にいえば弾薬の定数を平時定数から戦時定数に補給したり、大西洋艦隊からの増援を受け取ったりするのに──かかる時間を考えると、どうしても数ヶ月はかかる。それだけの時間があれば、陸軍はフィリピンを十分に痛めつけることができる。ならば、アメリカがフィリピンを救援するのに時間的猶予はほとんど無い。それがマリアナ諸島での迎撃を第一とした理由である。

 しかし、フィリピン失陥を前提とするならば、あるいはフィリピンのコレヒドール要塞に磐石の自信があるならば、別の地点へ来襲する可能性もある。その一つが、マリアナの前段階としてマーシャル諸島を狙うものだ。これが捷二号作戦である。計画では、敵艦隊が来襲してから救援が到着するまでの間現地部隊は持久に努めることとなっていた。そのマーシャル防衛用の航空機を満載した特設空母部隊が攻撃されたことは記憶に新しい。捷二号作戦の大まかな流れは、遊撃部隊が敵艦隊の偵察・撹乱を行いつつ戦力を拘束し、そこに他の部隊が一斉に殺到するとされていた。

 また、捷四号作戦ではニューブリテン諸島やニューギニアを経由してトラック諸島やパラオ諸島を突くというのに備えている。しかし、作戦根拠地が英国のものを使用せざるをえない点から、帝国海軍はトラックへ陸上部隊を伴う本格的な侵攻があるとは考えていなかった。

 むしろ、帝国海軍はアメリカ海軍がフィリピンに固執しない場合の方を恐れていた。フィリピンを見捨てるとすれば、それを糊塗しうる重要目標を狙う必要がある。そう、日本本土である。捷三号作戦は日本近海での戦闘を念頭に立案された作戦であり、それは文字通り後のない戦いを想定していた。作戦の詳細は省くが、もし実際に行われていれば、陸海軍共に南方や内南洋に戦力を割いている以上かなり厳しい戦いを強いられたであろうことは疑いない。


 さて、このようにして米艦隊の来襲に備えていた聯合艦隊であるが、想定される戦場はあまりに広い。どうするか。いくつかの案が検討されたが、結局以下のように各艦隊の待機地を分散させることになった。

 戦艦を中心とする主力部隊や大型空母を集中した機動部隊、巡洋戦艦を集中した前進部隊、精鋭水雷戦隊と巡洋艦を集めた襲撃部隊などの聯合艦隊の中核となる艦隊は横須賀・呉・佐世保などの日本本土軍港に配置され、偵察情報を待って順に決戦海域へと出撃することとされた。

 また、高速戦艦と空母、一個水雷戦隊で編成された遊撃部隊と航空部隊の半数はトラック諸島に、航空部隊のもう半数と聯合艦隊司令部の座乗する指揮巡洋艦はマリアナ諸島に配置された。

 ある意味で最も重要な、潜水艦を主力とする第六艦隊や飛行艇を装備する横浜航空隊などの偵察に適する部隊は広くハワイ近海から内南洋に展開し、米艦隊の動向を逐一通報すべく網を張っていた。

 上記のように、聯合艦隊は南方資源地帯の守備にごく一部の艦を割いた以外のほぼ全戦力を米艦隊を迎え撃つために投入したのである。

 そして、米太平洋艦隊の出撃から五日後、刻々と伝えられる米艦隊の動きから目標がマリアナ諸島であることを確信した聯合艦隊司令部は、満を持して捷一号作戦を発令した。



 一九四二年三月二八日 昼

 マーシャル諸島西方海域

 遊撃部隊 第三戦隊 戦艦『紀伊』



「ヨシ、外せ!」


 手旗信号がやり取りされ、下士官の号令に従い兵たちが黙々と作業を進める。

 油槽船から渡されたもやい綱に吊るされた蛇腹の油送管がするすると回収されてゆく。


「『たかね丸』離れます!」

「手空き総員帽振れ!」


 もやい綱が外され、横抱きするように並走していた油槽船が徐々に離れてゆく。決戦前の最後の補給が完了したのだ。

 一口に給油といってもことはそう簡単ではない。特に、戦場での洋上給油となれば尚更だ。給油艦と被給油艦が数十メートルの間隔を保って航行する、というのはそう生易しいものではなく、相当な熟練を要する。

 ちなみに洋上給油にはいくつか種類があり、今回『紀伊』に対して実施した横抱き給油の他にも、比較的練度を要しないかわりに低速で行わざるを得ない縦曳き給油も存在する。が、今回は時間が無いのと潜水艦の襲撃を警戒して行っていない。



 戦艦『紀伊』 第三艦橋



「長官、作業完了しました。第二補給戦隊離脱します」

「うむ。陣形を対潜陣へ、進撃を再開する。第一戦速」

「はっ。艦隊全艦へ、対潜警戒航行序列をとれ。艦隊針路、方位〇三〇度。第一戦速となせ」


 長官席に座る三川軍一中将が命令をくだすと、それを航海参謀が具体的な指令として遊撃部隊の各艦へ伝達する。


「しかし、よくここまで着いてきてくれたものです」


 第二補給戦隊に属する『みりい丸』『たかね丸』『あづさ丸』の三隻のTL型油槽船は日本でも数少ない艦隊随伴可能な高速タンカーである。造船能力に劣る本邦にとっては旧式巡洋艦などよりよほど貴重な存在だ。それを、会敵予想海域からわずか数百海里の地点まで伴っていくというあたりに遊撃部隊の任務の重要性が窺える。

 これから先は、駆逐艦の燃料が足りなくなっても、唯一補給専用の重油槽を持つ空母『千早』と航続性能に余裕のある戦艦だけが頼りとなる。


「全くだ。補給戦隊の献身のお蔭で、我々は燃料の心配をせず戦える」

「ええ。これで前回のように燃料切れで敵艦を取り逃がすことはありません」


 先日のトラック沖海戦では、敵艦隊迎撃のためマリアナ近海から全速力で南下したため敵艦隊の撃破には成功したものの追撃は叶わず、少々不満の残る結果となった。


「この戦いでの我々の仕事を考えると、燃料は一滴でも惜しいからな……」


 三川長官が誰ともなしに呟いてからほどなくして、陣形を整えつつある遊撃部隊から補給戦隊が分離・離脱した。機関がへたれて速力の低下した旧式駆逐艦『卯月』『如月』『弥生』を伴い戦場の後方で待機するのだ。


 補給戦隊を分離してしばらくたったとき、索敵隊より定時連絡が入った。各隊から別々に入った情報に基づき、第三艦橋の大机に広げられた地図上の駒が動かされてゆく。地図には何本もの直線や円が書き込まれ、幾何学的な模様を描きだしている。


「どうやら、敵艦隊の先鋒は乙散開線を踏み越えたようですな」

「ああ。しかもご丁寧にど真ん中を突っ切っていらっしゃったぞ」


 地図上の南鳥島とエニウェトク環礁の間に引かれた一本線、その線上には十数隻の潜水艦が潜んでいる。ミッドウェー近海に敷かれた甲散開線が哨戒のみを任務としているのに対して、乙散開線は哨戒のみならず攻撃も任務に含んでいた。

 といっても、攻撃とは万全の敵艦隊をすり減らす漸減作戦のためではない。あくまで、この線を越えた艦隊を帰しはしないという撃滅作戦のためである。

 つまり、この線を越えたその瞬間から米艦隊の運命は決まったようなものということだ。


「いま乙散開線を越えたのはレキシントン級空母を中核とする二個艦隊のようです」

「まあ、やはり露払いだろうな。今からでは陸攻を出す訳にもいかんだろうし、本番は明日だな」


 乙散開線に重なるように何本かの曲線が図上に描かれている。これは、内南洋の一大航空基地であるサイパン、テニアン、トラックからの最大攻撃圏を示す円弧の一部だ。その圏内に入っているのは識別符号“ハ”“ニ”が振られたレキシントン級根幹の部隊のみで、“イ”“ロ”を振られた戦艦部隊とヨークタウン級空母二隻根幹の部隊はギリギリ圏外にいた。


「で、我が方の艦隊は……」

「総旗艦の方から何も言ってこない以上、予定に変更は無いんだろうよ」


 マリアナ諸島はサイパン島沖に停泊する聯合艦隊旗艦『球磨』からの指示は特に無い。旧式化して久しい5500トン級巡洋艦を改装し、武装と引き換えに通信能力と居住区を確保して練習巡洋艦となった三隻の球磨型軽巡。その一隻である一番艦の『球磨』は、今や聯合艦隊司令部を載せている。サイパン島という固定の位置にいるお陰で、無線探知による位置の露見を気にすることなく無線が使えるのだ。

 と、長官席に腰掛けて黙って参謀たちの会話を聞いていた三川長官がおもむろに立ち上がった。


「航海参謀、味方部隊は配置についているのだな?」

「は。主隊、機動部隊、前進部隊、襲撃部隊、全部隊が予定通り配置についております」


 うむ、と長官はうなづき、周りに立つ参謀たちを見渡す。


「では、我が遊撃部隊はどう動くべきかね? 意見のある者は述べてみたまえ」


 そう言って両手を海図台に置く三川長官。他の部隊とは違い、作戦上の都合で遊撃部隊にはある程度の自由裁量が認められているのだ。

 台上の地図には、マリアナ諸島を背に東から迫る敵艦隊群に対して布陣する味方艦隊群と、南方から敵艦隊群の側面を突き上げるように北上する遊撃部隊の位置関係が如実に示されている。

 すると、間髪を入れず砲術参謀が手を挙げて発言した。


「私は今すぐ増速し、遊撃部隊の高速でもって目標“ハ”の針路上に先回りし、夜間の間に敵艦隊の一つを叩いてしまうべきだと考えます」


 彼の主張は、敵艦隊のうち最も南側を進む目標“ハ”を夜戦にて撃滅してしまうことによって敵の目を一つ潰してしまおうという攻撃的なものだった。

 だが、やはりというかなんというか反論が出てくる。


「待て、夜間にそううまく敵艦隊に打撃を与えることができるとは思えん。第一、敵の変針如何によっては空振りになるぞ。やはりこのままの速力を保ち、朝一番の索敵を成功させることに重きをおくべきだ」


 そう反論したのは先任参謀。比較的、常識的な意見を述べることが多い人物だ。何かと砲術参謀と対立することもよく見られる。


「前回は結局うまくいったではありませんか。それに、敵艦隊の目的地が明白な以上──」


 と、彼らは本格的な論戦に突入してゆく。

 それを、遠巻きに眺める人物が居た。


「まったく、あの二人も毎度毎度よく飽きないものだね」


 一人は、いつの間にか長官席におさまっていた三川軍一提督である。


「ええ、ああ見えて千早君は我が強いというか。なあなあで譲歩するということをしない人間ですから」


 もう一人は艦隊参謀長。三川軍一提督が航海畑の人間なのに対して彼は水雷を専門としている。

 なお、彼も含めて遊撃部隊司令部の面々は先日のトラック沖海戦時の第三戦隊司令部の面々がほぼ横滑りした形となっている。これは特異な措置にも見えるが、前回の編成のほうががむしろ特異であっただけで特に不思議なことではない。トラック沖海戦時のWE攻撃部隊自体が、南方作戦であまり出動しなかった部隊を捷号作戦までの間に活用するために寄せ集めて編成されたものだからだ。要するに、南雲(海兵36期)と三川(海兵38期)の期差のせいで一旦格下げのような格好になっていた、という話である。


 と、そこへ従兵が湯飲みを二つ運んできた。

 参謀長がそれを従兵から受け取り、一つを長官に差し出す。


「長官、茶を入れさせました」

「ん、ありがとう」


 そういって茶碗を受け取ると、二人は無言で茶をすする。


 暫し後、湯飲みの底に残った茶葉の澱を見つめながら何事か考え事をしていた参謀長に三川長官が声をかけた。


「ときに参謀長」

「はっ?」


 少し下を向いていた参謀長が頓狂な声をあげる。


「そろそろアレを止めんで良いのかね?」


 長官の視線の先には、いつの間にか先任参謀と砲術参謀の一対一ではなく幕僚の大半が参加した大激論と化した論戦があった。

 簡単に言えば、どちらかといえば慎重な案の先任参謀と非常に積極的な案の砲術参謀との間で戦わされた議論は、航海参謀と航空参謀の二人が先任参謀側につく形で推移していた。様子見を決め込んでいる者はいても、砲術参謀側についた者はいない。

 彼らが砲術参謀の案に反対した理由はそれぞれ、航空参謀が燃料問題、航空参謀が航空機の運用問題であった。航海参謀としては前回のように燃料の残高を気にしながら戦うのは勘弁であったし、航空参謀は空母を伴ったままの夜戦など正気の沙汰とは思えなかったからだ。


「それくらいにしておけ」


 ついに参謀長がわって入った。


「特に先任参謀、まとめ役が進んで議論を過熱させて如何する」

「は、思慮が足りませんでした」


 今まで前のめりになっていた先任参謀が居住まいをただし、他の参謀たちもそれにならった。

 場が静まったのを見計らって三川長官が再び席から立ち上がった。そのまま数歩前に進み出て口を開く。


「諸君の考えは聞かせて貰った。その上で、やはり先任の言うように慎重に行くのが現段階では適切だと判断した」


 そこで一旦言葉を切り、通信参謀に視線を向ける。


「通信参謀、早急に聯合艦隊司令部への報告文を起草するように。先任参謀もだ」

「はっ」


 二人は敬礼して一足先にこの場を後にした。三川長官がそのまま口を閉じたのを見て、参謀長が二三連絡事項を伝えた後解散を宣言する。


「砲術参謀」


 解散後もそのまま憮然として壁際に立っていた砲術参謀に参謀長が声をかけた。


「その積極性は必要なものだ。だが、今ではない」

「は……」

「まあなんだ。道では乙女おとめのように、とこでは……ということだ」


 そこで言葉を切ると、さっさと己の仕事をしろ、と言い残して参謀長は砲術参謀に背をむけた。


 それからしばらくして、戦艦『紀伊』から一機の水偵が射出された。

 その水偵の任務は、現地点から程近いクェゼリンに通信文を届けることだ。遊撃部隊の行動予定が逐一記された暗号文をわざわざ近場の基地まで運ぶのは、遊撃部隊が直接無線を使って位置を特定されることを防ぐためである。

 そうまでして厳重に行動を秘匿した遊撃部隊は、翌日激しい戦闘──おそらくは敵の空襲に対する防空戦闘──に備えつつ速度を保って北へ北へと進撃していった。


 聯合艦隊と米太平洋艦隊の最初の決戦が幕をあけるまで、あと半日に迫っていた。

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