第二話 米太平洋艦隊、来寇
一九四二年三月二七日
米領ウェーク島沖
ハワイ、オアフ島の真珠湾軍港を今月の十二日に出てから早二週間。ハズバンド・キンメル提督指揮の元、米太平洋艦隊は日付変更線を越えて西へと進みウェーク島北方海域へと到達した。この先、マッカーサー将軍が日本陸軍の攻撃に耐え続けるフィリピンまで星条旗の翻る地は無い。
ウェーク島は環礁の上にできた馬蹄形の小島で、アメリカ本土とグアム・フィリピンを結ぶ中継地として重要な島である。このため、ウェーク島には海兵隊の一個大隊と戦闘機の一個隊が配備されていた。しかし、開戦からの数度にわたる空襲と艦砲射撃によりそれなりの痛手を負っていた。
キンメル提督の指揮下にある太平洋艦隊は、大きく四つに分けられる。
低速戦艦を中心とし、キンメル提督が直率する第1任務部隊。レキシントン級空母各一隻を中核とするフレッチャー提督の第14任務部隊とフィッチ提督の第17任務部隊。そして、ヨークタウン級空母と戦艦『ワシントン』を主力とするハルゼー提督指揮下の第16任務部隊。それぞれ、低速戦艦の火力を活かしての決戦、レキシントン級の機動力を活かしての前方偵察、ヨークタウン級空母による制空権確保を現時点での任務とする部隊だ。
これらに加え、物資を満載した輸送船団やグアム奪回の任を帯びた海兵隊の高速輸送艦、艦隊用の補給艦や工作艦などの船脚の遅い部隊も随伴していたが、これらの非戦闘用艦艇は護衛空母や護衛駆逐艦と共にウェーク近海に残される。
この、人類の歴史上最も強大な侵攻部隊がここに存在する理由はただ一つ。聯合艦隊を水上決戦にて討ち滅ぼすためだ。それさえ達成できたならば、その後のグァム奪還やフィリピン救援などは大した困難ではないし、そのまま小癪な島国の海上交通路を締め上げてしまえば戦争も終わりなのだから。
かくして、補給を済ませた四つの任務部隊はTF14とTF17を前衛とし、その後ろからTF1とTF16が続くという位置関係で進撃を開始した。
目指すは日本委任信託統治領マリアナ諸島。西太平洋に浮かぶ戦略上の要衝である。
第16任務部隊 旗艦『エンタープライズ』
先日発生した海戦にて、戦艦三隻と巡洋艦五隻、二名の提督を失うという大敗を喫したTF16はその戦力を大きく減じていた。
主力の空母『エンタープライズ』『ヨークタウン』は船体こそ無事であったが搭載機を消耗し、その穴を練度の低い搭乗員でうめざるを得なかったし、三つあった巡洋艦戦隊はスプルーアンス提督の一隊しか残っていない。ただ一隻残った戦艦『ワシントン』も、リー提督が負傷により入院して要員もほとんど死傷し、司令部も解散してしまったためそのままハルゼー提督の直率艦となっている。
「ったく、あの艦なんか憑いてるんじゃあねぇか?」
「止めてください長官、縁起でもない」
旗艦の左前方を進む『ワシントン』を眺めながらハルゼー提督とブローニング参謀長が不穏な会話を繰り広げる。
艦橋の空気は張りつめてはいない。放たれた偵察機が何も見つけない内から緊張していては肝心な時に全力を発揮できないからだ。
「唯一無事だった、あの戦闘中ずっと艦の指揮を取り続けた士官もカリブ海でゲテモノ艦の艦長にまわされたとかなんとか」
「ああ、アレか。しかし、あの艦は一体何なんだろうな?」
「何、と言いましても……ポート・ロイヤル級偵察巡洋艦です、としか」
「そういう意味ではなくてだな──」
その時、ハルゼーの言葉を遮るように緊急警報が艦橋に舞い込んできた。
「警報、敵四発飛行艇接近! 方位190、高度13000ft!」
「CAP(直援機)が迎撃に移りました……糞ッ! 下手くそめ!」
見ると、数機のワイルドキャットが九七式飛行艇を追い回している。しかし、さかんに機銃を撃ちかけているものの飛行艇は一向に墜ちる気配を見せない。
飛行艇はその図体のわりに運動性は良好のようで、青色の艦戦から放たれる火箭をひらりひらりとかわしながら反撃を加えている。
「……ありゃあ打たれたかな?」
「間違いなく無線発信されたかと」
ようやく飛行艇はエンジンの一つから火を吹き始め、あっという間にその火が翼全体に燃え広がると錐揉みになって海面へ急降下していった。敵機撃墜に歓声があがったものの、通信室から敵の無電を傍受したとの連絡が入る。これで、艦隊の位置と概要は知られてしまったとみてよいだろう。
「さぁて、忙しくなるぞ……」
ハルゼーは、警戒を更に厳重にするよう命じた。海軍上層部は必ずしもそうとは考えていないようだが、彼は前回の経験から日本海軍が非常に危険な存在であることを知っていたからだ。とはいえ、だからといってフィリピンを見捨てることはできない以上進む他はない。どのみち、こんな大艦隊が見つからずに済む訳はないし、日本海軍が見逃すはずもないのだ。
しかし、彼の心配は杞憂に終わる。──今しばらくの間に限っては、であるが。
一九四二年三月二八日 薄暮
第14任務部隊 旗艦『サラトガ』
大分傾いた太陽が海面を橙色に染める中、米太平洋艦隊はウェーク島からマリアナ諸島に至る道程の半分と少しを消化していた。
TF14は、今ちょうど偵察任務のドーントレス艦爆と直掩機のワイルドキャット艦戦を収容し終わって陣形を整えたところだ。『サラトガ』の甲板にはまだ飛行機がところ狭しと並んでいる。
「艦隊の現在の位置は?」
飛行甲板の脇にそびえ立つ大型の艦橋。その内部にある海図台に向かう航海参謀にフレッチャー提督が問いかけた。
普段は温和で人当たりの良い笑顔の素敵な紳士である提督も、会敵が近いとあっては表情を固くしている。
「おおよそ、ウェークから700mi(1120km)、マーカス島(南鳥島)及びエニウェトク環礁から300mi(480km)です」
すぐさま返答が帰ってくる。航海参謀が答えた数値はTF14のもので、実際はTF17(フィッチ提督指揮)とは80km、TF1(キンメル提督直率)とTF16(ハルゼー提督指揮)とは100km程度離れているのだが、時間にするとせいぜい二時間程度であるので問題はない。
「となると、やはり翌朝が山か。艦長、配置は良いか?」
「問題ありません」
艦長が言葉少なに答えを帰す。
既に、哨戒中の潜水艦『ドラム』がサイパン島近海を遊弋する大規模な艦隊の存在を通報してきていた。
続報によれば、その艦隊は『長門』『陸奥』を中核とする水上打撃部隊であり、間違いなく主力部隊であると判断されていた。また、単発機の攻撃を受けたことから正規空母四隻を主力とする機動部隊も付近に居ると推定された。
「このまま行けば会敵は翌日の昼頃でしょうね」
「ああ。まずセオリー通り制空権の取り合いになるだろう」
この頃の米海軍は、自軍艦載機の制空権下においての砲撃戦を念頭に兵力を整備していた。当然、キンメル提督もそう考えていたし、実際三つの空母を中核とする任務部隊に与えられた任務は偵察及び制空権の確保であった。
と、時計を見ていた幕僚の一人が提督に近寄っていく。
「提督、時間です」
「わかった。艦隊変針、東南東へ」
「了解。艦隊各艦へ、本艦を基準とし、方位240に針路をとれ」
命令が各艦へ伝達され、空母『サラトガ』を中心に護衛の巡洋艦と駆逐艦が白い航跡を曳いて一斉に回頭していく。
元巡洋戦艦の長大な艦体が身をよじるようにして向きを変えるのを感じながら、フレッチャー提督が幕僚の一人をつかまえて問う。
「TF17との合同はいつ頃になりそうか?」
「は、このまま行けば合同点への到達は打ち合わせ通り日の出頃となります」
そこへ飛行長が慌てたように割ってはいった。
「おいおいちょっと待てよ。日の出頃となったら索敵隊の発進時刻と重なるじゃないか。そんなに早くとは聞いてないぞ」
「大丈夫だ。合同点に到達するのがその時間というだけで、実際に合同するのは索敵を出した後になる予定になっている」
先程から合同合同と言っているのは、つまりはこういうことである。
この時点まで、TF14とTF17の両艦隊は個別に索敵隊を出していた。これは、偵察の行き届く範囲を少しでも広げるためである。しかし、いよいよ翌日には敵機の攻撃圏内に踏み込むであろうという段になると、各々空母一隻づつというのはいささか不安である。そこで、今まで別々に索敵していたTF14とTF17の両艦隊を互いに支援できる距離まで接近させることが事前に決まっていたのだ。
ちなみに、合流とは言わずに合同と言っているのは陣形をばらして一つの艦隊となる訳ではなく、あくまで二つの艦隊が相互支援するという形をとるからである。
「まあ、レディ・レックスとシスター・サラが一緒に動くとなればジャップの機動艦隊など怖くはありませんな」
幕僚の一人が両艦の愛称を交えて言う。
この当時、米海軍は日本空母の実力に対してかなりの過少評価をしていた。搭載機数、艦上機の性能、母艦の隻数、乗員の能力等々全てにおいてである。理由の一つにはもちろん人種的偏見もあったが、日本海軍が条約の都合や戦力の隠匿を目的として行っていた欺瞞情報に騙されていたというのも大きい。
しかし、いくら『レキシントン』『サラトガ』が強力な母艦とはいえ、日本機動艦隊が怖くないとは剛毅なものだといえよう。そして、フレッチャー提督はどちらかというと慎重な人物だった。
「君、油断は禁物だよ。飛行長、くれぐれも朝一番の索敵は成功させてくれよ」
「勿論、索敵隊は技量優秀な者を優先して選抜しましたのでご心配には及びません」
念を入れて確認する心配性のフレッチャー提督を安心させるように航空隊の運用責任者である飛行長が答える。飛行長も、日本人の目は飛行士に向かない等という根拠の無い与太話を信じてはいなかったが、逆に獣のような一時の凶暴性を除いて日本人がアメリカ人に優越することなど無いと考える程度には平均的なアメリカ人であった。
「必ずや我が航空隊は任務を果たすでしょう」
「期待しているよ」
そう言って頷くと、フレッチャー提督は艦隊各艦に燃料を補給するよう命じて席をたった。
そしてTF17所属艦は、日没後すぐ随伴する高速タンカーから給油を受けると速度をあげて進撃を再開する。この先に待ち受けている運命を、彼らはまだ知るよしもないのであった。