第九話 終演近づく
WE部隊 第三戦隊付属 駆逐艦『秋月』
「水雷長、あと何分だ!?」
「あと二分!」
見張員を押し退けて双眼望遠鏡に取り付いた見張長が遠ざかりゆく米新型戦艦を追いつつ尋ね、ストップウォッチをまるでそうすれば早く針が進むと言わんばかりに睨み付けつつ水雷長が答える。先程の魚雷発射からこちら、何度も繰り返されている光景だ。
「そのまま……よぉしそのままだ……」
緩慢に主砲を撃ちつつ直進を続けていると思われる敵艦をの方を見つめながらうわごとのように呟く見張長。無理もない、このまま行けば『秋月』は単艦で戦艦を屠った駆逐艦となるのだ。感状どころか殊勲すらあり得る前代未聞の武勲と期待膨らむのも無理はない。
そして──
「まもなく──」
水雷長が何か言いかけたその時。視界ギリギリに水柱が立ちのぼったように見えた。
「いったか!?」
「聴音より艦橋! 爆発音、感三!」
「三本命中! 魚雷三本命中!」
「万歳ッ!!」
「ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!!」
駆逐艦全体に歓声が巻き起こり、数秒遅れて聞こえてきた轟音を背景に皆配置を放り出して万歳を叫ぶ。この喧騒に加わっていないのは穴蔵でタービンの面倒を見ている機関科員ぐらいかと思われたほどである。
しばらく経って、喧騒が静まったところで艦長が高揚した表情で命令を下した。
「よし、敵新型戦艦を撃沈。時間と場所もきちんと記録しておけよ。……では本艦はこれより味方と合流する」
「艦長、前方左寄りに味方艦隊。最上型と損傷した重巡あり」
「宜しい、ではとりあえずそれと合流する。識別信号用意!」
意気揚々とその場を後にする『秋月』。しかし、その喜びは長続きしなかった。
TF16.2 戦艦『ワシントン』
魚雷が炸裂して出来た水柱が崩れさるのを、艦橋の面々はただ呆気にとられて眺めるのみであった。爆発による艦の揺れがおさまったころ、呆けたような声で舵輪を握っている操舵員が呟いた。
「……早爆、ですか?」
「どうやら、な。あ、舵戻せ。……どうも艦首波に突っ込んだ時に爆発したように見えたからな」
さすがに肝が冷えたと見えて胸元で十字を切りつつ首席参謀が答える。そのまま命中していれば大破戦闘不能に追い込まれた筈の魚雷は、哀れにもあと少しのところで信管を起動させ、無駄に水柱をあげただけであったのだ。
また主砲が火を吹き、14in砲弾を吐き出す。
「主砲は無事のようだな。……しかし早爆か。実弾訓練をケチるのはどこも一緒というわけか」
「え、どういう意味です?」
放心状態からようやく復帰した士官が問いかける。
「文字通りの意味だよ。真珠港の盛り場で潜水艦微章持ちがくだ巻いてたから絡んでみたらだね、確実に当てた筈の魚雷が起爆しないことが何度もあったというんだ。詳しく聞いたら、なんでも予算不足で実弾撃ったことがないらしい」
まあ魚雷一本で家が建つというしね、と続ける。
「ただ、苦労して射点についたのに不発ではな。艦の値段は家どころの騒ぎではないと喚いていたよ」
その時、魚雷の接近も先程の水柱も関係無いと言わんばかりに主砲目標を注視していた見張員が叫び声をあげる。
「敵巡洋艦に命中弾! タカオクラス後部に一発命中!」
その声に筒先の指す方を見る一同。確かに火災を起こした艦が一隻見え、その手前には二隻の巡洋艦が盛んに発砲している。スミス提督の『アストリア』『ポートランド』だろう。
相次いで舞い込む幸運に腕を振り上げて喜ぶものもいる。
「よし! 魚雷は早爆だし弾はあたるし、ようやく我々にもツキが回ってきたようですね首席参謀!」
「……たまたま調子悪いのが三本来ただけだし、そもそも砲撃も所詮確率なの──」
「『アストリア』被雷! あッ! 『ポートランド』も被雷!」
言い終わるか終わらないかのうちに凶報が舞い込み、今まで元気に砲撃を続けていた二艦を水柱が覆い、直後に一隻が大爆発をおこす。
「ポ、『ポートランド』爆沈!」
「『アストリア』より無電受信! 途切れ途切れですが退避せよと言っている模様。さらに複数回“invisible”という単語を確認!」
“invisible”──見えない、不可視の、という単語。それの意味するところは一つである。但し、それをゆっくり考えている暇は与えられなかった。
「駆逐艦『ハンマン』より緊急電! 巡洋艦二からなる新たな敵艦隊を確認、両方とも──ここで途切れました」
「糞ッ! 主は我々に死ねとおっしゃるのか!?」
スミス提督の指揮下にあった駆逐艦の断末魔に、精神の均衡を崩し始めるものまで現れた。しかし、神を罵ったところで状況は変わらず、すり減った神経に追い討ちをかけるようにもう一つ特大の悲報が舞い込んでくることとなる。
「戦艦『インディアナ』より入電! ……読みます。我、戦艦、巡洋艦複数の挟撃を受く。合衆国に栄光あれ。……以上です」
沈痛な声音で読み上げられたのは、『インディアナ』からの決別電だった。大破し速力の出ないかの艦にとって戦艦巡洋艦複数と交戦し逃げ切れる望みはほとんど無い。
さらに、今まで発見した艦を単純に足し合わせると戦艦が五ないし六、巡洋艦が十程度となる。これの数は日本海軍艦艇の半数にあたり、聯合艦隊の全力による待ち伏せという最悪の可能性が彼らの中で俄に現実味を帯びてきた。
「首席参謀、撤退しましょう! もう無理です!!」
「やっぱり待ち伏せされていたのか!? そうなんですか?」
恐慌状態一歩手前の面々を前に、それを見て逆に平常心を取り戻した首席参謀が声をあげる。
「とりあえず少し落ち着け。上に立つ者がそんなにあわててどうする。何のために海軍兵学校を出たんだ」
そう言って皆を落ち着かせた後、矢継ぎ早に指示を出す。
「砲術へ、主砲撃ち方やめ。別命あるまで主砲両用砲共に待機。第三砲塔は旋回不能だったかと思うが仰角はかけられる筈。すぐに最大射程で星弾撃てるようにしておいてくれ」
「了解!」
「航海士、確か海図に離脱時の航路が記入してあったから、それに添って新航路を策定するように」
「は、しかし、事前に決めていた航路で大丈夫なのでしょうか……」
「そこは半ば賭けだが時間がない。それに、一応考えがある」
「了解しました」
「それと機関長へ伝令、無理のある機関出力を命じることになるがなんとか持たせて欲しい、と」
「はっ」
水兵が敬礼して艦橋から姿を消すと、先程航路設定を命じられた若い航海士がもう戻ってきて報告した。
「航路出ました。現在位置はほぼ帰投航路上なのでこのまま方位030にとれば──」
「わかった、ご苦労。操舵、新針路030、北北東に舵を切れ!」
「了解、面舵一杯」
こうして、戦艦『ワシントン』はこの惨劇の海域から単艦で離脱を開始した。
WE攻撃部隊 旗艦『愛宕』
南雲忠一中将の座乗する『愛宕』と水雷戦隊旗艦の『音無瀬』は、重油や木片の漂う海に停止していた。あたりに他の艦、駆逐艦の一隻もいないのは奇妙であった。
「長官、溺者収容完了しました。機関再始動します」
「うむ、一刻も早く吐かせるように。特に艦隊編成をな」
「了解、前進いっぱい!」
重巡『愛宕』の艦橋に佇む南雲長官に艦長が報告している。
『愛宕』と『音無瀬』は索敵行動中、損傷し退避する敵戦艦を発見。同じく付近を間隔をあけて哨戒していた三川軍一中将麾下の紀伊型戦艦に支援させて雷撃を敢行、これを撃沈し、漂流者を捕虜としている最中なのだ。
長官が特に艦隊編成にこだわったのは、一隻たりともトラック環礁に近付ける訳には行かないという意識の現れである。捕虜扱いに関する条約? なんですかそれは。
そこへ、先任参謀が報告に来た。
「長官、各隊からの定時連絡が入りました」
「うむ、読み上げろ」
「は、では」
参謀曰く、艦隊全体で戦艦三、巡洋艦五、駆逐艦八を撃沈。我が方の損害は駆逐艦『夕霧』『漣』『暁』が沈没、『摩耶』が中破のみ。とのことであった。さらに、第六艦隊の伊17潜が単艦で炎上しながら直進する敵戦艦を撃沈したと入電したとも告げた。
「しかし、栗田少将麾下の第七戦隊第一小隊からの連絡がありません」
第二小隊の『三隈』『最上』は『摩耶』と合同したようですが、と続ける。
「全くしょうのない奴だな。艦隊集合命令を出せ。……しかし、どうやら敵艦隊の殲滅には成功したようだな?」
「はい、空母の護衛に巡洋艦を一部残したとすれば事前の航空偵察の結果と数が合いますから」
とはいえ、巡洋艦に突っ込んでこられるとなかなか打つ手がないのですが、と先任参謀。
そこへ、深刻な表情をした航海参謀が現れた。
「艦隊各艦の燃料残量出ました。全艦危険な水準にあり、早急に補給が必要です」
特に駆逐艦は給油しなければ戦闘に耐えない状況です。燃料が尽きていた六駆の『響』『雷』『電』は三戦隊の紀伊型から分配させていますが、三戦隊とて余裕がある訳ではないので。と紙片を見ながら報告した。
「ふむ、となると追撃は不可能なのだな?」
「はい。最も余裕のある本艦や三戦隊でさえ一会戦できるかどうか……。駆逐艦は夜明け頃到着する『千早』から一旦給油させてギリギリ、その後明日到着する油槽船から各艦に給油しなければ戦闘は不可能です」
そう言って航海参謀が渋面を作り頷く。仕方がなかったとはいえ、マリアナ諸島付近から全力で飛ばしてきたツケが回ってきたのだ。
今話題の俎上にのぼった航空母艦『千早』は、元々水上機母艦兼高速補給艦として建造中であったものを途中で空母へと改装した艦であり、燃料消費を抑えるための巡航ディーゼルや補給用の重油タンクと大容量ポンプをオミットせずに残してあるので駆逐隊への給油程度なら十分こなせる性能を持っている。この艦を擁する七航戦が到着すれば一息つけるはずだ。
「とはいえ、驚くほど少ない損害でトラック防衛に成功したのですから──」
「大変です長官!!」
そこへ、通信参謀が血相を変えて走り込んできた。
「何事か?」
「『熊野』栗田少将より緊急電! 『敵戦艦見ユ』です!」
「な、なんだと!?」
重巡『熊野』『鈴谷』からなる第七戦隊第一小隊が、“五隻目”の戦艦を発見したとの緊急電を発してきたのだ。
「長官、如何しましょう?」
「……うむ、そうだな……」
何かいいかけた南雲長官の元に、更に通信員が駆け寄ってきた。
「『熊野』より続報!」
つづく