プロローグ 第二次ロンドン海軍軍縮条約
この作品は、史実をモチーフとしておりますが、実在する人物・団体・組織とは何ら関係ありません
一九三六年、第二次ロンドン海軍軍縮条約が日・米・英・仏の間で締結された。
当初は日本が条約から脱退するのではないかとの下馬評だった(事実、条約脱退を見越した建艦計画が立案されていた)が、大方の予想に反して日本は条約を締結するという決定をくだした。
この為、制限緩和条項、通称エスカレーター条項は発動されず、戦艦の主砲は14inに制限されたままとなった。
この影響により、日本国内は海軍を中心に上へ下への大混乱となったことは改めて述べる間でもないだろうが、なかでも直接的な影響を受けたのは第三次海軍軍備補充計画、通称マル3計画であろう。マル3で計画されていた、16in(一説には18in)砲を主砲とする第一号型戦艦や拡大蒼龍型の第三号型航空母艦は白紙に戻され、条項型の紀伊型高速戦艦や戦時に空母へ改装することを前提とした水上機母艦の建造と、基地航空隊の大幅拡充がとって代わった。
軍縮条約の締結により、一時的に列強間の緊張は緩和された。しかし一九三九年、ついにナチスドイツが英仏の同盟国ポーランドに対し最後通帳を突きつけると、英仏はドイツへ宣戦布告、第二次世界大戦が勃発した。これに伴い、英仏は相次いで条約を破棄。日米もこれに続き、二年後の1941年末には無条約時代を迎えることとなった。
一方、極東でも巨大市場中国を巡る日米の対立は深まるばかりで妥協点を見いだすことは叶わず、北部仏印進駐、日米通商条約の破棄、南部仏印進駐、石油・屑鉄の禁輸と状況は悪化する一方であった。
そして、中国大陸全土からの完全撤退要求、通称ハルノートをもって破局を迎え、一九四一年十二月八日、日本は米英蘭へと宣戦を布告。第二次世界大戦は名実共に世界大戦となった。
太平洋の両雄が、太平洋で激突する。