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はじまりは行き倒れ

「メイドが落ちてる……」

 街へ買い出しに行こうと屋敷の門を出たレオニールの目に飛び込んできたのはメイド服を着た女の子だった。

 すぐそばに小さなバッグが落ちている。

 歩いている途中で倒れてしまったのだろう。

 レオニールは高級そうな服が汚れるのも気にせず、膝をつき彼女の口元に耳を近づけた。

 かすかな呼吸音とともにレオニールの耳に息がかかる。

 彼は軽々と小さな体を抱え上げ、門の中へと戻っていった。


 王都の外れにある森の奥にひっそりと佇む屋敷。

 街の人はもちろん世界中で知らない人はいない。

 だが、訪れる人はほとんどいない。


 メイド服を着た女の子が目を覚ます。

 黒髪ショートカットの下にある黒い瞳がめまぐるしく動く。

 ぼやけていた視界に浮かび上がったのは、彼女が見たこともない豪華な装飾がされている天井だった。

 (あれはドラゴン……?)

 向かい合うように剣や杖を手にした4人の勇者が描かれている。

 (あたし、どうしたんだろう)

 心配そうに彼女を覗き込むレオニールと目が合う。

 美しい銀の髪に涼しげな笑顔、濃いブルーの瞳に吸い込まれそうだ。

「あの、わたし……」

「覚えてないかな、うちの前で行き倒れていたんだよ」

 女の子が慌てて飛び起きるとペコペコと頭を下げる。

「ええっ!? し、失礼しました!」

「俺はこの屋敷の主、レオニール・アイザック」

「あたしはミアです」

「回復魔法をかけておいたから大丈夫だと思うけど、気分はどう?」

 彼女に代わってお腹が全力で空腹を伝える。

 両手でスカートをぎゅっと握りながら、顔を真っ赤にしてうつむく。


 小さなメイドは大広間にある大きなテーブルの上座でかしこまっていた。

「急ぎだったから、こんなものしか用意できなくて」

 目の前には宮廷晩餐会を思わせる豪華な料理の数々だった。

「あ、あの、これは……」

「遠慮なく食べて」

 彼女の前に置かれたグラスにレオニールが水を注ぐ。

「お口に合わないかな、苦手なものでもある?」

「いえ、メイドがご主人さまに給仕していただくなんて……、普通逆だと思うんです」

 レオニールは少し首をかしげた。

「そういうものかな」

「そういうものです!」

「行き倒れの女の子を助けただけだよ」

「ですが……」

 美味しそうな香りに、ミアのお腹が再び悲鳴を上げる。

「本当にいただいてよろしいのでしょうか」

「君のために作った料理だよ」

「ありがとうございます! いただきます!」

 レオニールは静かにうなずいた。

 ミアがちょうどいい大きさにカットされたグリフォンのステーキを頬張る。

 味付けは甘辛く、歯で噛み切れるくらい軟らかかった。噛むたびに肉汁が溢れてくる。

 空腹の胃の隅々まで深く染み込んでいく。

(はぁああああ、しあわせ……)

 自然と笑みがこぼれる。

「美味しい?」

「はい、とっても!」

「それはよかった」

 どのお皿にも幸せが乗っている。

 ミアにはそう思えた。

「こんなに美味しいお料理をご用意ただいて、厨房のみなさんにもお礼が言いたいです」

「そんなこと気にしなくていいよ」

「ですが……」

「厨房はおろかうちには俺の他に誰もいないんだ」

「えっ!? それじゃ、このお料理は……」

「俺が作った」

「おひとりで……? これだけのメニューを……? こんなに美味しく……?」

「作り過ぎたと思ったけど、ちょうどよかったみたいだね」

「あっ……」

 テーブルの上の皿はほとんどが空になっていた。

「すみません。美味しくて、つい……」

 レオニールが女の子の向かい側の椅子に座る。

「落ち着いたところで聞かせてくれるかな、なぜうちの前に倒れていたのか」

 ミアは手にしていたナイフとフォークを置いた。

「前のお屋敷をクビになって新しく雇ってくれるところを探していたんですけど、なかなか見つからなくて」

 

 数時間前―ー。

 ミアが両手で鞄をかかえて市場を歩いていた。

 王都の中央にある大通りに面したこの市場は、毎日の食材はもちろん他国の商人がもたらした珍しい食材、厨房や掃除で使う生活道具から装飾品まであらゆるものが並び、多くの人で賑わっている。

 ミアが野菜を売っている屋台の前を通りかかった時、お店のおじさんの声が耳に入った。

「今日は遅いなあ」

「何がだい」

 隣で果物を売っているおばさんが品出しをしながら応じる。

「いつもなら来ている時間だよな」

「ああ、お屋敷の主が買い物に来ることはないんだ」

「使用人がひとりもいないって話だぞ」

 使用人がいない……!?

 それなら雇ってもらえるかもしれない。

「すみません! そのお屋敷ってどこにあるんですか」

 おじさんとおばさんは驚いて顔を見合わせた。

「結構遠いよ」

「かまいません! 足には自信があります!」

 ミアは森を目指して歩き出した。

 街を離れるとすれ違う人の姿もなくなり、途中何度も不安になりながら教えられた道を進む。

「お屋敷が見えた時は嬉しくて、駆け出していました」

 大きな門の前に辿り着いたところで空腹が限界を迎えた。

 ミアは力尽きて崩れ落ちた。


 レオニールは親指とひとさし指を顎に当てながら話を聞いていた。

「それは大変だったね」

「お屋敷を出てからずっと何も食べてなくて」

 ミアが申し訳なさそうに頭を下げる。

「他に食べたいものあるかな」

「だ、大丈夫です! もう十分いただきました」

 ミアは両手で精一杯満腹をアピールした。

「今日は筆が乗っていて、いつもより出かけるのが遅くなってしまったけど、おかげで行き違いにならなくて済んだみたいだ」

「本当にご迷惑をおかけしました」

「ミアと言ったね、いい仕事をするには体調管理も大切だよ」

「はい……、前のお屋敷でも先輩に〝あなたには向いてない〟って言われました」

「向いているかどうかは大切だけど、好きかどうかの方が大事だと思うな」

 ミアはスカートの裾をぎゅっと掴んだ。

「そんなことはじめて言われました。あたしメイドを続けてもいいんですか」

「君は続けたい?」

「はい、あたし誰かのお役に立ちたいんです」

「立派な心がけだ」

「そんな……」

「よかったら、うちで働くかい?」

「えっ……!?」

「あ、でも他に使用人がいないから、大変かもしれないな」

 予想していなかった言葉に理解が追いつかない。

「すぐに決めなくても。今夜はうちに泊まっていくといい」

「そこまでご迷惑をおかけするわけには……」

「でも、これから街に戻るなら夜の森を歩くことになるよ」

 大広間の盛大な灯りで気がつかなかったが、窓の外は夕日に染まっていた。


「ここを使ってくれるかな」

 ミアが案内されたのは先ほどまで休ませてもらっていた部屋だった。

 前のお屋敷でお嬢様が使っていた部屋と同じくらいの広さだろうか。

「あの、こんなに大きなお部屋でなくても、天井裏の物置とか」

「ふむ、長いこと使っていないから埃っぽいね」

 レオニールは窓を開け放った。

「あ、あの、あたしお掃除をしますね」

「大丈夫だよ」

 レオニールは何やら呪文を唱えた。

 ミアの全身を心地よい風が包むと窓に向かって吹き抜けていく。

「お水を汲んできます! 床のモップがけを!」

 レオニールは胸元から青い大きな宝石が付いたブローチを取り外すと詠唱を始めた。

 宝石が青く輝くと、尻尾の長い小動物に姿を変えた。

「カーバンクル、頼んだよ」

 青い光を放ちながらカーバンクルが駆け回ると、まるでモップがけをしたように床がキレイになっていく。

「あたし、何をすれば……」

「あ、ごめん、気づかないで。ちょっと待ってて」

「お掃除道具ならお持ちします」

「すぐ戻るよ」

 レオニールは素早く部屋を出ていってしまった。

 カーバンクルはどんどん床を磨き上げていく。

 しばらくするとティーポットとカップをトレイに乗せ、レオニールが戻って来た。

「あの、それは……?」

「そこに座って」

 ミアは部屋のソファに浅く腰掛けた。

 レオニールはティーポットを手にすると白いカップにお茶を注いだ。

 甘い香りとともにミアの前にカップが置かれる。

「掃除が終わるまで、これでも飲んでいて」

「あの、これもメイドの仕事だと思うんですが……」

「好きな茶葉が手に入ってね。ちょうど飲みたいと思ったんだ」

 レオニールは自分のカップでお茶の香りを楽しむと静かに口をつけた。

 甘い香りに誘われて、ミアも口をつける。

(はぁああああ、なんて美味しいの……)

 カップが空になるとレオニールはおかわりを注いでくれた。

「気に入ってくれたみたいだね」

「とっても美味しいんです」

「よかった」

「主にお茶を淹れてもらうメイドなんて聞いたことありません」

 いつの間にか部屋の床はキレイになり、埃ひとつなくなっていた。


 ミアはベッドに入ってからなかなか寝付けずにいた。

 使用人がひとりもいないこのお屋敷は、大広間も廊下も隅々まで掃除が行き届いている。

 食卓には宮廷晩餐会にも負けない料理が並ぶ。

 しかもお茶も完璧。

 ここには使用人がいないんじゃない必要ないんだ。

 メイドとして働くことを勧められたけど、あたしに何ができるだろう。

 あたしなんかが、あの方のお役に立てるだろうか……。

 ミアは頭まで布団を被った。


 レオニールは自室の窓から月を眺めていた。

 同じことを繰り替えしてばかりの毎日と比べ、今日の出来事に思いを馳せる。

(主にお茶を淹れてもらうメイドなんて聞いたことありません)

 前にも同じようなことを言われた。


(おまえに守られてばかりで、俺は前衛の役目を果たしていない――)

(わたしの回復魔法が遅れたばかりに、あなたを危険にさらした――)

(俺の判断ミスで、パーティーは全滅していたかもしれない――)


 旅の仲間はみんな俺のもとを去っていった。

 気がついた時はひとりになっていた。

 魔王との対決もひとり。

 長く激しい戦いの果てに掴んだ勝利だったが、喜びを分かち合える仲間はいなかった。

「皆ともっと旅がしたかった……」


 レオニールが目を覚ました時、部屋はすっかり明るくなっていた。

 妙な胸騒ぎがした。

 ベッドから起きると彼の足は昨夜彼女を泊めた部屋に向かっていた。

 ノックしたが反応がない。

 ノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開ける。

 ベッドのシーツはシワひとつなく整えられていた。

 小さなメイドの姿はどこにもなかった。


 いつもの朝と何も変わっていない。

 だが、この喪失感はなんだろう。

 ふとレオニールは厨房のドアが開いていることに気づいた。

 確か、昨夜閉めたはずだが――。

 逸る気持ちを抑えてドアを開けると、盛大に木の皿が石畳の床に落ちる音が響いた。

 忙しそうに動き回るミアが振り返る。

「あ! おはようございます!」

「あの、これは……」

「朝ご飯もうすぐできますから、広間でお待ちください」

 彼女の笑顔を見て、レオニールは胸が温かくなるのを感じた。

 厨房ってこんなに明るかっただろうか。

「きゃあああっ!」

 鍋が今にも噴きこぼれそうになっていた。

 フライパンからは黒い煙があがる。

 ミアはなんとか火を消すことができたが、作りかけの料理は無事ではないようだ。

 レオニールは手伝おうとして手を止める。

 自分で作った方が早く美味しくできあがるだろう。

 でも、それは違うような気がした。

「お願いするね、ミア」

「はい、ご主人さま」

「僕のことはレオでいいよ」

「はい、レオさま」

 その日、レオニールはいつもより遅い時間に朝食をとることになった。

 ミアは何度も止めたが、彼はすべての料理を完食したのだった。

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