闇の魔力の恐ろしさを知るがよい!
ジーク王子の様子がおかしい。
婚約前の顔合わせということで、ジーク第7王子を招いた晩餐会、主賓は当然ジーク王子だが、主役は婚約相手(予定)の私、カトリアーナである。私は、ジーク王子の隣に設えられた席に腰掛け、お抱えの料理人が腕を振るった逸品に舌鼓を打ちながら、王子と他愛のない会話を交わしている。しかし、ジーク王子は話していても気もそぞろ、明らかに私のことなど眼中に入っていない。
本来なら現段階でジーク王子はすでに、闇の魔力のひとつである『魅了』スキルの効果によって、完全に私に魅入られているはずだ。そしてこの晩餐会のあと、二人は「闇の契り」を結ぶ。『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期侯爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』のジーク王子が回想シーンで語る、事件の根本に関わる重要イベントだ。……だけど、「闇の契り」ってなんだかイヤラしい響きあるわよね。実際、ゲームの全年齢版ではカットされてるんだけど、公式アンソロジー~ジーク編~(1320円・税込)にはその「闇の契り」の詳細がメインライター執筆の書き下ろし小説として収録されていて、初めて読んだ時は濃密で濃厚かつ執拗な描写に鼻から鮮血が噴出したわ。そんなイヤラしくてイカガワしいイベントに、今夜わたしが……だったはずなのだが、どうもそんな雰囲気ではない。
先ほどの、カトリアーナとジークの最初の顔合わせ。あの時カトリアーナの闇の魔力が発動し、ジークの心を取り込んだ……いや、取り込もうとしたはずだった。そこまではゲームと同じだ。しかし、ジークの心がカトリアーナの瞳のもつ”闇の魔力”に呑まれようとしたそのとき、カストル兄様が部屋に入ってきた。これは全く予期していなかった。ゲーム中にも解説本にも原作小説にも、そんなシーンは無かったはずだ。そして、私とジークが2人して、カストル兄様を見つめているうちに、闇の魔力発動イベントは終わった——その場に気まずい雰囲気だけを残して。正直、その後は、場を取り繕うのに大変だった。カトリアーナがジーク王子に言ったことは失礼どころか無礼極まりないし、カトリアーナの身体が勝手に喋った、私の真意ではない、と言ったところで信じてもらえるわけがない。カストル兄様が口添えしてくれないと、本当にヤバかった。とは言え、カトリアーナの闇の魔力が発動した時点から、カストル兄様が部屋に入ってくるまでのことについては、ジークの記憶には一切残っていないようであり、その点だけは不幸中の幸いだった。私が闇の魔力をあやつるということがバレたらそれこそ一大事だ……と言っても、私自身が自分の意思で闇の魔力を使うことはできないのだが。カトリアーナの闇の魔力が発動するのは、その多くがゲーム内での重要イベントであり、その時、私の身体は決まって、私の思うままにならなくなる。ちょうど先ほどのように。
闇の魔力発動イベントの後の流れも、どうもゲームとは違っている。ゲームでは、カトリアーナとその闇に魅入られたジーク王子は、晩餐中から周囲の目も憚らず淫靡に密着し、ロブスターのムースを口移しにしたり、カトリアーナの肌に垂らした冷製のヴィネグレットソースをジークが舌を這わせて舐め回したり、テカテカの極太ソーセージを(以下自粛)という展開であったはずだが、それが一切起こらない。むしろ客観的な私とジークの距離感は、清く正しく美しい少年少女の模範的純粋異性交友といったところだろう……ま、それはそれでいいんだけどね。ジークは確かにカッコいいし声も素敵だけど、正直ワタシ、こういう人って結婚相手としては対象外。だって、こんなぐうの音も出ないほどの美形の男の人と、同じ屋根の下で毎日顔を会わせてたら気疲れするのは間違いないわ。かといって、一晩だけっていうのもヤリマンみたいでイヤだし。どっちにしても結婚相手は普通の人が一番よ。前世の私の両親だって、共働きで経済的にもルックス的にも普通くらいだったけど、それで十分幸せだったもの。転生したこの世界で誰かと結婚するなら、そういう肩の凝らない、一緒にいて気楽な相手を選びたい。そもそも、乙女ゲームにありがちなハイソな恋愛には、元々あんまり興味がなかった。ゲーム自体、友達にすすめられて試しにやってみただけっていうか。そりゃまぁ大体のルートは攻略したし、割と何周もしたし、出演声優の出るイベントも行ったし、同人誌も7、8冊は……でもそれはまぁ、ゲームをプレイしたからには当然の出費というか、世界観を知るための必要経費じゃない?別にマニアでもオタクでもなんでもないと思うわ。だって原作からノベライズした小説は11巻までしか読んでないから。まぁ最新刊の12巻が出る直前に、こっちの世界に来ちゃったんだけど。
なんにせよ、ジークの様子から、私に魅入られているような気配は全く見られない。もしかして、カトリアーナの計略は失敗したということ?カトリアーナの『魅了』スキルは、ジーク王子に対して不発だったのかしら?だったら、何事も起きなかったということで、私としては一応、ひと安心ということになる。
とはいえ、ジークの態度は少し気になる。はっきり言って、何かがおかしい。妙にそわそわしているというか、何かを気にしているというか……そして、その原因が私ではないことも、はっきりとわかる。一応、当たり障りなく相手はしてくれてるんだけど、ホントに私に対する興味ゼロって感じで、ここまであからさまだと少しムカつく。女はそういうのに敏感なのよ?まぁいいわ。この後の、”闇の契り”イベントも起きないっぽいし、美味しいお料理をお腹いっぱい食べて、さっさと寝るとしましょうか。一応、勝負下着は着けてきたんだけど。べっ、別に期待してたわけじゃないんだからね!
さて、晩餐会を終え、ジーク王子は今夜はこのヴィトン家の屋敷には泊まらず、宮殿に帰るということになったようだ。やっぱり”闇の契り”イベントは無しね。とりあえず私の貞操は守られそうだし、ジーク王子が闇の魔力に魅入られなかったということは、私の斬殺エンドも消滅したということではないかしら?まぁ、まだ断定するには時期尚早だけど、回避の可能性が高まったのは確か。そう思ったら、なんだかウキウキしてきたわ。このウキウキ感を誰かに伝えたい。いや、さすがに、
『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』のカトリアーナ斬殺エンドを回避したっぽいッス!バンザーイ!!
なんて屋敷の誰かに言おうものなら、真剣にオツムを心配されて、お抱えの医者を呼ばれてしまう。だから、ちょっぴり幸せなこの気持ちだけを誰かに聞いてほしい。とはいえ、メイドの面々は晩餐会の後片付けで忙しそう。家庭教師のエリザベスは堅苦しいからパス。誰か、私とこのハッピーな気分を分かち合ってくれる人はいないかしら、そんなことを思いながら、屋敷内をそぞろ歩き回っていると、明かりの消えたバルコニーの片隅に佇む一人の人影が目に入った。
(誰かしら?)
気付かれないように物陰からその姿を窺う。それは、月明かりに照らされ、輝くばかりの金髪を揺らす、碧眼の美少年……ジーク王子だった。私は物陰にかくれたままジークの姿に見入る。ジークはこちらに気付いていないようだ。彼はバルコニーの石造りの手すりに頬杖をつき、物憂げな表情で佇んでいる。その横顔は絵に描いたように美しく、ゲーム内で見たそれと全く同じだ。原作ゲームのカトリアーナは、闇の魔力をジークを魅了し、その虜にしたが、実は本心から彼を自分のものにしたかった、という裏設定が公式ファンブック(4950円・税込)に書かれていた。確かに、ジークの風貌は女性ならだれでも憧れ、その美しい瞳に見つめられたいと願うだろう。全ての女性の心を溶かしてしまうようなジークの瞳。彼の瞳は今、バルコニーの外の庭へと向けられている。月夜に映し出された庭園を眺めて鑑賞している……というわけでもなさそうだ。その瞳から放たれる視線は艶やかな熱を帯びている。
私は直感した。これは恋の悩みだ。ジークは誰かに恋している。そう言えば、先ほどの晩餐会でも、私には目もくれず、チラチラと横目で誰かを探すような素振りを見せていた。つまり、この屋敷にいる誰かに、ジークは恋しているのだ。一体誰に?真の主人公はまだ登場していない。登場していたとしても、我が家の晩餐会に呼ばれているはずがない。晩餐会の場にいた女性といえば、私以外には母上様とメイドたち、それと家庭教師のエリザベスくらい。この中では……メイドの中の若い娘かしら?割とみんな可愛らしくて小綺麗な娘たちばかりだから、考えられない線ではない。だけど、ジークの性格は「王位をめぐる争いの渦中にあるため慎重で思慮深いが、その反面として疑い深く、人を信じることができない」という設定だったはず。だから、ジークの方から一目惚れすることはまずない。それこそ闇の魔力で魅了するしかないほどにガードが堅いのだ。つまり、ジークが誰かに恋するなら、その誰かとジークの間には精神的な部分で何らかの深い接触があるはずで、そこまでは行かないとしても、少なくともその切欠になるような関わり合いが必要なはずだ。しかしジークとメイド達の接触といっても、身分の差もあって会話どころか目を合わせることすら殆どないだろう。やはり、ジークからメイドの誰かに恋愛感情が生じる可能性は非常に低い。メイドは候補から消えるわね。なら、私以外で、ジークと会話するなり何なりの接触があるのは……もしかして母上?いやいや、それはちょっとマニアックすぎるでしょ。年増の経産婦が娘よりも人気なんて、前世で見た戦車アニメじゃあるまいし、それ系のネタに群がって喜ぶのはキモいオジサンだけだから。ふしだらな母は同人誌の中だけにしてよね。まぁ何にせよ、母上も候補から消えた。じゃあ残るはエリザベスかぁ……それはないな、うん。絶対ない。理由は長くなるので言わないけど、エリザベスはない(断言)。つまり、さっぱりワカラン。
えぇぇ~、一体誰なんだろう。ジークが好きになる女性!もしかして、『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』には、まだ私の知らない隠れキャラがいたとか?でも、乙女ゲームで女性の隠れキャラとかイミフよね。制作スタッフどんな判断よ?
などという取り止めもなきよしなしごとを様々に考えながら、私はジークの姿を凝視している。私は知りたかった。闇の魔法に魅了されなかったジークが、私ではなく誰を好きになっているのか。それが明らかになれば、私が原作で予定されている破滅的結末の一つを回避できたこともまた、明らかになる。そして何より、ジーク=クローディス=シャイニングロードという男性が思いを寄せるのはどんな女性なのか、ということにも単純に興味があった。
ジークはじっと一点を見つめている。私は、バルコニーに立つジークが、その少し潤んだ瞳を向ける視線の先を見た。そこにいる人物こそ、ジークの意中の女性に違いない。そしてそれは——
それは王子の心を射止めるに相応しい見目麗しき美女、かと思いきや、さにあらず。私もよく知るカストル兄様だった。ジークが見つめているのはカストル兄様。あぁ、カストル兄様だったんだ。ふーん、そっかー。カストル兄様なんだー……って、オトコ?男なの?
(続く)




