暗闇の奥底に隠されし邪神像の力、とくと味わうがよい!
さて、昼食会である。
え?違う?あ、そうか。そういえば昼食会は終わったわよね。うん、そんな気がする。……だけど、私って前回ちゃんと食べた?カストル兄様に食べさせたのは覚えてるわよ。あれは某幕末明治剣豪マンガからパク……インスパイヤされた私の必殺技で、ってそういう話じゃなくて、カストル兄様にトマトっぽい異世界野菜を食べさせたっていうのは明らかに覚えてるんだけど、私が何かを食べたっていう記憶がないの。前回、私が食べた描写あったっけ?一応、空腹ではなくなってるから、食べたと言われれば食べたような気もするんだけど、何かを食べたっていう記憶がない……文章としては描写されてないけど、食べたことになってるってコト?あぁ、なるほど、行間を読め、と。でも、行間って読者が読むものよね?なぜ登場人物の私が読まなければいけないのだろうか。乙女ゲームって理不尽だわ。とは言え、昼食はすでに終わってしまったので悔やんでも仕方がない。それにまだチャンスはある。この後は異世界転生ものにありがちな、なんちゃってヨーロッパ貴族の習慣から考えて、午後のティータイム、即ち、おやつイベントが待っているはず。そして何より、本日を締めくくる最後の宴、夕食!ディナー!晩餐!晩メシ!そこでは必ずや、最大最強空前絶後の豪華料理にありつけるはず。その最後のチャンスに勝負を賭けるわ!……あ、賭けるのソコじゃない?まぁそうよね。そうなんだけど、こんなふうに、つい食事のことを考えてしまうのは、やっぱり空腹感が無くなっても食欲は満たされていないという、もどかしさのせいなのよ。
だけどなんだかホーントに変な感じ。記憶にないのに実際に起きなかったわけじゃなく、体感はあるけど実感はないなんて。食べた記憶というか、食べたっていう実感がないと、食べ物が私の身体の中に入っていたとしても、なんていうか、こう……私と一体になったって感じがしないの。うまく言えないけど。肉体の中には物質として含まれているんだろうけど、私の精神の中には存在してないっていうか。記憶に残ってなかったら、そこに存在しているという認識がないわけで、そこに実体的にあると言われても、あると思えないっていうか。記憶に残っているからこそ、認識されたものとして、私の内心に影響を与えるっていうか。認識されたものの記憶が、意識の上で認知されたもののみなのか、無意識に認知されたものの記憶も含むのか、それはわからないけど、何らかの記憶として残るからこそ、人の内心やひいては精神・人格にも作用して影響を与えることになるんじゃないかと、私は思ったりする。そう考えると、やっぱり記憶って大事ね。積み重なった記憶が人格を作り上げていくものとするなら、人格とは、抽象化された記憶の集合体がそれを基礎付けていると考えることもできるわけで、だとすれば、前世の記憶があるからこそ、今の私の人格があるということになるもの。
……あれ?だけど私には、この世界でのカトリアーナの記憶もある。ということは、カトリアーナの記憶はカトリアーナの人格を作りあげているはずだから、私はカトリアーナってことになる。だけど、私が認識している私は私であって、カトリアーナではない。ん?いや、でもやっぱカトリアーナかも。 ヴィトン伯爵家の家族に対する感情は、まぎれもなくカトリアーナのものだし、屋敷のメイドや使用人に対するそれも、やはりカトリアーナのもの……と思うんだけど、なんかそうじゃないって言われれば、そうじゃないって気もする。特にカストル兄様に対する憧れに似た感情はカトリアーナのものであるというよりも前世の私のものであるような気がするし、その一方で、前世の家族や友人に対する懐かしい感情は明らかにカトリアーナのものではない。私であるようで私でなく、カトリアーナのようでカトリアーナでもない。じゃあ私って、一体誰なの?
……ま、いっか!(←え、いいの?)いいわよ、別に。どうせ考えてもわかりっこないし。それに、カトリアーナの記憶があるからって特に不便なわけでもなく、むしろカトリアーナの記憶があったおかげで、この世界に馴染めてるわけだし。何より、前回決めたもの。考えてもわからないことは考えない!そして何事もいい方向に考える、つまり前向きポジティブ思考。これも前世で見た色んな女子向け作品から学んだこと。何が起きても勘違いしてでも意地でも無理やり前向きに捉えちゃうポジティブ系主人公が読者の共感を得るの。その手の主人公って、1カットか1シーンくらいは強烈なダメージを受けた感じで描写されるんだけど、割とすぐにそのこと忘れて別のことにオツムを切り替えちゃうんだから、弱いと見せかけて実のところは鋼のメンタルの持ち主よね。まぁでも実際、「弱くてカワイソウなワタシ」をアピールする人ほどメンタル強靭だったりするから、そういう意味ではリアリティあると言ってもいいんじゃないかしら。さっきまでキーキー高圧的に振る舞ってた人が、男とか上役とかが来た途端に「ワタシは被害者」みたいな顔し始めるのと似てるかも。下手すると「うぇ~ん(涙)」って泣き出すのもいるし。さも自分が可哀想な被害者であるかのように振る舞ってるけど、腹の底では他人を追い落としても平気で、むしろそれが当然と思ってる。そういう弱いフリした鋼メンタルちゃんを見るたびに、自分より強い者の前でコロっと態度を変える厚顔無恥さというか、被害者を装えば許されると思ってる甘えた根性とか、「そういうふうに生きれる女ってウラヤマシー(棒)」って思ったもんだわ。そういう女にコロっと騙されてる連中もまぁまぁカスよね。何より、弱いフリできない人間の方が、それに耐えかねて精神を病んじゃうんだから、ホントにやってらんないわ。まぁ、世の中ってそんなものと言ってしまえばそうなのかもしれないけど、そもそも日本の社会ってそういう利己的で保身に長けた連中が有利になるようにできてるから、そういう連中がより一層繁栄を謳歌するようになる。さらに、その幇間がそれを許すどころか賞賛して持て囃し正当化する。そうして出来上がったのが現代のニッポンってことよね。ホ~ントに美しい国❤️とまぁ、令和の日本社会はもう私には関係ないから置いといて、何にせよ、女子向け作品の前向き系女主人公が前向きでいられるのは鋼メンタルだからであって、私も乙女ゲーム世界に転生したからには、それを見習って鋼メンタルを身につけるために、全力前向き思考でいくことにするわ。これで読者の共感大量ゲット間違いなし!作者みたいに何かにつけて後ろ向きで、一般道を全力で逆走するようなタイプは誰の共感も得られません⭐️(←だまれ)さて、そんなことよりもまずは、今の目の前にあるピンチを脱するのが先⭐️と、いうわけでスタート!
— * — * — * — * —
さて、私はメイドたちと一緒に、私のためにあてがわれた部屋の一室で、次に予定されている湖畔散策のための衣装直しを終えると、そそくさと先ほどの来賓用の控室に戻った。前回からずっと述べているとおり、できるだけカストル兄様のそばにいなくてはいけないからだ。「だったらわざわざ控室に戻らずに、まっすぐカストル兄様の部屋に向かえばいいんじゃね?」と思うかもしれないが、何やらカストル兄様のところに直接出向くのは、伯爵令嬢のお行儀としてはあまりヨロシク無いらしい。そのくらいイイじゃんって気もするんだけどね。まぁそこは貴族社会の謎マナーなので仕方ない。日本社会でよくある、マナー講師が押し付ける謎マナーと同じ。その謎マナーが蔓延る日本で作られたゲームが、この『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』なのだから、この世界で謎マナーが幅を効かせるのも仕方ないと諦めるしかないわ。そんなわけで、私は来賓用の控室でひとり、カストル兄様を待っている。
誰かが扉をノックする。
カストル兄様かしら?いや、あの人、基本ノックしない。何回言っても絶対しない。優しくて気配りもできて頼りになる素敵な兄様なんだけど、なんか要所要所で空気読めなくてデリカシーないのよね。なんなのかしら?原作ゲームでもこんなキャラだったような気もしないようなそうでもないような……まぁ、前のジーク魅了イベントのときはそのおかげで助かったってところもあるし、あの爽やかな笑顔で謝られるとノックくらいしなくても許しちゃう❤️完全無欠の完璧超人よりは少しくらい脇の甘いところがあったほうが母性本能をくすぐられるの❤️❤️❤️そういうわけで、ノックは無用!大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大(←それノンストップゲーム)あれ、そうだっけ?続けてやってたから記憶がごちゃ混ぜになっちゃってるの、許してニャンマゲ……どこかから「オメー絶対昭和生まれのジジイかBBAだろ」って声が聞こえるけど、異世界転生した伯爵令嬢だからソコントコヨロシク。
さて、そんなわけで私は、とりあえずカストル兄様ではなさそうだという予測のもとに、扉を叩く音に返事をかえした。
「どうぞ」
「失礼致します」
静かに扉を開けたのはメイドのカトリである。
「お城の方から、お嬢様に御伝言をお預かりしまして……」
伝言?私あての伝言ということは、おそらくジークからだろう。私は一応、心当たりがないというふりをしながらカトリに言った。
「何かしら……聞かせて?」
私が促すと、カトリは丁寧に一礼し、ジークの使いからことづかったという口上を述べた。
「畏れながら申し上げます。御使いの方からの御伝言によりますと、ジーク王子様が『カトリアーナ様に是非とも、お話ししておきたい儀がございまして、お一人で部屋にお越しいただきたい』と仰せとのことです。」
いきなり仕掛けてきたわね。それもカストル兄様が同伴しているにも関わらず、”私一人で来い”だなんて、不躾で強引。婚約者候補とはいえ、まだ正式に婚約しているわけでもない伯爵家の娘を一人で部屋に呼びつけるんだから、貴族社会にあるべき手順や段取りをすっ飛ばした結構大胆な要求と言っていい。その上、それをメイドに取り次ぎさせるっていうのも何だかおかしい気がするけど、そこはそれ、異世界転生ものだから。メイドと広義の使用人、召使、従者がごっちゃになってるのは、なんちゃってヨーロッパあるある。中産階級の雇っていた単なる家事手伝いとしてのメイドも混じってる。せめて、ちゃんと歴史上におけるメイドがどういったものかを調べた上でやってほしいと思う向きもあるけど、読者・視聴者・プレイヤーがそれを望んでないから仕方ない。かくいう私もメイドの何たるかなんてよく知らないから偉そうに言えるものではないし、そもそも中世ヨーロッパメイド専門家になる気もないものね。要は、単なる「取り次ぎ人」としての役割を果たすキャラがいればいいわけで、そこに詳細な設定をぶち込んでも受け取る側が困惑するだけ。誰が始めたか知らないけど、なんらかの形で主人に従属する者としての「メイド」っていうある種キャッチーで分かりやすい概念があるから、作中に召使や従者としての役割をもつキャラに「メイド」としての着ぐるみを被せておけば、読解力・理解力の低い受け手でもなんとなーく、「あぁ、なんでも言うことを聞いて、都合よくなんでもやってくれる、便利な子分がいるんだな」と、「ふわっと」受け入れることができて、便利といえば便利。そういう便利な記号的表現の一種と捉えれば、映像的に一目で分からせる必要のあるゲームやアニメや漫画で、「メイド」という記号を使うことに全く意味を認めることはできないとまでは言えない。とはいえ、ゲームやアニメや漫画ならそれでいいとしても、小説だとちょっとどうかなって思うところはある。だって、映像は時間や予算を含めて色々な制約の下で、物語の背景部分を受け手に伝えなきゃいけないわけだから、主題と直接関係のない瑣末な事項について余分な説明を省くための工夫として記号表現を使うことはある程度やむを得ないとは思うの。だけど、小説はそうじゃないでしょ?背景世界を文章で作り上げていくのが小説で、その文章を読ませるのが筆力。メイドがいるなら、なし崩し的にメイドのいる世界にするんじゃなく、なぜそのメイドたる者がその世界に存在するのか、メイドがその世界にその姿で存在することに必然性はあるのかっていうことを、しっかり文章で読ませてほしい。明記しないとしても、メイドというものがそこに存在することを納得できるような世界を構築してほしい。「ヨーロッパっぽいからメイドもいるっしょ」とか、いくらなんでも安直すぎよ。文章で作り上げるべきところを省略して読み手が一般的に共有しているぼんやりしたイメージに迎合するのは、言葉で表現する者として逃げているように感じる。異世界転生ものでメイドが出てくる小説とか、基本骨格が安直な二番煎じである上に、肉付けすら怠惰な記号化で逃げてるってことだから、読む価値無いんじゃないかしら。ねぇ作者聞いてる?異世界転生ものでメイドが出てくる小説とか、基本骨格が安直な二番煎じである上に、肉付けすら怠惰な記号化で逃げてるってことだから、読む価値無いんじゃないかしら!もう一回言うわよ。
異世界転生ものでメイドが出てくる小説とか、基本骨格が安直な二番煎じである上に、肉付けすら怠惰な記号化で逃げてるってことだから、読む価値無いんじゃないかしら!!!
どう?少しは自分の程度の低さを理解できたかしら???(←グヌヌ...)グヌヌも使い古されたお決まりの安直定番フレーズね。少ない脳ミソ使ってもうちょっと考えなさいな。あと、その括弧付きの一言コメント、話の前提無視して一言リプで言い捨てていくミリオタみたいだからイイ加減やめた方がいいわ。まぁ、”理解力の低い暗記マニアに過ぎないくせに一言ツッコミで何か言ったつもりになってるキモいオタク”の不快さを表現してるつもりなんだったら、止めはしないけど。でも実際、これ読む価値ある?(←どうだろ)なに自信ないの?まぁ、読む価値があるかどうかは読者が決めることよね。どっちにしろ、これを誰が読むか読まないかに関わらず、私は異世界に転生してしまった以上、この異世界で生き抜かなきゃいけないんだけど。それに、私がこの世界の安易な記号的メイド設定に対してチョッピリ文句があったとしても、実際にこの世界でメイドとして生きているカトリたちにはなんの罪もないものね。だけど、カトリに限らずヴィトン家のメイド達と接していて、時々思うの。実体のない架空の存在とはいえ、せっかくこの世に生み出されたのに、単なる記号として使い捨てられるなんて、なんだかすごく可哀想だなって。だったらせめて私は、彼女たちに架空世界の記号ではなく、実際に同じ世界で生きる人間として接してあげたい。この世界では現に実在している人間として、生きる時間を同じく分かち合いたい……とまぁ、なんだかエラそうなことを言ってるけど、この世界の人たちは自分たちを架空の存在であるとは認識してなくて、現実の世界で実在する人間として生きているから、私が何をどう思おうが、みんな現実にここで生きている人間に他ならないし、むしろ勝手に「”記号”扱いされてカワイソウ(涙)」とか上から目線で思っちゃってる私の方が失礼かも。ゴメンねカトリ⭐️
「お嬢様?」
カトリが心配そうに私の顔を覗き込む。おっといけない。考え事してる場合じゃなかったわ。私ってば、どうしてもこのゲームの展開と設定のことが気になって、誰かと話しているときでも、つい一人で考え事に耽ってしまうことがある。赤の他人相手だと気が張ってるからそんなことはないんだけど、気心の知れた家族やメイドたちだと、ちょっと気が緩んじゃうのよね。カトリが私に注いでいる心配そうな眼差しは、ジークからの伝言についてのことで、決して私のオツムの心配をしているわけではない。と思いたい。
「あ、いえ……ごめんなさい。御伝言はそれだけ?」
私の問いに対しカトリは、それが単なる補足事項で、取るにたらない些事であるかのように答えた。
「はい、いまひとつ。”秘密”に関わることなので、カストル様にはお知らせしないように、と……。」
「”秘密”?」
今、私は素知らぬ振りをしているが、内心では激しく動揺している。いや、もしかすると表情に出ているかもしれない。私の”秘密”とは闇の魔力に違いない。私が闇の魔力を秘めていることは、絶対に誰にも知られてはならない。なぜなら闇の魔力は、この国では異端の禁呪とされているからだ。原作ゲーム『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』の多くのルートにおいて、カトリアーナが最終的に苛烈な刑を科される理由は、真の主人公に対して悪事を働いたことに加えて、闇の魔力という禁じられた異端の魔法を用いたことによる部分も大きい。なにせ、真の主人公にすら、闇の魔法に”関わった”という嫌疑をかけられて投獄されるというバッドエンドルートが存在するのだ。つまり、”用いる”どころでなく、”関わった”だけでも、即刻裁判にかけられる。それほどまでに、闇の魔法は邪悪な禁断の呪法とされており、ほんの僅かな接触すらも忌避されている。そういった事情から考えると、闇の魔力に関わる秘密をただ匂わせるだけの行為も、私にとって相当に大きいリスクとなるのは当然として、ジークの方も、その秘密を知った上で黙っていたということになれば、彼自身が罪に問われる可能性が非常に高くなるはずなのだ。だからこそ、ジークは私の闇の魔力という”秘密”を知っていたとしても、それを第三者に漏らすようなことは絶対にないと思っていたし、慎重な彼の性格からして、それを仄めかすような真似もしないだろうと高を括っていたのだが、どうも私の考えが甘かったようだ。
当然のことながら、カトリはあくまでも事務的な連絡として、重い意味合いを全く含ませることなく”秘密”という言葉を伝えたのだろう。しかし私の様子を見て、敏感で洞察力の鋭い彼女は、ただ事ではないと察したようだ。カトリはその顔つきを深刻なものに変えて、私に問いかけてきた。
「……秘密とは、お嬢様がお部屋のタンスの引き出しの奥に隠しておられるディルドのことではないのですか?」
「え?」
ちょっと待って。なんで知ってるの?闇の魔力のことよりそっちの方が驚きだわ。
「いえ、あんな存在感のあるモノを隠してもお部屋のお掃除をさせていただいている時にすぐ分かりますし。」
まぁ、そりゃそうよね。アレ、無駄に大きい上に分解できないから置き場所に困るのよ。カトリはさらに続ける。
「そもそも、あれは私がポリアンナに薦めたものですから。」
——実は以前、メイドたちとオナニー談義に耽っていたとき(←何やってんだよ)、ポリアンナがおすすめツールとして、愛用のディルドと同じものを私にくれたんだけど、それは一度も使わないまま部屋のタンスの奥深いところに隠している。なぜなら、第一に、母上(ヴィトン伯爵夫人)に見つかると確実に、いつもの仰天から卒倒そして逆上の三連コンボが炸裂するはずなので、それは回避したい。第二に、私は異世界転生してから処女膜を温存する方針なので、なるべくオナニーはしないようにしている。そして第三に……そのディルドの形状がね。なんともすごいのよ。真白い陶器のようなプラスチックのような、それでいて生物由来材料のような謎の異世界物質でできた全長45cmほどのそれは、一言で言えば極太カリ高で、膨らんだ先端部は深く抉るような返しを形作りあたかもハンマーのようであり、竿の部分は巨大なトウモロコシのように太く、その表面は数多くの丸いイボイボでビッシリと覆われている。そして、なんの用途なのだか根本の部分で3つ又に分かれ、さらに魔法による細工が仕込まれており、スイッチを入れると触手のようにグリグリウニウニと動く。一言で言えば不気味。私のような処女じゃない、歴戦のヤリマンでも使うのに躊躇すると思われるレベルの禍々しいオーラに包まれた、恐怖のアダルトグッズなのだ。
……緊迫したストーリー展開になるかと思いきや、なぜか突然のディルド所持発覚、そして明かされるその由来、という謎の流れに戸惑う私を見て、何を思ったのかカトリはさらに付け加える。
「実際、私共メイドの間ではあれが一番人気で。」
ポリアンナだけじゃなくて、みんなアレ使ってるってこと?我が家のメイドたち、どんだけハードなオナニーしてるの……って、今はそんなことを考えてる場合じゃないんだってば。私は、ディルドを隠し持っていることをカトリに知られていたという気恥ずかしさと、あれを使ってオナニーしていると思われるのは伯爵令嬢としてどうかという困惑と、かと言って折角もらったモノを一度も使ってないというのは親切にプレゼントしてくれたポリアンナに悪いなという心苦しさと、さらにそれに加えて、闇の魔力の”秘密”に触れてはならないという焦りの入り混じった、今までに感じたことのない何とも複雑な心情で少し涙目になりながら、カトリに言った。
「いえ、そうじゃないと思うの。だけど……」
”秘密”のこと、つまり私が闇の魔力を秘めているという事実をカトリに打ち明けることはできない。なにせ、関わっただけでも重罪なのだ。カトリまでも危険に巻き込むわけにはいかない。私は曖昧に言葉を濁した。無論、カトリはそこで私を問い詰めたり、聞き出そうとしたりはしない。しかし、その表情からは「ならば、ジーク王子の言うところの”秘密”とは何なのか」という訝りが感じられる。
「いかが致しましょう?ここはカストル様にもお伝えした方が……」
と、カトリが進言する。彼女は事情を知らないからそう考えるのが当然だろう。しかし、私としてはそうもいかない。今まではジークの狙いがどういったものか分からないので、とにかく彼の思惑に乗らないために、カストル兄様と離れないようにしてきたのだが、闇の魔力に関わる話をジークが持ち出してくるつもりなら、話は別だ。私に秘められている闇の魔力の件は、絶対にカストル兄様に聞かれるわけにはいかない。ならば、みすみすジークの要求を呑んでしまうようではあるが、カストル兄様には何も知らせない方がいい。とは言え、”秘密”という撒き餌に釣られてジークの部屋に単身乗り込むのは蛮勇だ。そこで私の闇の魔力が発動すれば、私には斬殺される最期が再び運命付けられることになる。とにかくジークと二人になることだけは回避しないと。しかし、この状況では……そうだ、仮病!もうそれしかない!!!急にお腹が痛くなって行けません、前世で学校を休む時に使った言い訳を伯爵令嬢になってまで使うとは思わなかったけど、それくらいしか思いつかない。パンツにケチャップでも塗っとけば大体察してくれるでしょ。つまらない嘘をついてしまうことになるのが多少癪にさわるのも確かだけれど、背に腹は代えられないわ。あ、でも腹痛だったら背に腹を代えてることになるのか。と言ってもそこはそれ、背中が痛いっていうとBBAかよってことになるから、伯爵令嬢としては腹痛でいくしかない。とは言え、腹痛を言い訳にすると、オナカの調子を心配されて豪華なディナーが食べられなくなるかも……って、今はそんなこと考えてる場合じゃないでしょ私!とにかく、なんとか呼び出しを断るための言い訳を——
「お取り込み中、失礼。」
突然聞こえたその声に、私は息を呑んだ。そして振り向くと、開け放たれた部屋の扉口にジークが立っているではないか。なぜそこに?と思ったが、此処が王家の城であるからには、王子であるジークが何処にいようが不思議では無い。しかし、いつの間に?扉の縦框にもたれたまま腕を組み私を見つめるその姿は、どことなく余裕を感じさせ、その雰囲気から察するに彼は暫く前からそこにいて、私とカトリの様子を眺めていたようだ。いつもの涼しげな表情ではあるが、口元にどことなく不敵な笑みを湛えたまま、ジークは言葉を続ける。
「不調法かとは思いましたが、直接お迎えに上がらなければ、お越しいただけないかと思いまして。」
カトリが私とジークの両方をキョロキョロと見比べるようにしたが、第七王子の御前である。慌てて一歩下がり、頭を深く下げる。そんなカトリの姿など、まったく目に入っていないかのように、ジークは私の方をじっと見つめている。私はと言えば、あまりにも予期せぬ出来事に、驚きを顔に出さないようにするのが精一杯で、返す言葉が出てこない。まずい、完全にジークの掌上に乗せられている感がある。
気の利いた返しも思いつかず、さりとて目を逸らすこともできず、私は黙ったまま、こちらを見つめるジークを見つめ返す。見つめ合うというより、睨み合いのような、緊迫感に満ちた沈黙がしばらく続き——その私の顔色から何か思うところがあったのか、ジークが切り出した。
「そう怖い顔をしないでください。私がお呼びたてするのは、別にあなたやヴィトン家の方々に不都合や害を成すためではありません。私とあなた、お互いにとってのメリットのため……平たく言えば”取引”です。」
いささか長めで説明的なセリフの最後に付け加えられた言葉に、私は思わず問い返した。
「取引?」
餌にかかった、とでも思ったかのように、ジークの目が一瞬鋭く輝く。そして彼は静かに……緩慢に、あたかも私に刑罰でも宣告するかのような、重々しいニュアンスを含ませた口調で言った。
「そう、取引です。あなたの”秘密”との、ね。」
そのとき私は確信した。やはりジークは、私の闇の魔力のことに気付いている。そして、闇の魔力という私の”秘密”と、”取引”、つまり彼の何かを引き換えにすると言っている。それは一体何なのだろう?いや、取引などという言葉を信じる事自体がそもそも間違っている。ジークは引き換えにする対価など持っておらず、私を詐術ににかけて闇の魔力のことだけを聞き出そうとしているのかもしれない。とはいえ、私も自分自身の闇の魔力について深く知っているというわけでもなく、確実に言えることは、自分の意思とは無関係に発動する不確実さがあるということくらいだ。これでは取引のカタにできるわけもない。何より、私の闇の魔力のことを聞き出したからといって、ジークに一体どんなメリットがあるというのだろう。多くの疑問が錯綜し、どう答えるべきかも思い浮かばず、私はジークを見つめて黙りこくったまま立ち尽くしている。
その私の沈黙を、無言の了承と捉えたのだろうか。いや、もはや私が逃げられないということを、ジークは見抜いたのだろう。
「では、部屋でお待ちしています。」
彼はそう告げると、いつもの優雅な所作でヒラリとマントを翻し、私の前から去っていった。
そして、私とカトリだけが部屋に残された。重苦しい空気が充満している。
”取引”。それはただの取引ではない。私の内側に秘められた闇の魔力との取引だ。例えジークがどんな対価を用意していたとしても、闇の魔力が関わっている以上、私にとって良い取引であるはずはない。それどころか、闇の魔力のことを知られているということは、私は弱みを握られているということであり、対等な取引になるはずもない。公にされれば即刻裁判にかけられ重罪として処断される闇の魔力、それをちらつかせて、私に何かを要求するのであれば、それは相応の負担、苦痛、重荷を背負わせるものであるに違いない。さらに、ジークと二人きりになること自体が、私の闇の魔力の発動の可能性を高めることにつながるという大きな危険を伴っている。後に退けない断崖絶壁で喉元に剣を突きつけられているときは、こういう気分なのだろうか。絶体絶命、最悪の結末に否応なく引き寄せられている感覚がある。
しかし、行くしかない。私の闇の魔力のことを公にすることだけがジークの目的なら、取引などという回りくどいやり方はしないだろう。あえて”取引”というかたちをとるということは、少なくとも、私の闇の魔力の何らかの秘密を得ることによって、彼には何らかのメリットがあるものと見ていい。それが何かはわからないが、彼がそれを欲しているなら、それを逆手にとって、こちらに有利となるよう話を運ぶことも不可能ではないはず。具体的にどうするかなんて現時点では全く思いつかないけど、まだこのゲームを投げるわけにはいかない。ゲームの世界に転生したとはいえ、私の認識する限りにおいてこれはただの”ゲーム”ではなく、リセットの効かないゲーム、すなわち私自身の人生に他ならないのだから。そう。不安と恐怖に呑まれては危機を切り抜ける糸口を見出すこともできなくなる。こんな時こそ、己を強く持たなくては。私は、自分自身に言い聞かせる。
覚悟は決まった。私がジークの部屋に向かおうとしたそのとき、背後から呼び止める声がした。
「お嬢様!」
カトリである。そうか、自分のことばかりで、カトリにちゃんと言付けしておくのを失念していたわ。不安感に苛まれて少し冷静さと注意力を欠いていたことを、そしてこの場に居合わせたカトリに対する思い遣りを忘れていたことを、私は少し反省する。カトリはおそらく私とジークの会話の内容について、全てを理解したわけではないはずだ。しかし、この張り詰めた空気から、間違いなくただならぬ事態であると察知したのだろう。彼女は声をひそめて私に進言する。
「お嬢様、やはりカストル様に……」
だが私は、彼女のその言葉を途中で遮った。
「いいえ、兄様には伝えないで。」
それを聞いたカトリは驚いたような表情を浮かべる。
「しかし……」
先にも述べたが、何も知らないカトリが、このことをカストル兄様に伝えようとするのは当然のことだし、本来ならそれが筋だ。だが、ジークの持ち掛けてきた”取引”なるものが、闇の魔力に関わることである以上、カストル兄様を巻き込むわけにはいかない。
「お願い。私がこの部屋に戻るまで、カストル兄様には何も伝えないで。」
私の望みを聞いたカトリは少し俯きしばらく考えていたが、私の決意が伝わったのだろう。やがて彼女は顔を上げると、力のこもった口調で言った。
「かしこまりました。」
さらにカトリは続ける。
「では、私もお供いたします。」
生真面目で律儀なカトリらしい申し出だ。が、それも受け入れるわけにはいかない。カストル兄様を巻き込むことができないのと同じく、闇の魔力に関わることに、カトリを巻き込んではならない。
だけど、カトリの気持ちはとても嬉しい。思わず、私の口元から笑みが漏れる。不思議ね。これから一人で敵の懐に飛び込むのに、なんだか一人じゃないような心強さを感じる。私は彼女の顔を覗き込むようにして告げた。
「あなたはここに残って。」
しかし、カトリはなおも承服してくれない。悲しげな表情をうかべて切羽詰まった口調で言う。
「いえ、それでは私が勤めを果たしたことになりません。お供させてください。」
縋り付くような声で懇願するカトリに、私は優しく言い聞かせる。
「いけないわ。それでは何かが起きた時に事情を知る者がいなくなるもの。あなたはここに残って。」
カトリは俯き黙りこんでしまった。彼女も、この差し迫った事態の中で自分自身にできることが何なのか、それを必死で考えているに違いない。しかし、何もできない、何かすることを許されない、その無力感が彼女を責め苛み、苦しめている。そんな彼女にどう声をかければいいのか、私も考えあぐねたが、ふと、彼女に託けておかねばならないことがあったと気付いた。それは、今この場にいる彼女にしかできないことだ。
「カトリ、あなたに一つお願いがあるの」
カトリが目に涙を浮かべたその顔をゆっくりとあげる。私は続けた。
「半刻。私が半刻の間に戻らなければ、このことをカストル兄様に伝えて。」
半刻でケリがつくかどうかはわからない。半刻経つまでもなく兄様はこの部屋に来るかもしれない。だが何にせよ、もし私がここに戻らなかったなら、その時は兄様やカトリたちにも何らかの危険が及んでいる可能性が高い。そして、その時に兄様が事情を全く知らなければ、為す術も無くその危険に飲み込まれてしまうことになりかねない。今、私が全ての事情をカトリに告げることができればいいのだが、闇の魔力に関わることについては絶対に誰にも話せない。しかし、危機が迫っていることをカトリが感じ、それを兄様に伝えてくれれば、そして、その身へと迫る危機に兄様が気づいてくれれば、聡明なカストル兄様ならきっと切り抜けてくれるはず。私が決して口にすることのできない”危険”、その”危険”を感じ取ってカストル兄様に伝える、それは敏感で人の機微を察することのできるカトリにしかできないこと。私は期待と信頼を込めて、カトリをじっと見つめた。
カトリは瞳に涙を溜めたまま、しばらく私を見つめ返していたが、やがて私の真意を汲み取ってくれたようだ。
「承知いたしました」
と、一言だけ述べて、彼女は深々と頭を下げた。
ありがとう、カトリ。
あなたがいてくれて本当によかった。
後顧の憂いは断った。私はカトリに背を向けて、重苦しい空気の残る控え室から一歩踏み出す。これがジークとの最後の戦いになる。その予感がある。
私は、長い廊下の暗がりの中を、決戦の場へと向けて歩き始めた。
(つづく)




