我が瞳に宿る暗黒の魔力に屈服するがよい!
今、私の目の前にいる男性は、この国の第7王子ジーク=クローディス=シャイニングロード。今から私は、この男性を闇の魔力で魅了する……なぜなら、そういうストーリーだから。
私はカトリアーナ=ヴィトン。ヴィトン伯爵家の一人娘。
私は知っている。この世界におけるカトリアーナの役回りを。それはすなわち「悪役令嬢」。真の主人公の前に立ちはだかり、あの手この手を使って恋路を邪魔するだけでなく、闇の魔力を使って人を操り、真の主人公を陥れようと企む極悪非道の魔性の女。
そして、私は知っている。悪役令嬢カトリアーナは最終的に、真の主人公によってその悪の本質を暴かれ、正義の鉄槌を下されることを。
数年前に突然、私は前世の記憶が甦り、自分自身が転生者であることを認識した。最初は朧げな記憶だった。その朧げで曖昧な記憶を、少しずつ手繰り寄せ、撚り合わせていくうちに、私は重要な事実に気付いた。その事実とは、今、私のいるこの場所が、前世でプレイしていた乙女ゲーム『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』の世界である、ということ。そして、私の転生した肉体であるカトリアーナは、この世界における「悪役令嬢」ポジションであること。つまり私は、この世界において「悪」であることを宿命づけられているのだ。確かに、カトリアーナとしての私は、幼い頃から悪の萌芽を感じさせる、冷酷で自己中心的な振る舞いが多かったように思える。しかし前世の私は普通の人間だ。決して、清く正しく美しい絶対善ではないにせよ、だからこそ絶対悪たることもまたできない、善と悪をあわせもった普通の人間なのだ。何より私の本質がどうであれ、因果応報的価値観を過剰に推し進め、消費者を「ざまぁ」というカタルシスの禁断症状へと陥れる日本の創作物において、「悪」として定義された者は必ず破滅する。
前世の記憶によれば、カトリアーナは乙女ゲーム『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』の世界における、最大最強最悪のラスボス……の3つくらい手前の中ボス的存在であり、主人公または主人公の攻略対象であるキャラたちの手によって成敗され悲惨な結末を迎えることになっている。つまり、その原作ゲームのストーリーに沿うならば、私は、悪役令嬢カトリアーナとして最終的に断罪、追放、または零落、あるいは投獄、場合によっては発狂、最悪のケースでは死亡する。いや、どれも最悪だろ。転生してそんな人生はまっぴらゴメンだ。こうして、自らの運命を察知した私は、予定されている結末を回避すべく行動を開始した。悪役令嬢に転生したことを自覚したなら、勉強して教養を身につけ、剣術を学び、さらに周囲の人々に優しくするよう心掛けねばならない……というのは前世の記憶にあった。そっち方面の作品をチェックしておいて正解だった。私は知性と教養を深め、鍛錬により身体能力と剣技を磨き、内面を涵養して他者を思いやるよう努めた。誰に頼るでもない。自分自身で身につけた、自分自身の力によって、私は予定されている破滅的運命を乗り越えるはずだった。しかし、弛まぬ努力によって後天的に能力を高めたものの、なぜか要所要所で、全く自分の意のままにならない展開が生じることに気付いた。一本道のゲームではプレイヤーの意思など無視してストーリーが進む。重要イベントでは私の意思とは全く無関係に、決まった方向へと話が進むのだ。そして、その重要イベントの一つが今、目の前で起きようとしている。
「お初にお目にかかります、カトリアーナ嬢。」
二人きりの部屋。ジークが貴婦人相手にする挨拶の形式で、私に向けて一礼する。今日は、王国の第7王子であるジークと、伯爵令嬢である私、カトリアーナが、婚約を前提に顔合わせをする最初の日。ゲームの画面で何度も見た顔とはいえ、改めて見ると、やはりジークはメイン攻略対象だけあって気品があり美しい。そして特筆すべきは声!ゲーム内のジーク(CV:宮田真護)そのままのイケボ!マモリんは乙女ゲーの出演が少ないからレア感あるのよね。心を溶かされてしまうような王子様ボイスだわ。私のモノローグもなんだか乙女口調になっちゃう……さて、そんな私の内心が少し顔に出てしまったのだろうか、ジークは少しキョトンとした顔をしていたが、ふっと微笑み、挨拶の口上を続ける。
「本日はお招きいただき光栄です。ジーク=クローディス=シャイニングロードと申します。」
この世界では、挨拶は男性からするのが礼儀である。レディ・ファースト、そういった西洋的な価値観がファンタジー世界に混ぜ込まれがちであることも理由の一つであろうが、最も大きい理由は、単純に乙女ゲームのプレイヤーとして想定されているのは女性だから、ということだろう。これは形の上では挨拶だが、実質的には女性プレイヤーに対するキャラ紹介である。単なるキャラ紹介に、社交的な儀礼の手順を盛り込んでどれだけリアルにしたところで、ストーリーを円滑に進める上では邪魔にしかならない。設定上、「男性から名乗るのが礼儀」としておいた方が都合がいいに違いない、などと思いながら、ジークの優雅な挨拶を受けた私は、本来の作法に従えば普通に礼の口上を返すところである。しかし、先ほど述べたとおり、重要イベントにおいてこの肉体はしばしば私自身の思い通りになってくれない。自分の意思と無関係に勝手に動き、意図していないセリフが口に上る。
「あら、存じ上げておりますわ。」
手に持った扇子を口に当て、見下したようなうすら笑いを浮べて、私——カトリアーナは答えた。
……って、なにが「存じ上げておりますわ」だコンチクショー!一般庶民としての前世の記憶をもつ私としては、自分がこんな気取ったセリフを吐いてしまうこと自体が考えられないし、正直、恥ずかしい。前世の記憶を取り戻した直後は、自身の口から吐き出される貴族言葉に羞恥心が耐えきれず、意識的に話し方も振る舞いも庶民っぽくしていたのだが、悲しいかな、この世界で長く伯爵令嬢として育てられたおかげで環境に適応し、伯爵令嬢の物言いと立ち居振る舞いが身についてしまっている。自分の適応力が恨めしい。なにより、私、いやカトリアーナちゃん、その返しは違うよね?相手が「僕はジークです」と名乗ったんだから、あなた(私)は「わたしはカトリアーナです」って返すのが普通だよね?泉谷しげるだって「初対面ならお互いに名乗るのが最低の礼儀でしょう」って言ってるよ?
時折言うことを聞かなくなる自身の肉体に対し、私は心の中で指弾、糾弾、徹底批判するのだが、そんな私の内心の声を黙殺したまま一本道のストーリーは進んでいく。こうなったとき、カトリアーナの身体はもはや私の身体ではない。カトリアーナの肉体から切り離された私は完全に、この舞台の傍観者でしかなくなる。
「重ね重ね光栄なことです。今後も是非、お見知りおきを。」
カトリアーナの不躾な態度など意に介さず、ジークは余裕の対応である。カトリアーナは目を細めてクスっと笑う。
「流石ね。”第7”とは言え、王子は王子、といったところかしら?」
「お気に召して戴いたようで、なにより。」
カトリアーナのさらに無礼なもの言いも、ジークは軽く受け流す。
ジーク=クローディス=シャイニングロード。彼は王国の第7王子である。文字通り7番目の王子、したがって王子とはいえ、王位継承権からは遠い位置にある。しかし幼いころからその聡明さを国王に愛され、王宮での人気も高く、次期国王に、と推す声も少なくない。だが、そんな声に上位の継承権を有するジークの兄たちが黙っているはずはない。王宮では次期王位をめぐる暗闘が繰り広げられており、時には血の流されることすらあるという。その熾烈な王位継承権争いの渦中に幼い頃から身を置いているだけあって、自身に向けられた悪意や敵意に対してもジークの受け答えは心得たものである。カトリアーナの言葉ではないが、「流石」といったところだろうか。いや、この程度の嫌味は、これまでにも散々受けてきたということなのかもしれない。
「だけど、あなたは所詮七番目の人。王位にはつけない。」
カトリアーナが、さらにストレートに、神経を逆撫でする言葉をぶつける。流石にジークは不可解なものを感じたのだろう、何も言わず口元に微笑みを浮かべたまま、カトリアーナをじっと見ている。
カトリアーナはジークを見つめ返して言う。
「王になれない男は、私にふさわしくないわ」
ジークの表情から微笑が消え、カトリアーナを睨みつけた。カトリアーナは目を見開く。この瞬間を狙っていたのだ。
「だからあなたを、私にふさわしい男にしてあげる!」
カトリアーナの双眸から広がる暗い闇が、ジークを飲み込んだ!!
カトリアーナ=ヴィトンは両目に闇の魔力を宿している。その魔力を持っている理由は、転生の前後を含め、私の記憶にはない。おそらく『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』の製作スタッフは、カトリアーナの背景について、そこまで詳しい設定を考えていなかったのだろう。とにかく、のっけからガバガバの設定ではあるが、闇の魔力をその瞳に宿しているカトリアーナは、その魔力の一端である『魅了』のスキルによってジーク第7王子に精神的呪縛をかけ、己の虜にし、その思い通りに操る。これが『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期侯爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』のストーリーラインの背景だ。ちなみに、真の主人公がジークルートに入った場合、その主人公がジーク王子にかけられた精神的呪縛を解き、正気に戻ったジークは諸悪の根源たる私を、剣によって斬殺する。ゲーム中の各分岐ルートで悪役カトリアーナがたどる運命はどれもロクなものではないが、その中でもっとも肉体的苦痛を伴う結末だ。私としては、できれば一番回避したいルートである。それに、零落しようが追放されようが、その後は自分次第でなんとかなるが、死んでしまうともはや手の打ちようがない。命あっての物種だ。死ぬことだけは回避しなければ。もちろん、その斬殺エンドに至るルートを成立させないため、事前に散々頭を捻った。そもそも私がジーク王子に闇の魔力をかけなければ、そのルートに入らないのでは?とも思っていたのだが、いざその時に至ると、やはり私の身体が勝手に動いて闇の魔力を発動させてしまう。今、この瞬間も、私自身が望まないにも関わらず、カトリアーナ=ヴィトンは、「悪役令嬢」としての「役割」を全うしようとでもするかのように、私の意思に反して「悪役令嬢」として闇の魔法を発動させてしまった。そう、ストーリー上の重要イベントではいつもこうなる。私の運命は変わらないのだろうか?
「やぁカトリアーナ、入りますよ。」
そう言いながら、扉を開けて部屋に入ってきたのは、カトリアーナの兄のカストルだった。
「え?」
全く予期せぬ事態に驚き、カトリアーナは——いや、私は、カストル兄様の方を見る。ジークもつられてカストル兄様の方を見た。私とジークの2人から注視を受けたカストル兄様はビクっと身をたじろがせ、そのまま立ち尽くす。そして沈黙……まるで時間が止まったかのように、私たち3人はその身が硬直したまま動けない。
やがて、カストル兄様が、引きつったような笑いを浮かべて言った。
「……は、入っちゃまずかったかな?」
(つづく)




