失
フィクションです。
闇バイトを想起させる描写があります。
最初の仕事は簡単だった。小さなダンボールを年寄りの家の前に置きに行く仕事だった。その次は田舎を回った。確か、その次はよく分からない液体を売った。
気づいた頃には、私には何も無かった。
東京の、とある年季の入ったアパート。六畳半に寝転び、今日も私は、いつもと変わらない天井を眺め、一日が終わるのを待っていた。
部屋のインターホンが鳴り、見ずとも大家さんだとわかった。
「工藤さんね、早く家賃払ってもらわないと困るのよ。もう2ヶ月滞納してるわよ。いつ払えそうなの。」
ここの大家さんは優しい。こんな私に、いつも良くしてくれている。
「すみません、今月の15日には払います。」
「あなたねえ、この間もそう言って、払わなかったじゃない。でも、まあいいわ。三度目の正直ね。」
そう言い、部屋を出ていった大家さん。本当に迷惑をかけているなと罪悪感があった。私も人間だ。人の心くらいある。
なけなしのお金で払っているスマホで、アルバイトを探した。
―アルバイト・高時給・即日手渡し―
検索ボックスに都合の良すぎる条件を書き、検索ボタンを押した。
でも、そこには微妙な時給のものしかない。私はできるだけ、労働はしたくなかった。昔、一度だけ飲食店で働いてみたけれど人間関係も、仕事も上手くいかなかったから。それでも、お金は欲しかった。そんな馬鹿みたいな事を考えながら、スクロールしていくと、私にピッタリな情報が流れてきた。
―荷物配達・置き配なので人見知りでもOK!・日給4万円―
これだ。と思った。気づいた頃にはもう、応募ボタンを押していた。メールボックスにそこの代表者からメールが来ていた。そこからはもう、早かった。メールには、来週の今日、URLの場所で話したい。と書かれていた。そこからはもうトントン拍子でね、そのカフェへ行って、なんだか難しい書類に実印を押して、サインを書いて、ついにそのアルバイトの日が来た。
「久住さん。じゃあこのダンボールをこの地図を見て置いてきて。」
私の本名は工藤架純で、なんとなく良くないことをしている気分だったから、なんとなく自分の情報を偽装した。偽名は、久住佳奈にした。特に理由は無い。
「わかりました。」
淡白な返事をし、私はダンボールを受け取った。小さなダンボールで、しかも、とても軽く、非力な私でも簡単にできる仕事だった。
地図通りの場所に着き、私はダンボールを玄関前に置いた。とても古い日本家屋だったが、汚い訳ではなかった。良い歳の取り方は、こういうことなんだろうな、と思った。
「はい、じゃあこれ。給料ね。次はいつ来れる?」
封筒を渡され、中身を確認した。確かに4万円が入っていた。
「ありがとうございます。本当に、いつでも。」
「じゃあ明後日はどう?」
「是非。」
またこれも、トントン拍子で決まってしまった。早く家賃を払わないと、奨学金も返さないと。ああ、先が見えない。
そんなことがあり、私は田舎へ連れてこられた。どうやらこの町を回るらしい。
「今日は猫探しだよ。よろしくね。」
猫探し、こんな夜中に、と、少し疑問を抱いた。
「猫っていうのは、高級車や防犯カメラの隠語。この地図を持って、この辺を回って、猫がいる場所に印をつけてきて、なんでもいいから。じゃあ、よろしく。」
いかにも怪しいが、当時の私はお金が無くて、頭がおかしくなっていた。
「わかりました。」
また、淡白な返事をし、地図を受け取った。私は夜の田舎の町を歩いた。暗くて怖い。そしてとても寒い。
「ちょっとそこのお姉さん。」
誰かから声をかけられ、はっとした。
「はい。」
振り向くと、見回りをしていたであろう警察官がいた。
「何をしているか教えて貰っても?」
少し怖かった。確かに、良くないことをしているのかも、と思っていたから、私は頭を回し、どうにか言い訳を考えた。
「私、東京から来て、スマホの充電もなくて、それで、行き先がわからなくて、なのでいっその事、散歩しようと。」
そう言い、笑ってみる。
「そうですか、気をつけてくださいね。寒いのでこちらどうぞ。危ないのでライトも。返してもらわなくても大丈夫ですので。」
優しい警察官に、嘘をついた事を悪く思った。
「カイロ、ありがとうございます。ライトも。助かります。ちなみに、近くのコンビニとかってどこですか?」
怪しまれないように、そんな会話をする。
「ああ、その地図見せてください。」
まだ何も書いていなくて助かった。私は何もしていませんとでも言うように、地図を開いた。
「現在地はここです。この道を真っ直ぐ、突き当たりを左、その次は右で、そうすると前方に見えてくると思います。ついて行きましょうか?」
地図の道をなぞりながら、説明してくれた。
「いえ、大丈夫です。ありがとうございました。」
会釈をして、コンビニに向かうフリをした。道中、猫がいたところに、しっかり印をつけた。
今日の時給、日給はいくらなのかな。なんて考えながら、田舎を歩き続けた。あまり大きな町ではなく、約2時間で回り終えた。
「おかえり、久住さん、はい。これ、今回の給料ね。」
そう言い、渡された封筒の中には、確かに6万円が入っていた。
「じゃあ次はいつ空いてる?」
「いつでも大丈夫です。」
家賃に奨学金、払わなければならないものが沢山ありすぎて、私はお金があっても足りない状況だった。
「じゃあ、また明後日、メールでURL送るから、そこに来て。」
そう言われ、解散をした。
アパートに着いたのは、午前7時。大家さんの部屋へ向かった。古いインターホンを押すと、痺れるような、ノイズを混ぜた音が響いた。しばらくすると、中から大家さんが出てきた。
「あの、すみません。」
私は、封筒に入った10万円を差し出した。
「2ヶ月分の家賃です。すみません、今月のはまた払います。」
大家さんは驚いた顔でそれを受け取ってくれた。
「はい。確かに10万円、受け取りました。あ、工藤さん、そういえば、ちょっと待っててね。」
そう言い大家さんは部屋の奥に消えていった。
しばらく、玄関にかかっている絵などを眺めていた。
「ほら見てこれ。昨日ね、娘が来てね、今大阪に住んでるんだけどね、これ、お土産くれて、ひとりじゃ食べきれないからあげるわ。」
少し大きめの紙袋を受け取り、覗いてみると、中にはよくテレビで見る、赤と白のストライプの帽子を被った人のお菓子や、可愛らしいお菓子が入っていた。
「あ、ありがとうございます。またお返ししますね。」
なぜこの人はこんなに親切なんだろう。
「いいのよ、そんなのは。じゃあ、家賃、ありがとうね。」
私は部屋に戻り、また眠りについた。
次の日、私はまた、スマホを眺めていた。他にもバイトをしないと、お金が足りないから。SNSを見ていると広告が流れてきた。
―チャットレディしてみませんか?―
チャットレディ。聞いたことがあった。確か、通話やチャットでおじさまからお金を頂くお仕事で、何度か見たことがあった。普通にアルバイトをするよりも稼げるらしく、大学時代にもしていた人がいたような。私はそのままリンクを押し、いろいろな登録をした。
登録した瞬間、たくさんの男の人からいいねやチャットが来た。少し返す度にどんどんポイントが溜まり、少し背徳感があった。音声通話をして、ビデオ通話をして、一日で2万円を稼いだ。そのまま私は眠りについた。
また次の日、メールに貼られたURLの場所に着いた。ホテル街の一角、ラブホテルだった。その街はいろんな色のライトで照らされ、正直、目が痛かった。私よりも若い、立ちんぼのような女の子たちが沢山いて、なんだか変な気持ちだった。
「男だけじゃ入れないから、中にいるこの男にこの瓶を渡して戻ってきて。名前は中野。フロントに言えばすぐ入れるから。」
コロンとした瓶を渡され、私は頷いた。
キラキラ光る建物に足を踏み入れ、フロントにいる店員さんに声をかける。
「805号室に、中野って人いますか?」
未経験なのに、ラブホテルにいるのが少しおかしくて、心臓の音がうるさかった。
「805号室ですね、確認します。」
店員さんはパソコンをカタカタと動かし、私はそんな空気に落ち着かず、キラキラした建物内を見回す。
「はい、いらっしゃいます。お連れ様でしょうか?」
そう聞かれ、はい、と答える。
「タオルやアメニティはお部屋に揃っておりますのでまた何かありましたら、フロント、番号001にお電話いただくか、お部屋のタブレットからお願いします。」
どうやらこの建物に入ることを許可されたみたいだ。
エレベーターに乗り、8階を選ぶ。ソワソワして、仕方がなかった。
805号室のドアをノックする。ドアが開き、中からは思っていたよりも優しそうな人が出てきた。普通のサラリーマンのような人だった。
「あれ、見ない顔だね。何度か彼のところにはお世話になっていてね。はいこれ、代金ね。彼に渡して。それで、品物は?」
現金を生で3万円渡された。あの瓶ってそんなにも高価なんだ。呑気なことを考えながらお金を受け取り、さっき預かった瓶を中野さんに渡す。
「ありがとう。これがないとね。僕やっていけないから。君はもう帰っていいよ。ありがとうね。」
そう言われ私は部屋を出た。今外に出たら、滞在時間が短いから、変に思われるだろうか、そう思いながらフロントに向かうと幸い、誰もいなかった。私はそそくさと建物を後にした。
「久住さん、お疲れ様。今日の給料はさっきの人から受け取った分。今日はもう帰っていいよ。ありがとうね。また連絡する。」
彼はそう言って、高そうな車に乗り行ってしまった。
例のアプリを起動すると、男の人から沢山チャットが来ていた。
―今、新宿にいるんだけれど、会えないかな?もちろん、お小遣いあげるよ。―
奇遇だ、お金を貰えるなら、と、私は返信した。
―ほんとですか?是非。向かいますね。―
新宿に向かい、その男の人が居ると言っていたお店に着いた。小さいけれどオシャレなレストランだった。こうなるのなら、もっとオシャレをしてこればよかったと、後悔した。
―着きました。外にいます。オフショルダーの黒いニットに、白のパンツ履いてます。―
そうチャットをし、しばらく返信を待つ。
―あ、あの方ですね、とても可愛いです。お店入って右の席にいます。黒いスウェットに、白いパンツです。―
あれ、なんだかペアルックみたいになってるなあ。なんて思いながらレストランに入り、その人らしき人の席へ近づく。
「こんにちは、かすみです。」
「こんばんは、かすみちゃん。僕は智也です。よろしくね。」
優しそうな人でよかったと、少し安心した。
「かすみちゃんは何歳?」
レストランのメニューを眺めながらそう聞かれた。
「今年24です。」
「そっか、じゃあお酒飲めるね。お酒は得意?」
「いえ、あまり。」
「苦手なのか、残念だなあ。」
そう言いながらも、ニタリと笑ったように見えた智也さんを前に、私は少し気を張った。
どれくらい時間が経ったのか分からない。結局、智也さんにお酒を飲まされ、下戸な私はすぐに酔いが回ってしまった。ふわふわとした足取りで、お店を出た所までは覚えていた。それ以降は記憶にない。
ふと目が覚めると、知らない天井だった。慌てて体を起こし、気づいた。私は今、何も纏っていない。冷や汗が流れた。隣には気持ちよさそうに寝ている智也さんがいた。もちろん、服は着ていなかった。
本能で、逃げないといけないと、思った。
急いで服を着て、荷物をまとめて、静かに部屋を出た。スマホを見るとメールが沢山届いていた。警察からの着信履歴もあり、肝が冷えた。
どうすることも出来ずに画面を眺めていると、また、警察から電話がかかってきた。反射的に電話に出てしまった。
「おはようございます。警察署です。早朝にすみませんね、工藤架純さんの携帯でお間違いないでしょうか?」
頭が真っ白とはこの事か、と思った、呼吸をするので精一杯。下手をすれば呼吸すら忘れそうだ。
「は、はい。」
寝起きのガサガサとした声でそう答える。
「闇バイトの件でご連絡させて頂きました。どうやら今ね、僕らが目をつけてる団体にあなたが所属してるみたいで。今、お宅に居るんですけど、いつ戻られますかね。」
もう私は、聞かれたことをただ答えるだけの、AIになってしまったかのように、思考が効かなかった。
「あと、10分か15分くらいで、着きます。」
「そうですか。では、お待ちしておりますね。」
そう言われ、電話を切った。逃げようか悩んだ。でもここで逃げれば、私に優しくしてくれた大家さんに、迷惑をかけるかもしれない。そう思い、少し遠い道のりを走った。
アパートに着くと、パトカーが止まっていた。
「工藤さんですよね。署まで同行願います。」
黙って警察について行こうと頷いた。
すると、大家さんが大きい声で、待って、と叫んだ。
「工藤さん。ごめんね、私のせいで。私が家賃の支払いを急かしたせいで。ごめんね。」
泣いていた。私が悪いのに。私は何も言えずにパトカーに乗り込み、警察署へ連れていかれた。
ああ、どこで踏み外したかな。中学生かな。いや、高校生かな、でも、比較的真面目だった気がするし。大学かな。なんか荒れていたし。その後かな。卒業して、ここ1、2年かな。もう後悔しても遅いのにな。なんでこんなことしちゃったかな。
もう私には何もないなあ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
感想、教えて頂きたいです。




