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第8話 渡良瀬センセーション

 午後の授業と終わりのSHRを終え、教室はカバンを閉める音や椅子を引く音で騒がしくなる。

 静寂が破れ弛緩した空気はそこにいる者に自然な会話をもたらし、各々が徒労や放課後の予定などを共有し合ったりしていた。


 それは当然俺も同様で、心が疲れたと言うと、脳がそれじゃあ今日は早く帰ろうとお互いに話し合う。

 俺はそんな二人の一心同体とも言える親友であるため、共に頷きながら黙って帰路につくのだ。

 親友たちと三位一体で黙々と帰り支度をしていると、人影が俺の傍に接近してくる。


「今日も一人なんだ?」

「いや三人だが?」


 心、脳、俺。ほら三人。


「え、どういう事」


 属性忘れて素で聞くのやめろよ。ガチで俺が変な奴みたいじゃないか。


「ま、いっか。どうせ山添一人で帰るんでしょ?」

「それが何か」

「私が一緒に帰ってあげよっか?」


 人影――渡良瀬が余裕綽々な笑みを浮かべこちらを覗き込んでくる。

 ふむ。一応月ヶ瀬にやってみると言った手前やらないわけにもいかないが、かと言って教室で行動を起こすのは周りの視線もあるし少し憚れる。できれば一対一の状況には持ち込みたいところ。ここは素直に頷いておくのが吉かもしれない。


「ならお願いす……」

「あれれ~? もしかして本気にしちゃった?」


 渡良瀬が口元に手を添えニヨニヨと覗き込んでくる。

 そうだよな。お前はそういう奴だった。

 いつもなら適当に受け答えして流すところだが、今日は一応分からせるという目的がある。


 教室の喧騒は、いつの間にかその姿を喊声へと変貌させていた。

 戦場には熱を帯びた颶風が吹き荒れている――


「そっかそっか~期待しちゃったんだねぇ? かわいそ~」

「……」


 なおも煽り散らしてくる渡良瀬だが、無視しカバンを手に取り教室の外へ足を向けた。

 まず分からせを実行するのならここを離れるのがマストだ。クラスの立場的にはまぁ渡良瀬の方が強いしそれに加えて身内喪失バフがかかっている。ある意味渡良瀬の領域とも言えるこの場所で、仮に周囲を巻き込むなどされてしまうと数の暴力で逆に俺が分からされかねないし、なんならこちらの事情を知らない連中が俺を善意の矛で叩きのめそうとしてくる可能性だってある。

 問題はその事をこいつが気づいているかどうかだが。


「あれれ~? もしかして傷ついてなにも言えない感じですかぁ?」

「……」


 挑発的な物言いで渡良瀬が尋ねてくる。

 とりあえず、釣る事には成功しているようだ。渡良瀬は俺に歩調を合わせながら蠅のようにまとわりついてくる。


 分からせを遂行する際に少しでも効果を上げるためには、ここで何も言わず耐え忍ぶことが重要だ。そうする事により後にする俺の反転攻勢に説得力を持たせ、より甚大な被害を敵将に与えられるはず。


「あ、もしかして図星? メンタルよわすぎない?」

「……」


 相変わらず渡良瀬の口撃が降り注ぐ。だがそんなものは俺にとってただの火の粉に過ぎない。腕を一振りすればいとも簡単に振り払えてしまう。


「うわぁ~これ本当に効いちゃってるやつですよねぇ?」

「……」


 段々と図に乗り出す渡良瀬。

 だが耐えろ。動かざる事山のごとしだ。


「ちょっとくらい言い返してもいいんだよ? ほら、がんばれがんばれ♡」

「……っ!」


 馬鹿なっ……⁉ 俺の脳内で渡良瀬の言葉の後に♡マークが映し出されているだと⁉


 そんな事は断じてあってはならない。少しはやるようだが所詮はこわっ(小童)……ひえっ、高校生の浅知恵。不肖十二郎、これしきの事では崩されんッ!


 廊下という名の荒野を駆け抜け、下駄箱へとたどり着く。

 自らの靴箱を開けると、俺よりも先に別の手が差し込まれたと思ったらすぐに引き抜かれた。


 恐る恐るその手の行方を追うと、そこには俺の靴をプラプラさせ口角を吊り上げる渡良瀬の姿。

 そして静かに告げる。


「あーあ、靴なくなっちゃったねぇ?」

「……っ!」


 な、なんて事をしやがるんだぁ!

 そんな事されたら俺は、俺は……いや、落ち着け、落ち着くんだ。大丈夫、こいつは意外と身長が低い……低いから……。


「……」


 無言で靴をひったくる。


「わぉ♡」


 何事も無かったかのように靴を履く。まだ俺は冷静だ。よし、まだやれ、やれ、る、わぉ、わうわう? わおお……わぉって言った? 


 わぉ♡⁉


 なんなんだそれはッ! あと俺の脳は語尾に♡マークつけるのやめろ! これ以上それを付けるならお前とはもう絶交だ! 分かったな! いや違う、冷静に考えたら心も♡マークつけてたな今! お前とも絶交だ!


「女子相手にムキになっちゃってだっさ♡」

「……」


 ダダダダダ、だっさ♡ 

 いや待てこれは脳と心が勝手に♡マークを付けてるだけで冷静に考えたらいつも言われていた事だ。落ち着け俺。

 外へと踏み出し、全てをかなぐり捨て進軍を再開する。


「ねーねー♡ 今どんな気分♡ 女の子にぃ♡ 好き放題やられてぇ♡ ほんとみじめ♡」


 駄目だ、脳みその野郎完全に暴走してやがるッ! どれだけ♡マークをつければ気が済むんだ! というか渡良瀬も渡良瀬で無視し続けたらここまでしつこいとは!


 だがまだだ。まだ、この歩みを止めるわけにはいかない。

 さぁ、あとは正門をくぐるだけ。その先に俺の勝利が!


「よわよわじゅうじろう♡」


 突如耳朶を打つ、渡良瀬の吐息混じりの声に、つい足を止めてしまう。同時に渡良瀬が内緒話をする時のように掌を口元に沿えるのが目に入ってしまい、すぐに視線を逸らし虚空へ固定する。

 待て、待て何を言うつもりだ。頼む、やめろ。やめてくれ。


 だめだ! もうだめだこれ以上は。

 あっ、あっ、あーっ!


 共感性羞恥で死んでしまうッッッ!


「ざぁこ♡ ざぁこ♡」


 囁きかけられ、ガチガチに硬直してしまった首をなんとか回せば、視界の先では渡良瀬が八重歯を見せこちらを見下し、笑っている。

 い、言いやがった……。

 嫌な汗が全身に滲み出ると、体温の上昇を感じる。


 言いやがったこいつうううあああうわああああああ恥で死ぬううううう! 

だってこいつ高校生だぞ! なんでああいう事もそういう事も恥ずかし気もなくそういうことできんだよ⁉ 意味が分からん! 


 靴を奪って勝ち誇る? いや小学生! 挙句には ざこざこ言って愉悦に浸る⁉ 小学生! 


 だいたい俺の性癖を一つ潰した姉だって中学生半ばでこんな低次元な煽り方からは卒業してたぞ! それをこいつという奴は恥も外聞もなく! メスガキはメスガキだからこそ許されるのであってメスガキみたいな事を言ってる高校生はただのやばいやつなんだよ!


 まぁもし俺が煽り耐性もなく小心者の純情可愛い系イケメンとかであれば、むしろ脳が溶けていたのかもしれないよ? だが姉のせいでそこらへんの耐性をばっちり固められた俺にとっては、ただただ高校生がメスガキムーブを謎にかましている、という異様な光景だけがその目に映しだされるんだなこれが!


 ……いや、でも落ち着け。もういいだろう。俺は良く耐えた。見方によれば無敵の人とも言える相手にここまで耐える事ができたんだ。誇っていい。


 気づけば既に学校の敷地外。そう、俺はやり遂げたのだ。少し遠くでは未だ正門から生徒たちがぞろぞろと出てきているが、冷静じゃなかった俺は多くの者が使う王道ルートから外れ、近所からの通いであるような少数派しか使わない道まで来ていた。脳にも心にも裏切られ、共感性羞恥でリタイアあるいは発狂してしまいそうなのも抑え込み今この場に立っているのだ。

 実行に移すには最適なタイミング。


 脳と心はもう使い物にならない。いや、違うか。きっとあいつらは耐えられず壊れてしまっただけだ。今思えば俺が今ここに立ってられるのはあいつらがきっと俺の羞恥を肩代わりしてくれたからに違いない。


 ありがとう、二人とも。

 後は任せろ、ここからは、俺の闘いだ。


 月ヶ瀬式のあの表情、完全再現とまでは行かないが脳にはしっかり焼き付いている。ある程度の再現は可能。


「あのさぁ」

「あっ、やっとしゃべる気になったんだ。偉いねぇ?」


 俺は冷静だ。だから渡良瀬の語尾に♡などはもうつかない。


「お前はいつまで付いてくるつもりなんだ」

「え……」


 月ヶ瀬はあの表情をして無言で威圧すればいいだけと言っていたし、俺もそうするつもりだった。だが自然と口は拒絶の言葉を紡ぎ出す。


「ていうかさ……」


 頭の中には悪意ある表情が浮上し、次第にそのイメージはより濃くはっきりとしていった。


「お前シンプルにうぜーからもう関わってこないでくれるか」


 渡良瀬の方へ向き直る。

 どうせこいつの事だ。いかに俺に悪意ある表情を向けられようと、悪意ある言葉をぶつけられようと、効くなんてことはなく、むしろ見下してきた相手が分不相応にも楯突いてきた事をあざ笑ってくるに違いない。そう思っていた。


 だからこそせめてもの抵抗にとよりきつい言葉を浴びせた。

 再現しうる限りの悪意を表に出力させた。

 しかし、帰ってきた反応はまったく俺の想定の範囲外。


「どうして、そんな事言うの?」


 弱々しく言い放った口元は僅かに笑ってこそいるが、俺を見るその目はあまりに頼りなく揺れ、覚束ない。


 ややあって渡良瀬は俺の脇を通り抜けると、そのまま一人で帰っていく。

 あー……これは一応当初の目的は達成はできたって事だよな。


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