第7話 月ヶ瀬美朔のやぼう。ぱーと②。
「いったん突き放してみるのは有効だと思うんだよね」
月ヶ瀬が当然のようにアドバイスしてくる。
なんかもう渡良瀬の事分からせる気満々みたいだな。
まぁ俺の事を思って言ってくれた月ヶ瀬の善意を無下にするのも悪い気はしてたし、ここは一つ話を聞いてみるか。
「と言いますと」
「渡良瀬さん、普段からじゅうくんにちょっかいかけてきてるよね?」
「まぁ」
猫が前足で物をかき寄せる動作が語源の表現にしてはあまりに可愛げは無いが。
「だから今度ちょっかいかけてきたら冷たくあしらおう」
「うーん、それしても変わらないと思うけど」
なんなら普段からそうしていたつもりだが、意味を成さないどころか拍車をかけたんだよな。
「私は悪い子です。なのではっきり言わせてもらいます」
「お、おう」
月ヶ瀬が急に居住まいを正し、神妙な表情をする。
「まずじゅうくんはちょっと渡良瀬さんに甘すぎると思うんだよね」
「そうか? 別にそういうつもりはないんだけど」
答えると、月ヶ瀬はややこちら側に身を乗り出し、人差し指を突き付けてきた。
「いや、甘い! 甘々です!」
「そ、そうか」
「それで、まぁそんなじゅうくんに渡良瀬さんは甘えすぎてる」
渡良瀬が俺に甘えてるとな。
思い出されるのは完全に俺の事を見下し切った下種の眼差し。
「うん、無いな」
確信をもって伝えるが、月ヶ瀬には響かなかったらしい。
「でもさ、今日の朝なんて言われたんだっけ?」
色々言われすぎてて何言われたかといちいち覚えてないんだが……ああでも芸術の時間、月ヶ瀬に伝えたのは愚痴るきっかけにもなった渡良瀬の発言だから確か……。
「女子を落とすには弱った時に~とかそういうの、分かるけど流石に必死過ぎて情けないみたいな……」
「はいそれです! 甘え!」
えぇ……。これのどこに甘え要素があるんだ。
「じゅう君が自分の事を好きな前提」
髪をかき上げ、不自然なまでに済ました様子で言う月ヶ瀬だが、徐々にその目から光彩が失われていく。
「ほんと、幼馴染という立場にあぐらをかいてじゅう君なら何したって許されると思ってる高慢ちきな女……ムキー!」
目の下にクマができそうな勢いの言い草だったが、結局出てきたのはサルだった。
「だからさ、ちょっと分からせる必要があると思うだよね。ほらほら、いつもは流してるところをブちぎれるみたいな」
一体どんな想定してるんだ月ヶ瀬。
「流石にブちぎれるのはちょっとな。そもそもやり方も分からん。」
「ムキー! って言えばいいんだよ! ムキー!」
渡良瀬が両手を振り上げ虚空に向かって威嚇する。
あ、それブちぎれてたんだ。
つまり突然渡良瀬の前で俺がムキー! って叫べばいいと。
「無理だな」
たぶんそいつ頭イっちゃってるよ。
「うーん、まぁじゅう君優しいから難しいかあ」
それ以前の問題なのだが。
「あ、じゃあさ、すごい冷たい目して黙るだけとかでもいいと思うよ」
「と言われてもな」
そっちはそっちで技術的に難しい。ちなみに月ヶ瀬のブちぎれは精神的に難しい。
「ちょっと待ってね」
ふと月ヶ瀬が俺から顔を背けると、スマホを取り出しこんな感じかなーと何やら自撮りを始めた。
「よし、おけ」
月ヶ瀬はスマホをポッケにしまい、ペチペチと自らの頬を叩く。
「こんな感じで見ればいいと思うよ」
そう言っておもむろに月ヶ瀬が顔をこちらへと再び向ける。
「こ、これは確かに……」
嫌悪と侮蔑と嘲笑を兼ね備えた冷徹な視線。しかし目元とは裏腹に僅かに吊り上がる口角からは、相手を追い詰めようという残虐性が見え隠れする純然たる悪意がそこにはあった。
これは、本当に月ヶ瀬なのか……?
あまりの変貌に喉の奥が乾きうまく発声できないでいると、ふっと月ヶ瀬の表情が和らぐ。
「ちなみに今のは中学の時私が先輩に向けられたことのある顔です」
「……」
再び絶句する俺に向けられるのは、慈悲深き大仏の微笑み。
これはうっかり深淵を垣間見てしまったようだ……。
「……まぁ、やってみるか」
正直あんな表情をする自信は無いが、今はとにかく話を進めて一刻も早くこの片栗粉で固めたような重いような重くないようなそれでも気まずいのは確かである空気を断ち切りたかった。
「うんうんその意気だよじゅうくん!」
月ヶ瀬は目を爛々とさせて鼓舞してくると、軽やかにスカートの裾をはたきながら立ち上がる。
「それでもしもっとなんかこう、予想外の事起きたらまた私に言ってね。相談に乗るからさ」
力強い月ヶ瀬の笑みがこちらへ向く。
なんかいい感じに締めようとしてくれるのはいいが、今回別に俺から相談とか持ち掛けたわけじゃない気がする。
ただ、月ヶ瀬が俺を思って行動してくれたのは普通に嬉しいのでここは素直に頷かせてもらう。
「ありがとう、そうさせてもらう」
昼休みもそろそろ終わるだろう。俺もまた立ち上がり、なんとなく空に目を向けてみた。
相変わらずの曇り空ではあるが、朝とは違い幾らか雲は薄く、太陽の光を感じられるまでにはなっている。
「さて、俺はもう教室に帰るが……」
「むっふふ~! これですべてはきっとうまくいくはず!」
視線を移し声をかけようとするが、月ヶ瀬は何やら独特な笑い方をしながら自分の世界に浸っているようだった。
うまくいく、か。この場合どうなればうまく行ったと言えるのだろうか。
まぁ考えても仕方ないか。一応月ヶ瀬のアドバイス通りに行動はしてみるが、ただ月ヶ瀬の善意を無下にしたくないからそうするだけだしな。




