第35話 テンプテーション渡良瀬
これこそ真の梅雨の晴れ間というやつか。
見上げれば久々に空は青く澄みわたり、太陽は煌々と輝きその存在感を存分に示している。
お別れする日にしては少々似つかわしくないが、お見送りするには絶好の日和。
渡良瀬の家を知らないという月ヶ瀬を迎えに行くため生駒駅までやってくると、すぐにその姿を見つけることができた。
「あ、じゅう君!」
手を振る月ヶ瀬はいつもの制服とは違う装い。カジュアルな雰囲気のポロシャツと水色のスカートは涼し気で、色合いは初夏をそのまま体現してるように感じた。
「わざわざごめんね~じゅう君」
「全然大丈夫」
電車は使えばすぐな上、定期なので実質ノーダメージだ。
「ありがとう、にしても晴れた途端すごいあっついねぇ」
「だな」
二週間くらい前までは半袖で少し肌寒い日だってあったのに、今や見る影も無し。すっかり初夏の名に相応しい気候だ。完全に夏になればもっと暑くなると思うと今から恐ろしい。
「それじゃ、行くか」
月ヶ瀬も定期らしいので、改札へと足を向ける。
一応徒歩でも家には行けるが、少しでも時短できればいいし何より暑い。
「月ヶ瀬は何買ったんだっけ?」
「茶菓子しにした!」
月ヶ瀬が手に持つ紙袋を掲げる。
「じゅう君はふくさ? だっけ」
「おう。安物だけどな」
帛紗の値段はぴんからきりまであり、高いのでは数万円する。流石にそのレベルを買うのはお年玉を崩しても厳しいので、数千円程度のお手頃なやつにしている。まぁ練習なりで雑に扱ってもらえれば万々歳だな。
「はーでも、渡良瀬さんとお別れかー。もっと仲良くなれたと思うんだけどな~」
「中三の時はグループ違ったんだっけ」
「そう! やっぱり女子同士のグループの壁ってどうしても発生しちゃうから……」
そう言う月ヶ瀬の顔には徒労が見え隠れしている。
女子も色々と大変なんだな。
「せめて高校はクラスを一緒にしてくれていれば、同志として意気投合できたかもしれないのに~。許し難し、北山高校!」
月ヶ瀬がぐっと拳を握りこみ自らが通う学び舎に対しての怒りを表現する。
そこらへんは高校も悪くないとは思うが……それよりも少し気になる言葉があったな。
「同志っていうと、何か趣味が同じだったりしたのか?」
「え⁉」
尋ねると、月ヶ瀬は素っ頓狂な声を上げる。
やや顔が赤いが暑さのせいだろうか。
「それは~まぁ、一方で正解で一方で不正解のような~実際お話してみない事には分からないとは思いますけども~……」
目を泳がせながらしどろもどろに言う月ヶ瀬。まぁ男子の知りえない何かはそこにあるのかもしれない。
「と、とにかく! はやく行っくぞ~お~!」
階段でホームに降りれば電車の扉が丁度開いたので、月ヶ瀬は慌てた様子で電車に乗り込む。やはり暑かったかのかもしれない。節電してるのか空調聞いてなかったもんな構内も。
俺も電車に乗り込むと、束の間の涼しさにひとまず息を吐いた。
が、所詮一駅。電車で移動できる距離はしれている。
すぐに暑い外へと再び身を投じる事になってしまうのだった。
♢ ♢ ♢
住宅街を月ヶ瀬と共に歩き、いつものカーブミラーの所を俺の家ではなく渡良瀬の家へと向かう。
しばらく進み突き当たりを曲がれば、渡良瀬の家のある通りへと出た。
奥を見てみればワゴン車が停車しており、手前では渡良瀬と釜戸が話している。
二人ともこちらに気づき、手を振ってくるので適当に応じつつ合流すると、渡良瀬の視線は月ヶ瀬の方へと向いてるみたいだった。
「月ヶ瀬さんも来てくれたんだ……山添と二人で」
ゆっくり視線を逸らし、渡良瀬はやや気まずそうに頬を掻く。
「え、ああいや……たまたま転校するって聞いて、同中三組かつ同じ高校の同志として行くしかないと……じゅう君とは、ちょっとお家が分からないので駅まで迎えに来てもらった感じで~……」
そういえば俺たちのクラス三組だったっけ。忘れてた。
「へ、へぇ……そっか。迎えに……あ、でも来てくれたのはほんとに嬉しい、よ? でも住所とかは聞いてくれても全然良かったかもって」
両者の間にはいつの間にか謎に気まずそうな空気が漂い始めていた。あれ、意気投合できそうだったのにって聞いたばっかりだったんだが。
「そ、そう言ってくれると幸いだな~、いやぁ、突然連絡して住所聞くのは、あれかなーって、思っちゃって、あはは……」
「き、気にしなくても、大丈夫だったよ? 仲間だし」
「う、うん。そうだよね、ごめん」
特に渡良瀬は怒った様子は無くむしろ気遣っている感じもあるのだが、月ヶ瀬は何故か申し訳なさそうに謝っている。
空気がやけに重苦しくなってきている気がするのは、温帯湿潤気候特有の蒸し暑さに晒されてるせいだろうか。
束の間の沈黙が訪れると、月ヶ瀬が思い出したかのよう紙袋を差し出す。
「あ、そ、そうだこれ、つまらないものですが……」
「お、お心遣い、ありがとうございます」
「い、いえいえ……」
ぎこちない選別の受け渡しが終わると、月ヶ瀬が頭に手を添え取り繕う様に笑う。
「じゃ、じゃあお別れの挨拶できたし、私は行こっかなぁ?」
「え、もう行くのか?」
「に、任務は無事遂行したので! それじゃ、またねみんな、渡良瀬さんグッドラック!」
月ヶ瀬は一つ敬礼すると、逃げるように元々来た突きあたりの角を曲がっていく。
まだ出発までちょっとあるし、もうちょっと話せばいいのに。やっぱ太陽が暑すぎたのか?
「山添君のせいだよ~?」
ふと釜戸が俺に耳打ちしてくる。
「え、俺? 月ヶ瀬が帰ったのがか?」
「うーんそれもあるけどお、まぁ全部?」
「なんだそりゃ」
要領を得ない奴だな。
「ま、いっか~私は先に来てもういっぱい喋ったし、空気読んでそろそろお暇しちゃおっかな~」
釜戸は俺から離れると、渡良瀬へと向き直る。
「じゃあ私も、そろそろ行くね、るこち」
「う、うん」
その言葉に少し寂しそうにする渡良瀬。
「また絶対会おう。今度は夏休み!」
渡良瀬は両肩に手を添えてきた釜戸に力強く頷かれると、笑みを浮かべて頷き返した。
「うん!」
二人は抱き合い、釜戸もまたこの場を離れてく。
場には俺と渡良瀬だけが取り残された。
「これ、餞別」
渡良瀬に和紙っぽい素材で包装された帛紗を渡す。
「え、ほんと? あけてもいい?」
「別にいいけど大したもんじゃないぞ」
「やた」
渡良瀬が丁寧に包装を剥がせば、アジサイのような花の刺繍が施された、薄桃色の古帛紗が姿を現す。
「わぁ~!」
古帛紗を広げた渡良瀬は折ったり手に乗せたりしつつも、まじまじと柄を眺める。
あまり贈り物とかしないからどういう基準で選ぶべきか一時間以上悩んだ末にこれにしたわけだが大丈夫だっただろうか。そもそも古帛紗で良かったのかとかも踏まえて非常に不安だ。
「俺たぶんセンスとか無いから、変なやつだったら申し訳ない」
つい自信の無い言葉を零してしまうと、渡良瀬は首を振る。
「ううん、すごく可愛い! ありがとう山添!」
「そ、そうか。それなら良かった」
あまりに屈託のない笑みで言われ不安は吹き飛んだが、その代わりやや気恥ずかしくなってしまった。
喜ばれすぎるのも考え物だな。
「でもそっか、これから傍に山添いなくなっちゃうんだよね」
渡良瀬がぽそりと呟く。
「寂しくなるな」
昔も最近も、関係性の違いはあれどいつも常に渡良瀬は俺の周りにいた。そんな存在がこれからいなくなるんだ、やはり寂寥感の一つや二つ覚えてしまう。
「瑠子~そろそろ時間やばいかも~」
ふと、車から渡良瀬の母親が声をかけてくるので渡良瀬が振り返る。
「え、もう?」
「ごめーん、夜にリモート会議が入っちゃって~」
ふむ、相変わらず忙しいんだなママさん。
「わ、分かった」
渡良瀬が頷くと、再びこちらへと向き直る。
「その、とぱちゃんにも言ってるんだけど、また夏休みにはここに戻って来る予定で」
「なるほど」
それで夏休み会おうって言ってたのか。
「だからその、またその時は、一緒にいてくれる?」
渡良瀬は頬を染めると、上目がちにこちらの方を見る。
どうせ夏休みなんて暇だろうし、幾らでも予定なんて空けられるよな。
「おう」
頷いてやると、渡良瀬が顔をぱっと綻ばせる。
「ほんとに? 約束だよ、忘れちゃだめだからね?」
「大丈夫だ」
「絶対忘れないでね!」
「あーやっぱり忘れちゃうかも」
「っ⁉」
出来心で言ってみると、渡良瀬はショックを受けた様子で目を丸くし、口をぱくぱくさせる。
そんなびっくりせんでも。
「冗談だって。夏休みだろ? 言ってもすぐだし、流石に忘れない」
「も~!」
渡良瀬は頬を膨らませながら俺の事をぽかぽか殴ってくると、やがてゆっくりと動作を止める。
そのまま俺の方をじっと見つめだすと、おもむろに口を開いた。
「山添、耳貸して」
「お、おう……」
意図が分からず、とりあえず言われるがまま顔を寄せていったその瞬間だった。
渡良瀬がぱっと顔を近づけてきたかと思えば、頬の辺りにふわっとした何かが触れる。
少ししてからゆっくり離れていくその今まで感じた事のない感触に、心臓の鼓動が波打つのを感じた。
「これで、絶対忘れられないね?」
やや恥ずかしそうに頬を染めながらも勝気な笑みを浮かべ、渡良瀬が言い放つ。
そのままくるっと身を翻すと、ぱたぱたと車の中へと駆けこんでいった。
「またね山添!」
渡良瀬が窓から顔を覗かせ手を振ると、車が発進する。
手を振り返すのに少し遅れてしまったが、なんとか見えなくなる前に手を上げると、完全に俺一人となってしまった。
しかし、じっとしていると暑さでどうにかなってしまいそうだったので、何気なく渡良瀬の家の前まで行ってみる。
目の前には昔ながら日本風の民家がそこには佇み、門の所には渡良瀬と都祁、二つの表札が並んでいた。
都祁というのは恐らくおばちゃんの方の姓だろう。
何気なく、手を合わせる。
おばちゃんの孫は、日々立派に成長していますよと。
「帰るか」
もと来た道を引き返し、突きあたりを曲がれば見知った人影が二人いた。
「お前ら帰ったんじゃないのか」
角を見れば、ニヨニヨといやらしい笑みを浮かべる釜戸と、青空の下なのに目を曇らせ茫然と立ち尽くす月ヶ瀬の姿があった。
「いいもの見れるかな~と思ったら本当にいいもの見れちゃったぁ~」
「のぞき見とはいい趣味してるな」
「ねぇねぇ、山添くん、どんな気分? ねぇねぇ?」
皮肉をぶつけてみたがまるで効いてやしない。こりゃしばらく面倒な事になりそうだ。
こういうのは無視に限ると良心たる月ヶ瀬の方へと目を向ける、が。
「今、あれ? え? あは、あはは……」
なんかよく分からんが、そっとしておいた方がよさそうかもしれない。




