第32話 近づく
百貨店の一画にある休憩スペースでは非常に気まずい空気が流れている。
高校生三人が一つの机を囲み集まれば会話の一つくらいは普通起きるだろうが、一人は真っ赤にした顔を手で覆い隠し、一人はぽかーんと口を開けて放心状態。そして最後の一人俺は、この状況をどうしたものかと懸命に解決策を考えていたため、重苦しい沈黙がただただ場を支配していた。
そして俺は決めた。もはや誰かの犠牲なしにこの場を治めるのは不可能なので、潔く俺は自分が犠牲になる道を選ばず、釜戸をばっさり切り捨てる事にしようと。
「月ヶ瀬、少しいいか」
「はいい!」
背筋を伸ばす月ヶ瀬に、釜戸に聞こえないよう後ろに向いてもらう。
「あいつが例の友達の釜戸燈子なんだが、実はクラスで有名な痴女なんだ」
「え?」
俺の言葉に月ヶ瀬が困惑した様子を見せる。
話は盛ったが別に完全に嘘というわけじゃない。あんな事をする女は痴女と言っても差し支えないからな。
「常日頃から何か色んな奴にああいう事をしててな、正直俺も困っている」
話は盛ったが、あいつから仕掛けてきたのは間違いないし困らされたのも事実だ。
「そ、そうなんだ?」
「そう。だからさっきのあれはあいつが性欲を持て余して一方的に俺を使って満たそうとしてきた結果というわけだ」
話は作ったが、俺と月ヶ瀬の信頼関係があればきっと信じてくれる。
「お、おおう……なんてこったい」
ややおっかなびっくりと言った様子で頬を紅くしながら聞き入る月ヶ瀬。その瞳は徐々にかつての月ヶ瀬の輝きを取り戻しつつある。
俺への誤解が解けてきた証拠だな。釜戸への誤解は深まるばかりだろうが。
「ね、ねぇ、二人ともさっきから何話してるのかな~……?」
俺達が二人でコソコソ話してるのに不安を覚えたのか、ここに来るまでずっと沈黙していた釜戸が後ろから声をかけてくる。
顔を見ればまだほんのり熱っぽく羞恥は抜けきってないようだが、とりあえず会話できるくらいには回復したらしい。あるいは現実を直視しない道を選んだだけかもしれないが。
「別に大した事は話してない」
しらを切っておくと、月ヶ瀬もやや気まずそうにしながらも首を何度も縦に振る。
「ほんとかなぁ……」
訝しむ釜戸だが、実際大した話は本当にしていない。せいぜい月ヶ瀬が釜戸の事を痴女だと認識するように吹き込んでただけだ。
「まぁいいけどお……それでー……」
釜戸が月ヶ瀬の方を見やる。そういえばこの二人初対面か。月ヶ瀬の方も名前とかは俺から聞いてるが、会った事は無いはずだ。まぁあのヨネダカフェでニアミスはしてるんだけども。
「あ、そっか、名前まだ言ってなかった! 私は月ヶ瀬美朔! 確か釜戸燈子さんだよね? えとー……じゅう君からはお噂はかねがね」
月ヶ瀬はふら~っと胸の方を見ると、やや恥ずかしそうに頬を掻きながらに目を逸らす。まぁ痴女は直視しづらいよな。
「じゅう君ってもしかして山添君の事?」
「はい、僭越ながらそう呼ばせていただいております」
お道化た調子で月ヶ瀬が頭を下げる。
「そうなんだぁ~! でもそっかあじゅう君ねぇ? 仲良いんだぁ?」
釜戸がによによとこちらの方を見てくる。チッ、このメギツネが。見え透いているんだよ貴様のやり口は。
「妬くなよスマホ泥棒」
「にゃっ……⁉」
俺の言葉に、身体を強張らせ再び顔を紅くする釜戸。
傷口を掘り返し先ほどの羞恥を再び呼び覚まし黙らせたところで、月ヶ瀬の方へと向き直る。
「で、月ヶ瀬……」
「あ、うん!」
呼びかけると、月ヶ瀬がびっくりしたように肩をびくつかせる。何やらそわそわしている。
百貨店に来た目的を教えようとしただけだが、少し気になる反応だな。
「どうした?」
「あー、いやぁ、えっと……」
尋ねると、目を泳がせながら言うか迷っている様子だったが、やがてその視線は控えめにこちらの方へと向く。
「じゅ、じゅう君が私と仲良いって思ってくれてるのか気になっちゃいまして……」
「え? ああ……」
不安故にはぐらかした節はあったので、そこを聞かれてしまうと弱い。
仮に肯定して引かれでもしたら立ち直れる気がしないからな。でもまぁ、月ヶ瀬は釜戸とか昔の渡良瀬とは違ってお盆ひっくり返してくるような事はしないと思うし、聞いて来たって事はたぶん大丈夫って事だよな?
「勝手ながら、仲良いとは思わせてもらってますけども」
「そ、そっかー……」
意を決し答えると、何か感情を堪えてるかのような笑みを浮かべる。
これは……どっちだ? 引き笑いかそれとも照れ隠し的な笑いか。
「これは来てるっ! ついに私にも太平洋のビッグウェーブが!」
月ヶ瀬は立ち上がると、突然吠えだした。
なるほどどれでもなかったか。どうやらわけのわからない事を叫びたい衝動に駆られていただけらしい。
まぁ嫌がられたわけでは無かったようなのでひとまず安心。
「それで、まほろちゃ商店だったか」
とりあえずあらかた誤解もといたと思うので、本来の目的へと立ち返り釜戸の方へと目を向ける。
見てみれば、釜戸はまた手で顔を覆い隠していた。
どうやら傷口に塩を塗ったのがまだ効いていたらしい。
「おい釜戸」
「はっ……!」
我に返ったらしい釜戸だが、心を落ち着けるためかこほんと一つ咳払いをする。
「じゃあそろそろ行こっか~。美朔ちゃんはどうする? 私たちは転校する友達への贈り物買いに行くところなんだけど、あれだったらみんなでお茶とかしてもいいし~」
釜戸もなんとか持ち直したか、そんな事を月ヶ瀬に提案する。
ふむ、お茶か。面倒臭そうだし、なんとか釜戸抜きにできる方法はないか考えておこう。渡良瀬ならともかく、月ヶ瀬だとちょっとな。
ヨネダカフェでの釜戸の蛮行を思い出している間にも、二人の間で会話は進む。
「転校生って渡良瀬さんだよね?」
「え、るこちの事知ってるの?」
「実は中学の時同じクラスだったんだ~」
「え、そうだったんだ~すごおい! あ、でもそっか、山添くんと仲良いって事は少なくとも中学は一緒って事だもんね」
釜戸が納得したように手を叩く。
これ暗に俺が他クラスに友達なんているわけないよねって言われてる? 事実だから何も言い返せないんだよね。
「じゃあ私も渡良瀬さんに何か買おうかな! 最近もお話したし!」
「じゃ、決まり。れっつ三人でまほろちゃ商店へ~」
「ごーご~!」
ふむ、いつの間にか仲良さそうだなこの二人。
こうやって人と人は友達になっていくんだなぁ。俺には到底真似できないが。
その後、商店へと繰り出しお茶などもしながら、ゆったりとした時は過ぎて行った。
だがそれも振り返ってみれば一瞬。それからは思いのほか早く進んでしまった時は、俺をいつの間にか公開茶会当日へと運んでいたのだった。




