第3話 きっと分岐点の一つではあったのだろう
季節は初夏。人生初である高校の中間考査を乗り切り、そろそろ今の環境にも体が慣れてきたかもしれない。
実家からの通いのため、途中までの通学路の風景は変わり映えしないものの、中学の頃と違い電車を利用したり遠方なのもあって全ては新鮮に映る。
少し遠くへと目を向ければ、県境の山が大きくそびえ立っていた。あれを越えればすぐそこは隣県。いつもと変わらないはずのその風景も、やはり新鮮。
だが、そんなものを全て打ち壊してしまうようなありふれた光景がすぐ目の前にはあった。
「ねぇねぇ今どんな気分?」
「はぁ?」
帰り道、電車を降り駅から家へ向かっていたらこれだ。
さっさと歩き始めると、ちろちろと俺の周りを渡良瀬が闊歩しだす。
「未だにクラスに友達の一人もできずに一人みじめに歩いてるんだよ?」
「別に友達とまではいかなくてもしゃべる奴くらいはいるっての」
「うわぁ~そうやって自分を慰めてるんだ~? だっさ」
挑発でもしてるつもりなのか、渡良瀬はこれ見よがしに八重歯を覗かせる。
「……はいはいダサいダサい」
何言ったって俺を貶める事しか頭に無いからな……。仮に事実と異なっても反論するだけ無駄だ。
少し喋ったらはいもう友達なんてのは頭お花畑な連中の戯言。俺からしてみれば一ヵ月やそこらで出会って多少喋った仲なだけの他人を友達というカテゴリーに当てはめようとしてる奴のほうがよっぽど自分を慰めてるように見えるね。おかげで俺はクラスの空気になる事ができている。そして空気は人類に必要不可欠。よって誇らしい。
「で、高校になってさらに友達をたくさん増やしてドヤってるお前が何で俺なんかに構ってくるんだ?」
「私にも情ってものがあるわけですよ。不本意とは言え長年近くにいる奴がこうもかわいそーな姿してると構ってあげたくなるってわけ」
俺の歩調に合わせつつ手前に躍り出ると、手で口元を隠しクスクスと笑いながらじっとりとした視線を向けてくる。
可哀そうな奴に罵詈雑言を、しかも人前で普段から浴びせているとはとんだ性悪鬼畜女って認識でいいよな。
「あれれ~? もしかして何か期待しちゃってたんですかぁ?」
「いや全然」
証拠にこれっぽっちも怒りが湧いてこない。
「強がっちゃってだっさ~。ごめんね? 勘違いさせちゃって」
渡良瀬は横に並ぶと、困ったように笑いながら手を合わせ横から首を伸ばしてくる。
なんかやっぱこいつウゼ……いやいや落ち着け俺。ここで怒ってしまっては自ら相手のステージに上がるようなものだ。こういうのは無難に無視すればそのうち相手が飽きる。姉でそれは学習しただろう。
「そういえばおばちゃんは最近元気してるか?」
平静を取り戻すべく話題を変えていく。
「え、おばあちゃん?」
俺の問いかけに、渡良瀬は初めて強気な身を引っ込め目を泳がせる。
こいつは両親が共働きで東京に出てるため、家にいたのはいつも祖母であるおばちゃんだ。俺は親しみを込めておばちゃんと呼んでる。昔はよく遊びには行ってお世話になったが、最近はそんな事も無くなったので近況を知らない。
「べ、別に今それ関係ないよね? 露骨な話題逸らししないでもらっていいですかあ?」
まぁ確かに話題逸らしに変わりは無いものの、妙だな。
「なんか喧嘩とかでもしてるのか?」
「いやしないしない、全然仲良いけど。ていうか私の話聞いてますー?」
「聞いてるから尋ねてるんだが」
ただの腐れ縁とは言え幼馴染だからな、いつもと違う様子を見せられたら多少は気になる。
「はいはい分かりました、どーしても勘違いしちゃったのが悔しかったんでしょー?」
なおも答えようとしない渡良瀬。
こっちは真剣に聞いてたんだけどな……まぁこいつの事を心配するだけ野暮というものか。どうせ喧嘩まではいかずとも些細な言い合いをしちゃったとかそんな事だろう。それを俺に当たってストレスを発散してるに違いない。
昔の姉もそうだったからな。こういうのは嵐が過ぎ去るのをひたすら静かに待つに限る。深く考えるだけ無駄だ。
「はぁ、もうそれでいいよ」
諦念と共にため息を吐き出すと、そそくさと渡良瀬は俺から離れていく。
「じゃ、じゃあ私あっちだから、一応言っとくけど寂しいからって付いてくるのやめてくださいね~?」
気づけば分かれ道まで来ていたらしい。
先ほどと変わらずどこか戸惑ってるような雰囲気だが、気にしても仕方ない。
「誰が付いていくかよ。じゃあな」
ふと上へ目を向ければ古ぼけたカーブミラーが俺たちを俯瞰しながら見ている。
昔はよくここで待ち合わせしたりしたものだが、いつの間にかそんな事も無くなった。
俺はさっさと視線を自宅の方へ向けると、これ以上振り返ろうとはせず足を動かす。
――そしてその三日後だった。おばちゃんの訃報が俺の耳に届いたのは。