第24話 あいくらうど月ヶ瀬。
それから間もなくして、渡良瀬がトイレから戻ってきた。
「あれ、先輩たちは?」
「先に帰った」
「あ、そうなんだ……私が待たせちゃったからかな……」
渡良瀬が少し不安そうにする。
「安心しろ。俺のせいだから」
「山添のせい?」
こてんと渡良瀬が首を傾げる。
ふむ、どこまで説明したものか。
「まぁ、芦木先輩の誘いを俺が断ったんだよ」
「誘い……も、もしかしてデート⁉」
「そんなとこだな」
実際は違うが、間違ってもいないだろう。
「そ、そういう事だったんだ」
渡良瀬は頬を染めつつ下を向き目を瞬かせる。
何を考えてるのかは分からないが、とりあえず納得はしてくれたみたいだ。
「俺達も帰るか」
「う、うん」
改札へ歩いていくと、ややおどおどしながらも渡良瀬が付いてくる。
そのタイミグで丁度各駅電車がやってくるので乗り込めば、少し到着するのが早かったらしく、扉は開いたまま電車は動かない。
「そういえば月ヶ瀬さんとも会ったんだよね?」
発車を待っていると、出し抜けに渡良瀬がそんな事を尋ねてくる。
「ん、なんで月ヶ瀬の名前が出てくるんだ」
「えと、トイレから私が出る時月ヶ瀬さんが入ってきてぶつかりそうになってね、その時に渡良瀬さんも来てたんだって言われたから……」
渡良瀬の言葉に嫌な汗が背中に滲むのを感じる。
「いや、俺は月ヶ瀬とは会ってないぞ……」
「あれ、そうなんだ」
だが渡良瀬も、という事は月ヶ瀬は渡良瀬との共通の知人を少なくとも見かけてたって事だよな……そんなもん俺くらいしか。
もし本当に見られていたのならどうだ。一緒にいるだけならまだいい。だがもし全て知った上で味方であったはずの人間が、かつて自らを苦しめた相手と深く触れ合っていたら? それはきっと当人の心を深く傷つけるに違いない。
いやでもまだ決めつけるには早いか……? もしかしたら中学時代のクラスメイトがたまたまいたって場合もある。早とちりせずここは一旦落ち着いて……。
「でもなんか具合悪そうにしてた気がするけど、大丈夫かな……」
渡良瀬が呟くのが聞こえ、焦燥が背中から押し寄せてくる。
見てたか見てないか、それ以前に具合が悪いっていうならそれだけで探す理由としては十分じゃないか。
扉の閉まるアナウンスが流れるので、外へと出る。
「山添⁉」
「すまん、先帰っといてくれ」
振り返り言うと、扉が閉まり渡良瀬の姿が隠れる。
電車が走り出す音を背中に浴びながら、駅員の人に頼んで改札から出してもらう。
コンビニまで走りその脇の階段を上れば、それぞれのトイレマークが目に入る。
流石に中は確認できないが、確かこの通路を出たところにベンチがあった。
昔は公衆電話コーナーだったが、今は撤去されて駅の様子と外の道路を見下ろせる吹き抜けの休憩スペースになっているはずだ。
そこなら改札も見ることができるし、万が一まだ中にいても見つけることができる。
通路から出ていくと、丁度そのベンチに俯き加減で月ヶ瀬が座っていた。
その姿にいかに自らの行いが愚かな事だったのかを思い知る。
これはたぶん防げた事だ。芦木が接触してきた時に余計な気など起こさず、冷静に距離を置けばよかっただけの話。それさえしていれば芦木の目論見も潰えたに違いないのだ。
あんなのは自分の苛立ちを発散するための自慰行為となんら変わらなかった。
「月ヶ瀬……!」
呼ぶと、ゆっくりと月ヶ瀬が顔を上げる。
「え、じゅう君……? でも芦木先輩と……」
こちらを見る目にはいつものような輝きは無く、顔色も良くない。
名前が出たという事はやはり見られていたらしい。
「その、芦木の事なんだけどな……」
「そ、そうだよね!」
月ヶ瀬が背筋を伸ばすと、明らかに無理した様子で笑顔を作る。
「あ、芦木先輩美人だもん、おまけにスタイルもいいし、全然その、好きになるの分かっちゃうなあ。うんうん」
「違うんだ」
「だ、大丈夫大丈夫! 確かにその、私はちょっと嫌われてたけど、部活の人達からはけっこう頼りにされてたし……むしろ私が空気読めないのが悪くて、ほんとに、全然気にしなくても……」
矢継ぎ早にまくしたてる月ヶ瀬だが、その語気はどんどん弱まっていく。
「月ヶ瀬」
「ほんと、私じゅう君が幸せになってくれたらそれで嬉しいから……だから……」
「頼む聞いてほしい」
まるで声が届いていないようだったので、無礼を承知で肩に手を置き無理やり目を合わせる。
簡単に手で覆えてしまう月ヶ瀬の肩は思いのほか頼りない。
こちらに向いているはずの目はまるで俺の事を見ておらず、ただ深い悲しみと恐怖が寒々しく混在しているような気がした。
「結果的に月ヶ瀬を傷つけてしまう事になったのになんて謝ったらいいのか分からない。でも俺はあいつの事は今も昔も嫌いなのは変わらない。何せ月ヶ瀬に色々として酷い事をしてきた奴だからな。だから付き合うなんてもってのほかだし、俺は今も月ヶ瀬の味方でいたいと心から思ってる」
一思いに伝えると、ようやく俺の事を捉えた瞳が弱々しく揺れる。
「で、でもさっき……すごく……仲良さそうに二人で……」
「何から、説明するべきかな。たぶん月ヶ瀬は芦木が一方的にベタベタしてきた所を見たんだよな?」
「背中に当たってた……」
なるほどやはり当てられてたのか……。
「あれは芦木が本倉みたいに俺を落とそうと行動した結果で、そこに俺の意志は無いんだ。ただああなったのは俺の勝手な行動が原因でもあって、だから普通に俺が悪い事でもあって……」
気まずいやら申し訳ないやらではっきりしない言い方になってしまうが、月ヶ瀬も話を聞く気になってくれたのか俺へ疑問を投げかけてきた。
「勝手な、行動?」
「……そうだ。昨日のカフェの事で目をつけられたみたいでな、どうにも俺を味方に付けようと画策してたみたいだから仕返しするために途中まで話に乗るふりをしたんだ。今はほんと馬鹿な真似をしたと思ってる」
昨日カフェでの月ヶ瀬に対する芦木の態度に俺は怒りを覚えた。自分でもびっくりするくらい苛々していた感覚は今もまだ残っている。
朝の電車でもそうだ、月ヶ瀬に対してセクハラまがいの事をしてきたあの野郎にどうにもムカついて……。
そんな頃に芦木が、それも明確に月ヶ瀬を害するためであろう接触をしてきたものだからいよいよ何かしてやらないと気が済まなくなった。
結果、手前勝手な正義感を振りかざし、どうにかして仕返ししてやろうと、月ヶ瀬に頼まれたわけでも無いのに芦木に近づいた。
それはもう月ヶ瀬のためなんて崇高な理由などなく、ただただ俺のうっ憤を晴らすためだけの行為に走っていたのだと、さっきまで気づいてなかったんだから救いようがない。
「えと、という事は、私のためにじゅう君があの人と一緒にいたって事……?」
「……いや。確かに月ヶ瀬に対しての昨日のカフェの事とか昔の事とかでムカついてたからなんだけど、それでやり返そうってなっても結局それって自分のためだ。馬鹿な話だよ」
これが自嘲せずにはいられるだろうか。
「だからなんていうか、ほんとにごめん。変な心配かけたよな」
しっかりと謝る。今回の事は流石に浅慮が過ぎた。
「でも、ムカついてくれてたんだ……」
月ヶ瀬がぽそりと呟くと、徐々にその目に光が戻り始め、今度こそしっかりと俺へと焦点が合わさったようだった。
ややあって、頬に血色が戻りその瞳からほんの少しだけ雫が零れ落ちる。
「よ、良かったあ!」
月ヶ瀬がこちらに身を預ける。
「私、またあの人に大切な人奪われたんだって思って、でもじゅう君までいなくなったら今度こそ本当に一人で抱えないと駄目になるからっ……!」
その言葉を聞き、自らの失態を責められるべき立場だというのに、愚かにもホッとしてしまう。
俺は月ヶ瀬の辛さの一部をちゃんと肩代わり出来ていたのだと。
「俺はいつだって月ヶ瀬の味方だ。それはこれからも変わらないから安心してくれ」
「うん、うん!」
月ヶ瀬は声を弾ませると、埋めていた顔を上げる。
「ありがとう、じゅう君!」
目の端を涙で僅かに濡らしながらも、月ヶ瀬は満面の笑みを見せてくれた。
その姿に、一つ心臓の鼓動が波打つのを感じる。
着飾らずに言うのであれば恐らくこれはときめきという奴だろう。
まぁ、そりゃそうだよな。月ヶ瀬レベルの女の子がこんなにも屈託なく笑ってくれてときめかない男子の方がおかしい。
素直に見とれていると、図らずも至近距離で見つめ合う時間が訪れてしまう。
それに気づき気恥ずかしくなった頃、月ヶ瀬の方も同じく気づいたのか顔を真っ赤に染めると、慌てた様子で俺から離れた。
「ご、ごめん!」
肩にかなり力が入った月ヶ瀬が目を泳がせる。
「ああ、いや、俺こそすまん」
月ヶ瀬の魅力をひと時の間堪能してしまった事に妙な罪悪感を覚え、自然と謝罪の言葉が口から零れた。
「と、とりあえずどうぞ」
元々座っていた月ヶ瀬に視線を合わせる形で膝をついていたため、気を利かせてくれたのか、隣に座るよう促してくる。
「では失礼しまして……」
とりあえず座るが、再び静寂が訪れる。
一体何を話せばいいのかと考えていると、月ヶ瀬の方が先に沈黙を破った。
「そ、そういえばあの後芦木先輩とはどうなったの? 私、最後まで見てられなくて逃げちゃったから……」
「あぁー……」
あの後俺、とんでもない暴言浴びせたんだよなぁ……。ぶっちゃけかなり酷い内容だからあんまり進んで伝えたい内容でもない。
「ま、まま、まさかちょっとだけえっちな事になっちゃったとか⁉」
俺がなかなか言葉を出さないのが邪推を呼んだのか、月ヶ瀬はこちらに顔を向けつつあわあわと慌てふためいた様子で謎に指を折ったり曲げたりする。
「ああ、いやそんな事は断じてない! ちゃんとしっかり拒んだ!」
「さ、誘われはしてたんだ……でも、良かった。何も言わないからてっきり~」
アハアハと笑いながらも月ヶ瀬がほっと胸を撫でおろす。
まぁ一応変に間を空けてしまった疑問も解消した方がいいか……。
「すぐに言葉が出なかったのは理由があってな……しっかり拒んだのはいいんだが……なんていうか、その時にけっこう酷い言葉浴びせてだな……たぶん聞いたらドン引きされるレベルで」
「そ、そんなに凄い言葉言ったんだ……? ち、ちなみに……」
月ヶ瀬がおっかなびっくりに尋ねてくるが、再び口で言うのは憚られたところインスタの事を思い出す。
「あー、これを見てくれたら分かると思う。芦木の友達が上げたストーリーなんだけど」
未だちょくちょく反応がリアルタイムで付いている、ポニテ先輩のショート動画を表示し月ヶ瀬に見せる。
最後まで見終えると、月ヶ瀬は目をぱちぱちと瞬かせた。
「も、もしかしてこの後輩っていうのが、じゅう君?」
動画の上の文字を指し示しながら、月ヶ瀬が尋ねてくる。
「はい。ほんと、サイテーな事を言ったと思っております」
反省の言葉を述べると、月ヶ瀬が肩をぷるぷる震わせる。
やっぱり流石にこれは言い過ぎと怒られるよな。まぁでも悪いの俺だし、甘んじて説教は受け入れさせて……
「くっ……ふふっ、あははっ!」
ふと、月ヶ瀬が軽快に笑いだす。
「月ヶ瀬……?」
「ほんとに酷いね! あははっ、流石にくくっ……それでこの先輩の顔……ふふっ」
ふむ、なんか怒られないで済みそうだなこれ。もしかしてポニテ先輩お墨付き芦木の顔芸のおかげで救われたってコト⁉
「ご、ごめんじゅう君。私ってけっこう悪い子だからさ、ふふっ」
「そうは思ってないけど……」
「ありがとう。でも、悪い子だよ~。今の動画見て、先輩がじゅう君にそんな酷い事言われたんだって思うとおかしくっておかしくって、ふふっ、ちょっとスッキリしちゃったもん」
月ヶ瀬が笑い涙を拭いながらそんな事を言ってくる。
なるほど、月ヶ瀬にそこまで言わしめる芦木は本当にヤバイ奴だったんだな。まぁでもそうだよな。やって来た事考えれば確かに納得できてしまう。
「あ、そうだ!」
唐突に月ヶ瀬が声を上げる。
「なんかあったのか?」
「私、ちょっといい事思いついちゃいまして」
月ヶ瀬が悪そうな笑みを浮かべると、しゅぱっと自らのスマホを取り出す。
「散々私の事をいじめてくれたからね、私もじゅう君みたいに仕返ししちゃお~!」
そう言いながら月ヶ瀬はぐっと俺との距離を縮めると、俺へとくっつきスマホを高らかに掲げた。
「じゅう君笑って笑って~!」
「お、おう?」
言われるがまま表情作ると、スマホの画面は俺達の事を映し出す。
「ハイ、いぇーい!」
「いぇ、いぇーい」
月ヶ瀬のテンションに圧倒され随分と間の抜けた掛け声になってしまうが、シャッターは軽快な音を立てて切られる。
月ヶ瀬はその写真を見て楽し気に笑うと、ポチポチと操作し始めた。
「よし、できた! ブロック解除して……うえ、何個かメッセージ来てたんだ……まぁでも無視して送信! そして再びブローック!」
何をしたのか気になっていると、そんな俺の事を察したのかすっとこちらへ画面を向けてくる。
そこには芦木との個人トーク履歴が映り、先ほど撮った俺と月ヶ瀬の写真が送られていた。
よく見てみれば何やら加工が施され、真ん中には『いぇーい、先輩みてる~?笑』と可愛らしいフォントで書かれている。
これはまた……。
「すげー良い顔してるな月ヶ瀬」
「じゅう君もすごく楽しそうだよ」
まぁそりゃねぇ? 可愛い子と一緒に自撮りできて嬉しくない男子がいるかという話ですよ。
お互い顔を見合わせれば、自然と笑いが込み上げてくる。
「ばっちりバックアップとって永久保存版にしてみた!」
「いいじゃないか。俺にもその写真送ってくれ」
「もちろん!」
早速俺と月ヶ瀬との個人チャットに先ほどの写真が送られてくる。
ショート動画と一緒にこれもしっかりとフォルダの方に保存すると、月ヶ瀬に倣って俺もしっかりとバックアップしといてやった。




