第18話 各駅電車は雨中を走り出す
ようやく梅雨本番という事だろうか。県境の生駒山を見れば厚い雲のせいでその全容を拝む事はできず、降り注ぐ雨は山肌を覆いをくらませている。
アスファルトに跳ねる雫の音を聞きながら例のカーブミラーのところまでくると、当然の如くそこには渡良瀬が傘をさしながら立っていた。
「別に先に行ってくれても良かったんだぞ」
そもそも待ち合わせの約束などしてなかったので、渡良瀬は俺がどの時間に来るかは分からなかったはずだ。俺が先に行く事を考慮していたなら、かなり待っていたとしてもおかしくはない。
「山添と一緒に行きたくて……やっぱり駄目だった……?」
「別に駄目じゃないが、連絡くれれば合わせたのにと思ってな」
言うと、渡良瀬が控えめにこちらに視線を送り付けてくる。
「一応出る時にも連絡はしてて……」
「え、マジ?」
携帯を取り出してみるが、特に通知などは無い。
いや待てよ? そもそも確かちゃんと交換したことは無かったな。
一応中三の時月ヶ瀬に入れてもらったクラスのグルチャに渡良瀬がいたから……即座にブロックしてたんだった。
元々渡良瀬は俺が携帯を持ってる事も認知しており、何度か登録してあげようかと提案の皮を被った煽りを日頃から受けていたのもあって、ほんと自分でも驚くくらい秒速でブロックしたのを覚えている。
「山添?」
「ああ、いや、来てた来てた。見てなかったわすまん」
操作すれば案の定ブロックしてたので、すぐに解除すると携帯がバイブした。
「今、携帯震えた……?」
「いや~、気のせいじゃないか?」
メッセージを見てみれば『明日も一緒にいこうね』と昨日に送られ、早朝に『一緒にいっても大丈夫そう……?』と送られ一時間くらい前に『とりあえず待っとくね』と三件メッセージが来ていた。
という事は雨の中一時間弱は待っていたのか。
「も、もしかして友達登録勝手にしたの怒ってる……?」
俺が黙っていたのが不安だったのか、渡良瀬がおっかなびっくりに尋ねてきた。
「いや別にそれはいいんだが」
言うと、渡良瀬がどこかホッと胸をなでおろす。
「けっこう待ったよな?」
「ううん、全然大丈夫! さっき来たばっかりだからね」
どこか誇らしげに言う渡良瀬だが、履歴と矛盾しちゃってます、それ。なんなら自分で出る時に連絡したって言ってたよね……。
まぁ、気を利かせたつもりだろうからあえて指摘はしないが。
……というかあの渡良瀬が俺に対して気を利かせようとする日が来るとは、なんか感慨深いな。
「とりあえず行くか」
「うん」
流石に雨の日に手を繋ぎはしなかったが、当然のように渡良瀬は隣に並んでくるのだった。
♢ ♢ ♢
普段の通学では、最寄りの東生駒駅から庭白駅で降り、そこから歩いてくルートを取ることになるのだが、庭白駅から高校まではそれなりの距離を歩く必要がある。
よって雨の日などは、交通費を犠牲にし東生駒駅から学前駅へ降り、そこから出ている高校行きのバスに乗る事にしていた。
そして最寄りが隣の生駒駅である月ヶ瀬もまたそれは同じ。
雨の日にはけっこう一緒になったりもしていたので、もしかしたらあるいはと電車の中に乗れば、丁度踏み入った車両にその姿を見つける。
「あ、じゅうく……」
あちらもすぐに気づき手を振ってくるが、渡良瀬が後から入ってくるタイミングでその手をフリーズさせた。
「あ、月ヶ瀬さんだ」
渡良瀬がペコリと一礼すると、ハッとした表情をした月ヶ瀬はもう片方の手を上げ元気に万歳した。
「じゅう君、渡良瀬さんおはよう!」
昨日の事もあった手前、やや気まずい感じもあったがこの様子だとそこまで気にする事はなかったかもしれない。
「朝から元気だな」
声をかけいつものように月ヶ瀬の向かい側の席へと座ると、すっと腰を浮かす月ヶ瀬だったが、渡良瀬が俺の隣に座った途端くるっと華麗にターンしまた座り直した。
え、何の舞……?
何かしらの民族舞踊かと一瞬勘違いするが、そういえば今日みたいに偶然会ったときは大抵月ヶ瀬がこっちの方が話しやすいという理由で隣に来てくれていたのを思い出す。
その度に朝からありがとうございますと奈良の大仏様のいる方角に手を合わせていたが、今日は渡良瀬なので別にいいな。ここ最近高頻度で隣にいるのでプレミアム感はあまり無い。
そう考えると、月ヶ瀬が隣にいてくれないのは少し残念な気もする。
『扉が閉まります』
車掌のアナウンスが電車内で流れると、電子音と共に扉が閉まり始めた。
だがふと騒がしい足音が外から聞こえると、急に何か思い出したかのように慌ただしく扉が開く。
「ふう……間に合ったぁ」
見てみれば額に脂汗の粒を浮かべ、カッターシャツに汗をべったり滲ませたふくよかなおじさんが入ってきていた。
『かけごみ乗車は大変危険ですのでおやめください』
「ふしゅるるう」
アナウンスに対して威嚇した……わけではないだろうが、鼻息を一つ荒げるおじさん。連動して今度こそ扉が閉まる。
そのまま手ごろな椅子に座るのかと思われたがおじさんは周囲を見渡すと、丁度月ヶ瀬の辺りでその動作を止める。
電車が走り出す中、そのままのっそのっそと歩き始めると、あろう事か何食わぬ顔で月ヶ瀬の隣へとどっしり腰を落とした。
びっくりしたのか一瞬目を丸くする月ヶ瀬だが、悪いと思ったのかいかにも無理した雰囲気で愛想を感じさせる表情をする。
このおっさんやってるな……。
一応この電車は奈良の主要路線を走っているが、奈良公園前行きでしかも普通電車とくると通勤時間でもけっこう空いている。
当然今日もそれは例外ではない。
パーソナルスペース一人分は両サイドに確保できそうなくらい座席は空いてるのに、このおっさんはわざわざ月ヶ瀬の隣に、それも詰めて座りやがったのだ。
明らかに下心丸出しの行為。むしろ人目も憚らずこんな事できる精神力に脱帽すると同時に、単純な不快感以外の何かが心の内に芽生えるのを自覚する。
「月ヶ瀬」
「ど、どしたのじゅう君」
「席代わる」
「え、でも……」
どうやらこんな相手にも気を遣っているらしい。つくづく良いやつだな。
そう言う事なら少し渡良瀬にも協力してもらおう。
「渡良瀬、男子と一緒にいるよりも女子と一緒にいる方がやっぱ気楽だよな?」
なんの脈絡もなく問いかけられ困惑気味の渡良瀬だったが、今のこいつは素直だ。わざわざ意図を確認しようとはせずとりあえず聞かれた事をそのまま答えるだろう。
「え、えと、確かに男子よりも女子と一緒のいる方が気楽かも?」
「だそうだ」
お膳立てはしたと立ち上がると、月ヶ瀬も幾らか心理的な足かせというものが取り払われたらしい。
「そ、そっかあ! そう言う事なら渡良瀬さんを可愛がりにいっちゃうぞ~!」
「え⁉」
月ヶ瀬が茶目っ気混じりに言うと、渡良瀬が肩をびくつかせ何が起きているのか分からないと言わんばかりに困惑を見せる。
そのまま月ヶ瀬はガオーと渡良瀬の方に突撃するので、その脇を抜け位置を入れ替えた。
席につくと、大変芳しい香りが鼻腔をくすぐる。こりゃ普通に三日は風呂入ってないくらいのきつさだな……。ちゃんと毎日風呂入ってりゃ年齢とか体型加味してもここまでは匂わないはずだ。
月ヶ瀬はこんな不潔おじさんに対しても慈悲を与えるつもりだったようだが、満員電車でもないのに能動的に隣に座る痴漢すれすれの行為など到底慈悲に値しない。
「ニチャア」
おじさんの方に目をやり、侮る目的でざまぁねぇなと笑いかけてやる。
あちらも俺の視線とその意図には気づいたらしい。
眉をぴくつかせると、「ふしゅるるう」と一つ鼻息を荒げる。もしかしたらこれ、本当に威嚇だったのかもしれない。
目の前では月ヶ瀬が割と楽しそうに渡良瀬とじゃれており、もしかしてけっこう仲が良い感じになってきてるのではと邪推する。
その姿を見て少し嬉しく感じたのは、果たしてどこから来た感情なのか。
外を見れば相変わらず空は雨模様。電車の窓では雫が飛び散ってはくっついてを繰り返している。
そして相変わらず漂う耽美なスメイル!
その上、心なしか俺の肩も謎に湿ってきた気がするが、きっと雨で湿度が高いからだな!




