01.灼けつく影
まだ陽の昇らぬ夜明け前。
冬の冷気が支配するはずのエルノアの街に、異質な熱気がじわじわと満ちていた。
地を這うように、しかし着実に街路を侵していくそれは、凍てついた石畳を濡らし、朝露を蒸し上げていく。
やがて、空が赤みを帯びた光に染まり始めた。
「……なあ、これ……なんだよ?」
ギルドの外に出たゴローが、頭に手をやって空を見上げる。
その横には、同じく表に出てきた万里が、眉間に皺を寄せながら佇んでいた。
「冬なのに……暑いわね」
ふたりの背後から、ひょこっと顔を出す影がある。
「うわ、なんか赤いのだ!」
「……これはさすがに……」
帝とカノンも、気配を感じて後を追ってきたようだ。
だが、次の瞬間、その場の空気が凍りついた。
──空の真上、雲を突き抜けるように、炎の渦を纏った巨大な影が蠢いていた。
それはまるで、天を焦がすかのような巨大な龍の姿。
その存在だけで、地上の空気は焼かれ、建物の窓がわずかに震える。
その異形を前に、誰もが声を失っている中で、ひとり静かに口を開いたのはクロマだった。
「……火龍なんだよ」
ぼそりと、でも確信のこもった声音で。
人々がざわつき始める。熱にあてられ、息苦しさを訴える声も混じり始める。
だが、クロマはその様子を見て、ほんの少し困ったような顔をした。
「……火龍、人の姿になってほしいんだよ。他の人たちが暑がっちゃうから……。僕は平気だけど」
すると、空中の龍がゆっくりと旋回し、燃え立つ翼をたたみながら、その姿を変えていく。
大気が軋むような音を立て、炎の輪郭が崩れていくと、そこに現れたのは──
赤髪と赤い瞳を持った、人の姿をした存在。
それは、まるで火そのものが形を取ったかのような威容を湛えながら、音もなく地へと降り立った。
着地と同時に、地面から波紋のように熱が走り、石畳が一瞬だけ歪んで見えた。
火龍──その存在は、誰よりも静かだった。
「………………」
しばし周囲を見渡し、わずかに懐かしむような視線を遠くへと向ける。
やがて、重い口を開いた。
「……我を呼んだのは――主だ」
その一言に、クロマがほんの僅かに目を細める。
だが、火龍はそれ以上、何も語ろうとはしなかった。
言葉を閉ざしたまま、彼は静かに背を向け、ゆるやかに歩き出す。
誰もその背に声をかけることはできなかった。
───
校舎内の保健室。
朝の陽がまだ届かぬその部屋の奥で、月は布団に包まれたまま、微動だにせず横たわっていた。
閉ざされた瞼の奥に、意識の気配はない。
頬に触れる髪が揺れたのは、誰かが扉を開いたからだった。
ギィ……という軋む音と共に、火龍が現れる。
その足音すら、音もなく静かだった。
彼は、ただ月の枕元まで歩み寄り、しばしその姿を見下ろした。
手も伸ばさず、声もかけず、まるでそこにいることだけを確かめるように。
その瞳に、怒りも、焦りも、悲しみも映ってはいなかった。
ただ、熱のない、けれど確かな何かが──保健室に残された。




