10.気配の向こうに
夜は深く、街は白く静まり返っていた。
冬の空気は本来であれば凛と澄み渡っているはずだったが、この夜ばかりは違っていた。
ギルドの裏手に続く小道。
そこに、黒い外套を羽織ったクロマが佇んでいた。
その視線は高く、夜空の果てを見上げている。
「……火龍が来てる」
ぽつりと漏れた言葉に、小道の先で風がわずかに揺れた。
しばしの静寂。
やがて、ギルドの窓から声が届く。
声の主は、ギルドの奥に根付く存在──土地神であるマスターだった。
「やっぱり……なんのために?」
クロマは肩をすくめる。
夜空を見つめたまま、答えを持たない者の仕草で。
「さあ?」
言葉少なに交わされる会話。
その背後で、ギルドの内部では、いくつかの影がざわめいた。
聞き慣れぬ“火龍”の名に、気配を敏感に察した者たちが顔を見合わせる。
「火龍……?」
「それって何かの前兆なのか?」
確かな答えを持つ者はいなかった。
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街の遠景。
凍てつくような空気の中、夜空の彼方。
霞んだ輪郭が、ちらりと揺らいだ。
それはまるで、赤熱の鱗が陽炎のように滲む幻。
──すぐに、視界から消える。
それが何だったのかを断定するには、あまりに一瞬すぎた。
けれど、確かなことがひとつだけある。
何かが、こちらに向かっている。
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保健室。
窓の外には、まだ夜の帳が降りていた。
月は相変わらず、意識を取り戻さず眠り続けている。
苦しげに眉をひそめた顔は、何かを拒むようにも、何かを耐えているようにも見える。
枕元には、交代で看病を続ける教員の一人が座っていた。
部屋の空気は静まり返っているが、その沈黙がどこか不安を煽った。
カーテンの隙間から差し込む夜の光。
そのわずかな光の中、月の胸がゆっくりと上下している。
それ以外には、何の変化もなかった。
……ただ、街を包む空気の中に確かに漂い始めていた。
異質な熱。
正体不明の気配。
そして、近づきつつある“何か”。
次章
第10章『終焉の茶会、眠れる姫君と紅き守護者』は、
8月16日 20時より投稿を開始します。
どうぞ、お楽しみに。




