06.崩れる日常
エルミナ学園、冬の昼下がり。
職員室には、ペンを走らせる音と紙の擦れる音だけが静かに響いていた。
暖房がわずかに唸りをあげる中、月はいつものように机に向かい、資料を一枚ずつ丁寧に分類している。
けれどその手が、ふと止まった。
「…………」
微かに眉が寄り、胸元を押さえる。
ローブの下、震える手のひらは、まるで内側から何かを抑え込むように。
「…………〜〜……っ」
その瞬間だけ、顔をしかめた。
しかしすぐに、いつものように優しげな笑顔が戻る。
「……大丈夫……です」
誰に向けたでもない声が、空気を撫でるように広がった。
だが、その様子を遠巻きに見ていた者たちは、気づかぬふりをしながらも、確かに異変を感じていた。
「……月先生、ちょっと顔色が……?」
「気のせい……かな」
囁く声は、確信には至らず、誰もその先へと踏み込まなかった。
夜行が書類の山の向こうから視線を送る。
その瞳には、明らかな懸念が宿っている。
鬼影もまた、対面の席からじっと月を見つめていた。
視線は柔らかく、それでいてどこか探るような。
けれど、月の笑顔に遮られるように、その場の空気は再び日常へと戻っていった。
――――
数日が過ぎた。
月は相変わらず書類を抱えて校舎を巡り、職員室ではいつも通りの業務をこなしていた。
けれど、動きは鈍く、時折足元がふらつく。
話しかけられても、返事がわずかに遅れることが増えた。
「大丈夫ですよ〜」
その言葉が返ってくるたびに、誰かが口を開きかけては、閉じた。
――――
そして、ある日の昼下がり。
職員室の中。
日課の処理を終えた月が、静かに机に手をついた──その瞬間だった。
「……っ」
まるで糸が切れたように、月の身体が前のめりに崩れた。
資料が散らばり、椅子がきしむ音。
振り返った者たちの目に、倒れたままの月の姿が映る。
「……!? 月先生……!」
誰かが駆け寄り、名前を呼ぶ。
だが、その呼びかけに月が応じることはなかった。
静まり返った職員室に、緊張が走る。
冬の陽が窓から差し込むなか、月は意識のないまま、机の影に横たわっていた。




