03.ただいまと言える場所
朝の職員室に、柔らかな足音が響く。
「ただいまです〜」
何事もなかったかのように、月が扉を開けて現れた。
変わらぬ笑顔。変わらぬ調子。そして両手には、整った包みの土産菓子の箱が三つ。
「ほんの気持ちです〜。職員室の皆さんでどうぞ〜」
軽やかに机の上に並べて、手をパンと一つ叩く。
箱の装飾には“リベルナ岬特産”の文字。潮の香りがふわりと漂った気がした。
その瞬間──
「……え?」
「えっ……?」
職員室の空気が、わずかに凍った。
柊が目を見開いて身を乗り出す。
「ちょっと待ってくださいよ月先生! “リフレッシュ”って言ってましたけど……一週間もいなかったんですよ!? 本当に温泉だけですか!?」
「明らかに行動パターンが違いましたよね……」
橘もすぐに追随する。冷静に装ってはいるが、眼鏡の奥の目はわずかに険しい。
だが、月はゆったりと首を傾げた。
「温泉とか、いろいろ〜。たまには羽を伸ばすのも大切ですから〜。皆さんもいかがです?」
涼しげな笑顔と、こてこての土産菓子。
「……これ……」
箱を開けた橘が眉をひそめた。
「どう見ても……海産土産ですよね? この“海老せんべい”って……温泉地っていうより、海沿いの港町の品では……?」
「海、綺麗でした〜♪」
満面の笑み。答えになっていない。が、それ以上は誰も突っ込めなかった。
「………………」
柊は軽く頭をかきながら、「逆に怖いな……」と小声で呟いた。
ラットンも黙ったまま、ヒゲを撫でている。
そして──
「よっ」
鬼影がひょこっと机の向こうから顔を出し、月の正面に座った。
「戻ってきたんだね、月ちゃん」
「戻ってきましたよ〜。なんですか? そんなに見つめられると、穴が空いちゃいます」
いつも通りの軽口。だが、鬼影の視線は鋭い。
「いや〜相変わらず可愛いなぁって」
「はいはい〜」
さらりとかわされ、笑みのままに応じる月。
だが鬼影はその裏側を探っていた。
艶鬼の特性──“心の温度”を感じ取る力。その力をもってしても、月の中にあるべき熱が、気配が、何も感じ取れない。
(……空っぽみたいな感覚……)
(これ、いつもと同じ……なのか?)
微笑みの奥にある沈黙。
その正体に誰も触れることはできなかった。
職員室には笑いと会話が戻っていく。
だが、そこに混じる静けさは、どこか冷たかった。




