10.呼び声は、黒よりも深く
冬の夜。
月の自宅である小さな平屋の一室に、月明かりが静かに差し込んでいた。
カーテンも閉めず、冷たい銀光に身を晒すようにして、月は机に向かっている。
手元には、ほかほかと湯気を立てる一杯のカップ。
「今年度もいろいろありましたけど……なんとか回っていますね〜」
月はふっと笑いながら、独り言のように呟いた。
「鬼影先生が対話術を得意としているとは………。やはり、艶鬼という種族が無せる技なんでしょうかねぇ〜……。
中等部二年生の授業から始めることに決まりましたが……んー………年明けからはまた書類作りと大変ですね!」
肩をすくめ、カップの中身をひと口すする。
部屋の中は暖かく、湯気と月光が交差する穏やかな空気に包まれていた。
――その瞬間。
月の机の上に、音もなく一通の黒い封筒が現れた。
気配も、前触れもなく。まるで“現れたことすら気付かせない”ように。
月はカップをそっと置き、静かにその封筒に手を伸ばす。
差出人の名は無い。
だが、月には誰からのものか分かっていた。
封を切る。中には、たった一枚の便箋と、たった一文。
「ここの浄化をしてこい。」
その文を見た瞬間、月の瞳に一瞬だけ翳りが差す。
だが、表情はすぐにいつもの穏やかな笑みに戻った。
「…………結構な穢溜まりのある場所なのに……簡単に言って……」
ため息混じりの言葉が、凍てつく冬の空気に吸い込まれていく。
そして、月は再びカップに手を伸ばす。
月光は静かに彼女を照らしていた。
***
場所は、アルセディア国の政治中枢に位置する都市の、どこかにある部屋。
装飾は一切なく、壁も床も天井も灰色の無機質な空間。
そこに一人、黒髪黒瞳の小柄な男が佇んでいた。
奈落。
その顔に浮かぶのは、どこか無邪気な笑み。
だが、その瞳には一切の温度がない。
「…………全く………己の仕事をサボりおって……。
何のために住まわせてやっているんだか……」
ぽつり、ぽつりと呟く声は、部屋の中で反響すらしない。
「聖教会から逃げれたなら……ちゃんとするべきだろうに」
ゆっくりと、彼は顔を上げた。
「…………なあ………月……いや……天帝……」
その一言が、まるで呪詛のように空間を満たした。
そして、その呼び声は、確かに届いていた。
深く、黒よりも濃い場所へ―
次章
第9章『終焉の茶会、静寂を焦がす者』は、
8月6日 20時より投稿を開始します。
※これまで毎日【8時・20時】の2回投稿で更新しておりましたが、次章(第9章)より、仕事の都合によりしばらくの間は【20時のみ】の1日1回更新となります。今後とも、夜の更新を楽しみにしていただければ幸いです。




