09.あったことにする、なかったことにする
静かな光が差し込む保健室のベッド。
その上で、月がゆっくりと目を開いた。
「……うん……?」
視界に映ったのは、心配そうに覗き込むカノンと帝の顔だった。
「姉さん! 起きた!」
「お姉ちゃん。起きたのだ」
二人の声に、月は瞬きを繰り返しながら小さく首をかしげる。
「……?? ふふ。なあに? 二人とも泣きそうな顔して………。
わたしは……なんで保健室で寝てるの?」
カノンが一瞬だけ黙りこみ、すぐにいつもの調子で口を開いた。
「…………闘技場での一件のあと、………廊下で足を滑らせてそのまま頭ぶつけたんだよ。
姉さん……運悪いから」
「………………そう……なのだ」
帝も、少しぎこちなく肯定する。
「そんなことある?」
「ある」
「あるのだ」
「……あるのか………」
月はしばらく黙っていたが、やがて穏やかに笑った。
「そっか……気をつけないとね。ありがとう、ふたりとも」
その笑顔に、カノンも帝もそれ以上なにも言えず、ただ小さくうなずいた。
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保健室の前。
扉のすぐそばにいたラットンは、三人の会話を耳にしていた。
「ふむ……。なるほど、そういうことになっているのかね」
彼は顎をさすりながら、静かに背を向ける。
「では、吾輩たちも“そういうこと”にしておこう」
そう呟き、ラットンは他の教師たちのもとへ向かって歩き出した。
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教師たちの控え室。
ラットンの報告を受けた教員たちは、それぞれの表情を浮かべながらも、深くうなずいた。
「……つまり、事故だったということに……」
「うむ、それで……いいんじゃないかしら」
「そういうことにしよう。本人が知らないなら……その方がいい」
誰もが言葉を選びながらも、最後には黙って同意する。
月が“倒れた理由”は、事故。
そう――あったことにする。なかったことにする。
その選択が、教員たちの中で静かに定まった。




