01.まずは備品がない
冬の朝。かすかな吐息が白く揺れる中、エルノアの街の中心に建てられたエルミナ学園に、初めての教師陣が集まった。
静まり返る学園内を抜け、彼らが案内されたのは「職員室」と称される一室。
「……失礼するにゃ」
先頭に立っていた猫獣人のミミが扉をそっと開ける。続いて中へ入った面々の目に飛び込んできたのは――ずらりと並ぶ、段ボール製の机と椅子の群れだった。
一瞬の静寂。その場の空気が凍りつく。
「……これは一体?」
ネズミ妖怪のラットンが目を細めながら問いかける。その声に反応するように、部屋の奥から元気な声が響いた。
「はいっ! ここが職員室ですよ〜!」
手を挙げて答えたのは、事務方を担う少女――月だった。まったく悪びれる様子もなく、満面の笑みを浮かべている。
「段ボール!?」
九尾の妖怪・カグラが思わず叫ぶ。彼女の後ろでは、光の大精霊セレナがおそるおそる椅子に腰かけ、ぽそりとつぶやいた。
「……ふわふわです〜」
「妙に安定してる……いや、これ、魔力で補強されてるのね」
ぬらりひょんのヒサメが、椅子の脚を軽く持ち上げて見定める。続けてラットンも試しに腰かけ、引き出しに筆を滑らせる。
「筆記も……快適……ぐぬぬ、これは認めざるを得ぬか……!」
その背後では、人間教師の柊 湊と橘 葵が、何も言わずに天井を見上げていた。
「……棚は? 教材は? 書類入れは?」
ついに柊が静かに口を開く。それに対して月は、にっこり笑って元気よく答えた。
「ありませんっ♪ これから作ります!」
「……予算は?」
眼鏡を押し上げながら橘が冷静に問う。
「ないです!」
即答だった。
だが、もう誰も驚かない。この世界の常識が、すでに彼らには通用しないことを知っているからだ。
「ということで! 今日はギルドの裏山にご挨拶に行って、大木をいただいてきますね♪」
明るく宣言する月に、カグラが目を丸くする。
「いや、だからその“交渉ルート”がおかしいのよ! 魔物に“ご挨拶”って何よ!」
「……斧はいらんよな?」
大柄な熊獣人のグレンが静かに問うと、月はうんうんと頷いた。
「もちろん、いただいた木だけを使います! 斧で戦ったりしませんよ〜」
そんなやり取りが続く中、職員室の扉が再び開いた。
「おう、おぬしら……わしの席はどこじゃ?」
入ってきたのは、年季の入った杖をつきながら歩く老人、神崎 泰蔵だった。
「ありません!」
月が満面の笑みで即答する。
「えぇ!? わしも皆と一緒がええ! ここがええ!」
子どものように駄々をこねる神崎に、教師たちは言葉を失う。
「学園長って……駄々こねるんだ……」
「初めて見ました、あんな学園長……」
呆れたような、しかしどこか微笑ましさも混じった声が漏れる。
「では、今すぐ作りますねっ!」
そう言って月は、隅に積まれていた段ボールをひとつ取り出すと、手際よく魔力で裁断し始めた。スパッ、ピタッ、パタン。
見事な手際で、わずか数分のうちに机と椅子が完成する。四本の脚はぴたりと揃い、角は美しく丸められ、引き出しの滑りも滑らかだった。
「……こうやって作ってたのか……」
誰かがぽつりとつぶやく。
神崎は嬉しそうに新しくできた椅子に腰かけた。
「うむ、悪くないのぅ!」
その姿に一同、またも絶句。
「……子どもたちの教室も、全部こうやって作ったんです♪」
月の無邪気な言葉に、沈黙が落ちる。
「すごいけど……でもやっぱり不安……」
ヒサメがぽつりとつぶやく。
「……椅子、鉄にしてくれ」
グレンが重たげに言うが――
「グレンさんは段ボールで大丈夫かと♪」
月の笑顔とともに、どこからか効果音のように「ズコーッ」というずっこける音が響いた。
教師たちの前途は、多難である。




