08.礎を築くその前に
朝のギルド応接室。
まだ眠気の残る空気の中、月は整えた書類を手に、教員たちを前に立った。昨日の顔合わせを終えての、最初の集まり。すでに椅子には見知った面々がずらりと揃っている。
「皆さん、おはようございます。本日もお集まりいただき、ありがとうございます」
ぺこりと一礼した月は、持っていた資料を卓上に置く。
「今日は──エルミナ学園の予定地をご案内しようと思います」
静かな空気の中で、ひとつ、椅子がぎしりと音を立てる。
「学園の……予定地?」
メガネの奥で橘が眉をひそめる。
月はにこっと笑って応じた。
「はい。昨日は顔合わせが中心でしたので、今日は実際の場所を見ていただこうと思いまして」
月の言葉に、教員たちは顔を見合わせる。
それぞれが、言葉には出さないまでも、何かを察するような沈黙だった。
──そして移動。
街の外れ。緩やかな丘を越えた先に、その場所はあった。
一面に広がる、何もない更地。
風に揺れる草が、わずかに季節の香りを運んでくる。
「……にゃ?」
最初に声を漏らしたのは、ミミだった。
ぴょこんと立った猫耳が、くいっと角度を変える。
「ここって……空き地、にゃ?」
その言葉に、グレンがゆっくりと足を止め、無言のまま地面を見つめた。
少し首をかしげているあたり、戸惑いは隠しきれていない。
「えっ、うそ……まさか、まさかね。ね?」
柊が月の方を振り返る。
彼の表情は苦笑いと焦りの中間だった。
「あの……ここ、じゃないよね?」
「うふふ……不安が募りますわ」
セレナは穏やかな笑みを浮かべたまま、けれど口元には確かに困惑の色がにじんでいた。
「空き地だな、うん」
浮遊したまま地上をぐるりと見回して、シルフがつぶやく。
「あらあら……建物はどこかしら?」
カグラは頬に指を添え、楽しげに微笑みながら首を傾げる。
「こほん。我輩の目には、建設予定地すら見当たらぬのだが……?」
ラットンが杖の先で地面を軽く突いた。
その仕草もまた、疑念を隠しきれないものだった。
「……ここか。ずいぶん、挑戦的だな」
夜行は静かに立ち止まり、目を細めながら辺りを見渡している。
「ほっほ、こりゃまた……潔いのう」
神崎はどこか楽しげに笑いながら、地面をぐっと踏みしめた。
全員の視線が、月に集まる。
彼女は一歩前に出ると、明るく笑顔を浮かべた。
「──大丈夫です! DIYしますから!」
一拍。
二拍。
「……DIY?」
全員が同時に呟いた。
静寂が風に溶けていく。
「DIYって……えっと、自分でやる……何を、だ……?」
柊が真剣な顔で呟くと、隣で葵がそっと手帳を開き始める。
「これは……略語でしょうか? “Do It Yourself”…あっ、直訳では意味が……」
「うふふ、よくわかりませんけど、月さんならきっと大丈夫ですわ」
セレナは笑みを崩さぬまま、そっとシルフの方へ視線を送る。
「やる気は……ある、な。うん。問題は、できるか、どうか」
「にゃ……工具って、何がいるの? あたし、トンカチは使えるにゃ!」
「わし、こう見えても昔は庭の塀を直したことがあってのう」
「それって……建築じゃなくて修理じゃ……」
「ふふ、じゃあ私、お茶と恋バナ担当ね」
「……それは、建設に含まれるのか?」
そんなやり取りがぽつぽつと広がる中──
月は胸に手を当て、そっと呟いた。
「皆さんが集まってくれた。なら、大丈夫……きっと、できる」
理由なんて、なかった。
ただ、不思議と確信があった。
いくつもの生を越えてきた──記憶ではなく、本能がそう言っていた。
……始まりは、空き地から。
道具も図面も、まだ何もない。
けれど、月の心には確かに、“始める理由”があった。
次回──本当に始まる建設の日々へ。




