06.見定めの眼差し
白い光の中から、ゆっくりと月が戻ってきた。
足元はまだおぼつかず、体の芯に残る重苦しさが、ひとつひとつの動作を蝕んでいく。瞼をわずかに開けると、濃く揺れる霧の帳の中、灯籠の火だけが赤く揺れていた。
やがてその視界に、ひとつの影が浮かぶ。
「……どうやら、お前は逃げなかったようだな」
夜行だった。
その声音は鋭さを湛えながらも、どこか落ち着いている。変わらぬ冷淡な口ぶり──けれど、その奥には、確かに微かな“変化”があった。
「ならば、とりあえずは“協力”してやろう」
その言葉が放たれた瞬間、霧が微かにざわめく。
静かな口調に込められたそれは、軽い言葉ではなかった。
過去を背負い、なお試す者としての覚悟が、確かにそこにはあった。
その声音を受けた瞬間、月の肩からすっと力が抜けた。
「……よかった……」
小さく、確かに呟き、そしてそのまま──地に崩れ落ちるように、眠りに沈んでいった。
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静かな部屋だった。
天井の木組みには、うっすらと草の香が混じる──妖怪たちの拠点としては、意外なほど整った個室。掛け布団の重みを感じながら、月はゆっくりと目を開けた。
視線を横にずらすと、椅子に腰かけた影がある。
「……無理をするな」
声の主は、やはり夜行だった。
黒い衣のまま、姿勢を崩すことなくじっと座っている。その表情はいつも通り読めず、月はゆるやかに息を吐いた。
「……ありがとうございます。戻れて、よかった」
かすれる声でそう呟きながら、身体を起こそうとした瞬間、夜行は軽く片手をあげて制した。
「お前が眠っている間に、幾人かに話を通した」
夜行は、やや視線を外しながら続ける。
「教員候補、俺を含めて……他三名──決まった。それだけ、伝えておく」
報告とも、義務ともとれる調子だった。
月は微かに目を見開き、やがて表情を和らげる。
だが、その瞳の奥にはまだ、うっすらとした不安の影が残っていた。
「……本当に、ありがとうございます」
深く、月は頭を下げた。
それに返事をすることなく、夜行はただ彼女の顔を見つめ続ける。
──あの目が、どこまで“本物”か。
心の中で、夜行は静かに呟いた。
──もし偽りならば、あのときのことは──絶対に、許されぬ。
ふと、月がまどろみの中で小さく呟く。
「がんばらなくちゃ……」
無意識の言葉のように、けれど確かに、自分自身に言い聞かせるような声で。
その音を背に、夜行は無言で席を立った。
視線を月に戻すことなく、霧の帳の奥へと、ゆっくりと歩き出す。
夜は、まだ深い。




