03.揺らぐ地上の民たち
翌日。
ざわつく人々の視線を一身に受けながら、月は静かに広場の壇上へと歩を進めた。ひとりきりの登壇。けれど、その背筋は真っ直ぐだった。
「私は今、学び舎を作ろうとしています」
声は澄んでいた。恐れも迷いも、そこにはなかった。
「誰もが怯えず、誰にも支配されず、学べる場所を。このエルノアの地に、築きたいのです」
民たちの間にざわめきが広がった。若い者たちは戸惑いを、年配者は疑念を、その目に浮かべる。その中の一人、中年の男が強く声を張り上げた。
「“聖女”面するな! てめえがどこにいたか、みんな知ってんだ!」
その言葉に、場の空気が凍りついた。だが月は、一歩も退かなかった。
「変われたかどうかは、皆さんが決めてください」
そう言って、視線を広場に集まる全員にまっすぐ向けた。
「でも、私は変わろうと決めました。だから、この街の子どもたちの未来を信じたいんです」
誰かの声が返ってくることはなかった。けれど、月はその静寂を否定とは取らなかった。心の中で、クロマの言葉を思い出す。
──月の本気は、いつも行動で伝えてる。
それを信じて、月は次の場所へと向かっていった。
──風の音が、耳元で遊んでいた。
「また、面倒ごと始めたな」
背後からふいにかけられた声に、月は振り返る。そこには、長い髪を風になびかせた精霊──シルフが立っていた。
「逃げ道、ちゃんと用意しとけよ? 手出しはしないけど、巻き込まれるのは御免だしな」
「……ありがとう。それでも、伝えたいことがあるの」
月の言葉に、シルフは肩をすくめた。
「ったく、無茶ばっかするやつだな。……でも、まぁ」
口の端に笑みを浮かべ、シルフは風のように姿を消す。
「泣いている誰かを、放っておけませんの」
続いて現れたのは、やわらかな笑みを浮かべた精霊、セレナだった。
「ただし、あまり縛られるのは好きではありませんわ。私たち、自由が本質ですもの」
「もちろん。あなたがあなたのままでいられるように、この学び舎を作りたいんです」
セレナはその言葉に目を細め、くすりと笑った。
「それなら、漂わせていただきますわ。ふわふわと、あなたのそばに」
広場からの帰路。月の背中に、穏やかな声がかけられた。
「おいおい、あんまり気張ると倒れるぞい」
そこに立っていたのは、白髪に丸眼鏡の初老の男──神崎泰蔵だった。
「まさか、もう一度教壇に立てる日が来ようとはのう……わしもまだ、見捨てられとらんようじゃな」
その隣に立つ橘葵は、落ち着いた声で言った。
「数学で、子どもたちを支えたいと思います。少しずつでも、“できた”って思える時間を増やしてあげたい」
そして最後に、ひときわ柔らかな声が続いた。
「あなたが作る教室……きっと、あったかいんだろうな」
親しげな口調で微笑むのは、柊。聖教会から追放された者たち。けれど、彼らは再び“教える”ことを選んだ。
月は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
「信じて、歩き続けてよかった……」
誰かにではなく、自分自身に向けるようにそう呟いたそのとき。夜風がそっと吹き抜ける。
月は、目を細めた。
その口元には、ほんのわずかに微笑みが浮かんでいた。




