02.禊と幸運の脱出劇
「──よし、これで“ぼくの穢”は祓えた! これで姉さんの不運も解消するはず!」
礼拝堂の静けさを破ったのは、自信満々な少年の声だった。
月は祈りの姿勢を崩さず、そっと顔を上げる。
その視線の先──びしょ濡れの衣服に身を包んだ少年が、仁王立ちしていた。
少年の名は、カノン。
月の弟であり、“超絶幸運体質”を誇る、ある意味で世界にとって最強の厄介者である。
「……穢?」
月が、まばたきをひとつ。
「うん! だって姉さん、めちゃくちゃ不運じゃん? カラスにフンかけられるし、ロシアンルーレットで毎回辛子引くし、この間なんか聖典開いたら火がついたでしょ?」
「…………」
並べられた事実に、月は何も言えなかった。
言えなかったが、その胸の奥に──ひどく静かに、何かが沈んでいった。
──“不運”という言葉は知っていた。でも、“穢”って。
「……そんな、祓われるほど、わたし……」
こぼれた声は、誰にも届かない。
カノンは気づかないまま、満面の笑みで語り続ける。
この一週間、彼は山奥の神社にこもり、滝に打たれ、変な踊りをし、謎の老人に塩を投げつけられ──ありとあらゆる“禊”をこなしてきたのだった。
「でさ、これが最終段階だったわけ! ……ついでにだけど、脱出の準備もしてきた!」
思わぬ言葉に、月がもう一度カノンを見つめると、彼は当然のように手を差し出してきた。
その後ろで、もう一人の影が、わずかに身じろぎする。
帝──月のもう一人の弟。
月はその気配に気づき、ちらりと視線を送った。
が、帝はその視線を受け止めることなく、静かに目をそらした。
(どうして……目を逸らすの)
小さな違和感と、ほんの少しの痛み。
けれど、カノンの陽気さがそれらすべてを塗りつぶしていく。
「だいじょぶ、全部順調。いま、ぼく最強に運いいから!」
──その言葉どおり、脱出は驚くほど順調だった。
施錠された扉は、なぜか自然に開き、見張りは全員が気絶しており、警報魔法は“たまたま”メンテナンス中。
帝は無言で仕掛けを無効化し、カノンはただ歩くだけ。
「ね? ね? 脱出ってこんな簡単だったんだね!」
「うるさい。静かにするのだ」
帝の冷静な声に、カノンが舌を出す。
──そして、数年ぶりに。
月は“礼拝堂の外”へと足を踏み出した。
夜風が、頬を撫でる。
冷たく、それでいて確かに──生きた空気だった。
月の髪が、銀の光を受けてそよぐ。
その隣で、カノンがにっこりと笑う。
「一緒に行くよ、姉さん」
その言葉に、月は戸惑いながらも、小さく息を吐いた。
そして、伸ばされた手を──ゆっくりと、取った。