05.天と地と、海の底と
屋内プールには、今日も春のやわらかな光が差し込んでいた。
立ちのぼる蒸気と、水面を照らす反射光が幻想的に揺れている。
プールサイドには、昨日に引き続き中等部1年生たちが整列していた。
実技授業2日目。
生徒たちは緊張の面持ちで、自分の足元に意識を集中している。
水音がわずかに響くなか──
「みんな下手くそだなぁ……」
ぽつりと、教室の隅から聞こえた呟きが静寂を破った。
それはカノンだった。
すたすたと前に出たかと思うと、彼はそのまま水面を歩いて渡りはじめた。
「僕にとってはこんなの朝飯前!」
彼の足元には、魔力の膜が滑らかに展開されている。
波紋ひとつ立てずに、まるで地面を歩くかのような安定感だった。
「すご……」
シルフが純粋な驚きを漏らす。
「ほう……」
エルフの教師も興味深げに目を細めた。
帝はジト目でそれを見ていた。
「相変わらずのコントロール力なのだ……忌々しい……」
そんな視線も気にすることなく、カノンはさらに調子に乗る。
「使いこなせれば、こんなこともできるよ〜!」
そう言うと、彼は宙に浮き上がり、逆さまに歩いたかと思えば、空気を階段のように使って上り下りし始めた。
生徒たちはどよめき、歓声が上がる。
「いやあ……本当にすごい」
シルフは乾いた笑いを浮かべた。
「……すごい芸当だな」
エルフの教師も思わず感心する。
「ウザいのだ……」
帝は呆れたように呟いた。
やがて、生徒たちはカノンを取り囲み、いっせいに質問を投げかけた。
「どうやるの!?」「私もやりたい!」
しかし──
「………えっと…こう……ぐあああって………」
カノンは腕を組みながら、身振り手振りで説明を試みたが、まったく要領を得ない。
「………………」
生徒たちは困惑の表情を浮かべ、カノンは得意気に胸を張るだけだった。
そのときだった。
「やってますね〜」
穏やかな声と共に、職員室から月が姿を見せた。
彼女は柔らかく微笑んだまま、生徒たちの輪の中へ入ってくる。
「この魔力コントロールが完璧にならないと、中等部2年生にはなれませんからね」
その一言で──場の空気が一変した。
「はああああ!?!?!?」
新入生たちが一斉に叫ぶ。
「うん、知ってた。だから、留年したんだ」
留年組は妙に冷静だった。
「いや!!誰がそんなこと決めたの!?!?」
「私です」
月がさらりと返すと、万里・クロマ・ラミリスの三人が同時に叫ぶ。
「横暴だ!!!」
堪えきれなくなった帝が、爆弾を投下する。
「お姉ちゃんだって魔力コントロールできないくせに!!」
「……………なんて??」
生徒たちが静まり返る。
「姉さんは、魔力コントロールできないよ」
カノンは当然のように補足した。
生徒たちの怒号が飛ぶ。
「ずるい!!」「なんで!?」「理不尽!!」
そのとき──
月は無言でプールサイドへ歩き出した。
魔力の気配が広がる。
静かな、けれど圧倒的な力が場を満たす。
次の瞬間、プールの水が音もなく真っ二つに割れた。
水が壁のように左右へ開き、底が露わになる。
その中央を、月はまるで舞うような足取りで、ゆっくりと歩いていく。
「私は、大陸の端から端まで魔力切れを起こすことなく、海を割り歩くことができます」
「皆さんは、こんなことできますか? できないでしょ? というわけで……やれ」
誰もが、口を閉じたまま、ぽかんと彼女を見つめていた。
シルフは肩をすくめ、乾いた笑いを浮かべる。
「……いや、もう……何も言えない」
エルフ教師は、静かに首を横に振った。
ただ一つだけ──確かなのは、今日もまた、生徒たちの心に大きな衝撃が刻まれたということだった。




