01.祈りと沈黙
石造りの礼拝堂には、今日も凍りついたような沈黙が満ちていた。
高い天井からわずかに差し込む光が、彩色ガラスを透けて床に淡い色を描く。だが、その美しさに目を留める者は誰もいない。
そこにいるのは、ただ一人──白金の瞳を伏せ、胸元で指を重ね、静かに祈る少女。
彼女の名は、月。
「聖女」と称され、神の代弁者として崇められる存在。
けれど、その実態は──自由な意思も、声を上げることも、笑うことすら許されない、囚われの器である。
祈りは日課だった。
目覚め、祈り、与えられた水とパンを口にし、また祈る。
眠る時でさえ、額には神の加護を求める呪句が記された冷たい帯が巻かれている。
彼女の世界には、他者はいない。
声も、笑いも、温もりも──存在しない。
それでも月は、誰に見られるわけでもないのに、祈りの姿勢を崩すことはなかった。
祈ることだけが、自分という存在をかろうじて形作っていた。
(……わたしは、ただの器)
それは思考ですらない。ただの確認。
誰かに教えられたわけでもなく、歳月の果てに染みついた認識だった。
この世界には、「自分」を認めてはならない。
喜びも、悲しみも、痛みさえも──贅沢であり、罰せられるべきもの。
だから、彼女は泣かない。笑わない。言葉も発さない。
ただ、神の意志を装い、静かに祈る。
まるで、それだけが自分の存在証明であるかのように。
──けれど、その日。
閉ざされた礼拝堂に、微かな違和が差し込んだ。
カーテンは閉じられ、窓もなく、外気が入り込むはずもない密室。
それなのに──風の気配があった。
月は目を閉じたまま、呼吸を止める。
揺れる空気。頬に触れる髪先。
けれど、それは一瞬で消え、再び沈黙が支配する。
──ただそれだけ。
月は、そっと瞼を開けた。
瞳の奥に浮かんだのは、驚きでも恐れでもなかった。
ほんのわずかに沈殿した“名もなき感情”──それは、期待と呼べるほど確かなものではなく、けれど確かに“記憶”に似た温度を持っていた。
その曖昧なものを、彼女は再び祈りの中に沈めていく。
祈りは、日課。
祈りは、義務。
祈りは、わたしという存在のすべて。
そして今日も、月は、静寂の中に沈み込んでいった。