その役目、降ります
昼休みが始まると同時に、私の前に婚約者であるセディリオ王子がやってきた。
「リシア。たまには一緒に昼食でもどうだ」
ああ、また来た。たしか原作でも、この時期はよく誘いがあったっけ。
面倒だと口にしたら、立場的にどうなるかわからない。……やっぱり、面倒だ。
「……ええ、中庭でいかがでしょう」
「中庭か。珍しいな」
逃げ道が多いからだ。心の中で呟く。
先に歩き出す王子に続き、教室を出る。
深く息を吐いたのは、たぶん誰にも見られていないだろう。
この世界は、百花の国、と呼ばれている。乙女ゲーム『百花繚乱メモリア』の舞台で、私――いや、前世で大学生だった瑞希は、悪役令嬢リシアとして転生してしまった。
(メインヒロインの座を誰にも譲らないぞ!みたいなキャラじゃなくて良かった……)
この数ヶ月、ため息の数が増えた気がする。
リシア・ルセルタ。ヒロインと王子の恋路を邪魔する、いわゆる障害ポジションの悪役令嬢である。
ゲーム本編では、平民の少女が不思議な力を持って学園にやってきて、いろんな事件を解決しながら王子と恋に落ちる。
そして、悪役令嬢の私は――ヒロインに嫉妬し、陰湿な嫌がらせを繰り返す。
「自分のものを取られたくない!」
「一番注目されるのは私じゃなきゃ嫌!」
……そんなセリフ、今の私にはとても言えない。
私はリシアとして、ただ義務的に社交の場に顔を出し、試験では無難な成績を取り、勉強や乗馬もほどほどにこなしている。
(どうせそのうちヒロインに全部もっていかれるし)
子供の頃ならムキになったかもしれないが、もう一度同じ人生を繰り返すなら、ほどほどに流されていくのも悪くない。
(なんで、あの熱心なゲーマーじゃなくて私が転生したんだろうなあ)
ちなみにセディリオ王子は、ゲームの“攻略対象”だけあって容姿は完璧。だけど、目の保養以上の感情はとくにない。
争うほどの執着なんて、最初から持っていない。これはリシア自身の性格にも影響されている気がする。
婚約者として、王子は時折優しい言葉をくれるし、誕生日には花束が届いたりもする。
だけど、私は表面上のお礼と、必要最小限の距離感で接している。
どうせヒロインに心を奪われるのだから、と。
乙女ゲームの悪役令嬢でありながら、私は今日も、淡々と現実をこなしていた。
「最近は、どうだ」
中庭のベンチに座ると、セディリオが声をかけてくる。
「平穏です」
ランチの最中、会話の大半は王子が振ってくれる。私は相槌と無難な話題だけ返す。
これがゲームなら、もっと緊迫した会話劇があったはずだ。
だが、私はただ静かにパンをかじる。
「そろそろ新入生が来る頃だな」
――つまり、ヒロイン登場も近いということだ。
春が来て、私は無事に進級した。
新入生の話題が学園のあちこちで囁かれている。
「今年の新入生、やばい子がいるんだって」
「どんな?」
「ほら、あの花の加護があるって噂の子」
――ついに来たか。
原作のヒロイン、クラリーチェが入学してくる年だ。
私は今年から、馬術部に入部することにした。
ヒロインや王子と接点を減らせるし、ゲーム本編にもほとんど描写がない部活だ。
平和にやり過ごす作戦は、今のところ順調だ。
「というわけで、今後は昼食もご一緒できません」
正直に言ったところ、王子は少し黙ってから「そうか、なら放課後に」とだけ返してくれた。
心のどこかで、これで私の役目も徐々に薄れていくはずだと期待していた。
クラリーチェはすぐに学園に馴染み、あっという間に人気者になった。
彼女の活躍が耳に入るたび、私は「やっぱりね」とどこか他人事のように感じる。
このままいけば、原作通り――
そんな気持ちで、私は穏やかに学園生活を送っていた。
期末試験の前日、セディリオ王子が珍しく真剣な顔をしてやって来た。
「明日、少し話せるか」
「……はい」
正直、嫌な予感しかしない。
呼び出されたのは、学園裏手の静かな庭だった。
王子は落ち着かない様子で言葉を探している。
「何かありましたか」
「……クラリーチェのことだ」
やっぱり。
だが、私は首を傾げてみせる。
「何か問題でも?」
「いや、リシア、お前は彼女から何か言われていないか?」
「特に、ありません」
王子は少しだけ安心したような顔をした。
その表情に、私は少しだけ興味が湧いた。
(あれ、原作と違う?)
違和感はあったが、私はそのままにしていた。
だが、数日後、クラリーチェから直接呼び出しを受けた。
「話がしたいの」
裏庭で待っていたのは、柔らかな微笑みを浮かべるヒロインだった。
「実は……」
クラリーチェは、ぽつりと言った。
「あなたも、前世の記憶がある人、でしょう?」
私は驚いた。だが、すぐに納得もした。
「……そう、気づいていたの」
「うん。私、瑞希だった頃にこのゲームを何周もしてた。まさか自分がヒロインになるとは思わなかったけど」
「私も。まさか悪役の中身が自分とは」
二人で顔を見合わせ、笑いあった。
「で、あなたはこの物語をどうしたいの?」
「正直、平和が一番。王子のことも、攻略する気はないよ」
「安心した。私も、彼に特別な感情はないし」
互いにしみじみと頷いた。
王子が現れ、私たちが話しているのを見て小さく息をのんだ。
「二人は……仲がいいんだな」
「ええ。趣味が合うのです」
「うん、前世の話とかね」
「前世?」
王子がきょとんとする。
私は小さく笑って誤魔化した。
「殿下。そろそろ、本当に大事な人を見つけてくださいね」
「……それはどういう意味だ?」
「そのうちわかります」
その日から、私はクラリーチェと共にのんびりと学園生活を楽しむことにした。
馬術部では新しい友達もでき、気づけば王子も別の誰かと仲良く話していた。
この物語は、もう決まった結末に向かっていく必要なんてない。
私は私の人生を――新しい友人と、少しばかりの自由と共に――歩んでいくつもりだ。
たまには、そういう終わり方があっても、いいんじゃないかな。