尖閣諸島の大油田(4)
国内での天然ガス需要の増大と平行した石油消費量の低下があったため、2000年代に入ると再び石油輸出量が伸びた。
主な購入国は、近隣の大韓民国と台湾(中華民国)だ。
中華人民共和国(中華)は、日本の輸出量が限定的なのもあって石油は購入しなかった。中華での消費量が大きくなり過ぎていたからだ。
そして1990年代からは韓国と、21世紀に入ってからは中華との経済摩擦に、ほぼ必ず尖閣ガスの輸出問題が出てくるようになる。
そして日本が資源輸出国で、事が貿易と言うこともあり、他の外交問題と違って強気に出ることが多いので、尚更問題化する事が多かった。
中華、韓国は、外交問題で日本に対して強気の姿勢の場合が多く、資源問題でも折れないからだ。
特に韓国は、日本から大量の液化天然ガスを輸入する他にも、様々な工業製品、精密機械(中間部品)などを輸入するため、ものすごい金額と比率の貿易赤字を毎年記録した。
そして韓国が日本に対していらぬ一言を言うだけで、日本が何もしない(言わない)のに韓国の通貨ウォンと株価は乱高下する有様だった。
韓国の左派政権があまりに外交を無視してきた時は、日本側が少し強めに反論しただけでウォンと株価が大暴落を起こしたりもした。
このため両国の関係は、貿易が親密になるほど悪化するという、ある種異常な状態が今に至るも続いている。
中華との間にも、液化天然ガスとレアアースなどの資源を巡る問題が何度も発生している。
また、中華が尖閣諸島の領有権で何かを言う場合、国際市場での尖閣油田、ガス田の価格に影響する事(大抵は高騰する)がある。
この場合、中華も尖閣諸島の天然ガスを購入しているが、経済より外交と面子を重視する国なので自らも傷つくという状態に陥っている。
また、台湾にも液化天然ガスを輸出しているが、中華人民共和国が恒例行事のように文句を言うだけで、日本と台湾とは良好な関係が続いている。
日本としては尖閣油田の安定が、台湾としては日本との関係強化で安全保障が強化できるからだ。
そして21世紀にはいると中華人民共和国との摩擦が強くなるたびに、日本側も尖閣のガスを外交上の武器に使うのが通常となっている。
一方で、近隣の油田、天然ガス問題では、サハリン(樺太)北部の海底に眠る油田、天然ガス田の開発問題がある。
サハリンの主に二つの地区の埋蔵量の合計は、石油が約34億バーレル(約5億4000万キロリットル=4億5000万トン)、天然ガスが約1000億立方メートル。
石油1100億バーレル以上、天然ガス約12兆立方メートル以上の尖閣と比べるとその差は歴然だったが、極東での商売敵となる。
開発計画自体は、1970年代初期にソ連側から共同開発の打診があった。
これを日本の尖閣油田への牽制と見て、開発計画は流れた。既に経済が傾いていたソ連には、海底資源を開発する金も技術も無かったからだ。
そして日本側が体制の違いなどを理由に謝絶したため、計画は動かずに一時凍結。米ソ冷戦構造崩壊後に、再び話が持ち上がる。
冷戦構造崩壊後の1990年代の前半頃、今度は欧米の石油会社も乗り気になったが、日本側は依然として意欲は低調。そこで話が韓国や中華人民共和国へと向かう。
しかし韓国には、採掘できる企業はない。中華人民共和国は当時は国内開発で手一杯だし、ロシア(旧ソ連)との関係も不安定だった。
こうした状態から開発計画は延びに延び、21世紀に入ってようやく中華資本が入ることで計画が動きだす。
この時点では日本の一部企業も参加したが、形だけにとどまっている。
そして採掘されるようになったが、尖閣より採掘コストが高く日本では買い手が付かない為、中華人民共和国や韓国が購入している。
しかもロシアは、強引な手法で半ば国有化して外資の利権を取り上げたに等しいので、日本側は完全撤退していた。
一方で尖閣諸島だが、1990年代になると尖閣油田は地上(島)からの採掘量が減少し、海底油田が増えたため採掘コストが上昇した。
だが、世界的な石油価格の高騰があったため、特に問題も発生しなかった。
しかし、最盛時3億トン近く採掘されていた産油量そのものの減少を余儀なくされた。国内では産油量と石油価格に合わせて、ある程度の省エネ対策が行われることになる。
一方で、石油が減産したので、主にアメリカに対する海外輸出は大幅に減らされた。1990年代中頃からは、殆ど輸出できなくなった。このためアメリカとの間には、一時期険悪な状態が生まれたりもした。
輸出は21世紀に入り若干復活したが、アメリカが求める量ではないし、日本の近隣諸国が購入したのでアメリカに流れる事はなかった。
また一方では、液化天然ガスの利用が大幅に拡大されているので、この頃から言われるようになっていた温室効果ガス削減にも合致する事になった。
なお国内での発電事業だが、1980年代からの日本では重油火力発電、天然ガス火力発電がさらに拡大された。
重油火力発電は地球温暖化対策と価格面から徐々に減少し、天然ガス火力発電の主力となる。
21世紀初頭だと、日本の発電の殆ど、約80%を火力発電が占めている。
そして火力発電に大きな比重を置いているため、火力発電での低公害化、温室効果ガス削減、合理化、省エネ化などに力が割かれている。
ただし、火力発電を尖閣の天然ガスに頼るため、世界的に多い安価な石炭を利用した火力発電は比較的低調のため、他国との技術の違いなども出ている。
(※安価な輸入石炭の利用は一定程度行われているが、2010年代からは温室効果ガス減少の流れで利用は減少している。)
原子力発電については、総発電量に対する割合は水力発電と同規模の5%~10%程度で維持されている。
これも、核兵器を有しない代わりに原子力技術そのものを持つことが重要だと考えられたためという、国家戦略的な側面も強くあった。
だが、尖閣諸島の油田発見が確定した1969年以後、日本政府の原子力政策は従来路線から大きく後退していた。
オイルショックでも油田開発が最優先とされ、原発は現状維持的な補助エネルギーの扱いしかされなかった。高速増殖炉計画も、計画半ばで研究以外は中止された。
発電プラント各社も原発は二の次で、石油、天然ガス発電のさらなる開発に力を入れた。
そして1979年のアメリカのスリーマイル島事故、1986年のソ連のチェルノブイリ原発事故の心理的影響もあって、拡大しないまま事業停滞もしくは縮小の流れが続いた。
このため日本政府は国家戦略の一部見直しを強いられ、1990年代からは原子力ではなく宇宙開発に重きを置くようになった。
科学技術発展のためと言われる宇宙関連予算の拡充にも、そうした国家戦略的な側面があった。
そして、国内の地震や津波による原発被害(災害)にも敏感なため、国内の原子力発電所数は2010年代でも20基を超えていないし、最初期に建設された原発は既に活動を休止して、解体に向けた研究や動きが進んでいた。
日本で最初に建設された東海原子力発電所など数基が、稼働を停止して解体研究を行うようになっている。
この影響で、2基以上の建設が無期延期の形で凍結された福島原子力発電所は、2010年に商業発電を停止していたので、2011年3月の東北地方太平洋沖地震では大災害を免れたと言われている。
また一方では、21世紀に入ると温室効果ガス対策として注目されるようになった。また、国内油田枯渇後を見据えて、新たな原子力発電所の建設が開始されたり、次のエネルギープラントの開発が行われている。
このため2020年代には、多数の原子力発電所の建設計画が動いており、一部では建設も開始されていた。
(※超越者の視点より:史実日本の原発建設数は50基を超える。この世界は史実と比べて発電規模で4分の1、原発数で3分の1程度しかない。)
一方で1990年代に入ると、尖閣諸島近辺で新たな国際問題が浮上した。
尖閣諸島沿いの大陸棚の際には、海底各所に天然ガスが埋蔵されていた。これを日本も、尖閣諸島の近くから順に洋上採掘しようとしたのだが、ほぼ同時に中華人民共和国も海底天然ガスの開発を行おうとしたからだ。
そして殆どの天然ガス田は、日中中間線と呼ばれる経済的な境界線の辺りに存在した。
幸いと言うべきか、尖閣から大陸もしくは台湾方面には油田もガス田もなかったが、比較的浅く波も静かな海上のため、採掘自体は十分可能だった。
そして日本が、経済性の悪さから尖閣周辺のガス田以外手を付けないのに対して、中華人民共和国は採算度外視で開発を続け、領土問題としても大きく問題化している。
また、尖閣諸島は北東に小さな島が連なっている為、中華人民共和国が開発した海底ガス田に近かった。
しかも島の一部は琉球諸島の開いた場所を塞ぐように位置している為、一番北東側の無人島を中華人民共和国が「岩礁」だと一方的に宣言している。
そしてこれは尖閣諸島と航路の防衛問題を起こし、2000年代半ばには日本側はその無人島に有人の研究施設を建設。自衛隊による体制も整えた。
当然、中華人民共和国は反発しているが、今のところ問題は起きていない。
また中華人民共和国は、100万人以上の人口を抱えるようになった尖閣諸島自体にはあまり五月蠅く言わなくなった代わりとばかりに、別の難癖をつけ始める。
1990年代からは、大陸棚までが自国の経済水域でそこから先が両国の中間線であり自らの経済的権益だ、と言うようになっている。
分かりやすく言えば、尖閣諸島と沖縄のギリギリまでが自国のものだと言い立て、尖閣沖合の海底油田の一部も自国のものだとも主張している。
当然日本側との主張に非常に大きな隔たりがあり、慢性的な外交問題となっている。
また中華人民共和国は、尖閣諸島そのものについても決して諦めたワケではなく、沖縄を含めた「自らの権利」について一方的に言い立てる動きは続いている。
このため、日本との関係が定期的に悪化する流れは続いている。しかし、事が経済問題にも及ぶ状況が増えているため、強く言い立てる事はほとんど無くなっている。
この事に関しては、尖閣復帰後の日中国交正常化問題と、1989年の「第二次天安門事件」以後長期に渡り日中間の交流が途絶えた事が影響しているとも言われる。
尖閣油田が無ければ、日中の経済交流は今よりもっと親密だったと、主に中華人民共和国側から言われることは非常に多い。
実際、国交正常化はアメリカより7年遅れた。
また、1989年以後、日中の交流は5年近くも実質的に断絶状態となる。中華側からは様々なアプローチもあったが、うまくはいかなかった。
国交正常化の遅れに伴う双方の交流の不足も大きな原因だが、日本側が尖閣油田の中華側の対応に神経を尖らせ続けたのが、一番の原因だったとされる。
交流の再開に際し、日本側は尖閣問題を今後持ち出さない事を公の文書で約束するのを条件としたのだが、一度言い出した中華側も受け入れる事が出来ず、関係悪化は長引いた。
中華側は平成天皇の訪中による一挙打開を何度も持ちかけるも、日本側の態度は硬いままで実現する事はなかった。
しかもその後、中華人民共和国の江沢民政権は、天安門事件でイデオロギーが国民制御に通用しなかったため、代替手段として反日教育に大きく傾く。
これも、日中の関係悪化につながった。
当然、人材、資本、技術の交流は停滞。中華側は政治と経済は別などと言ったが、尖閣油田の問題については政治だと位置付けていた事もあり、日本側は妥協したくとも出来なかった。
しかも1990年代序盤には米ソの対立が終わり、ソ連自体が崩壊して安全保障の環境が激変したため、日本としては中華との関係改善の必要性が低下している。
加えて、今までソ連に向けていた戦力の一部を、安全保障上の要求に従って尖閣油田と、油田と本土を結ぶ航路に振り向けた事で、中華との関係悪化は強まった。
結局、日中の関係改善は江沢民政権の間は十分な改善は見られず、最低限の状態が続いた。首相どころか、外相、大物議員も中華に渡ることはなかった。
関係悪化は、1989年から14年間も続いた。
関係が改善したのは2003年。2002年に成立した胡錦濤政権時代で、日本の小泉政権との間に相互で国家主席と首相の公式訪問が実現している。
なお、中華人民共和国にとって、尖閣諸島に対する誤算は大油田と経済問題だけではなかった。
日本への復帰以後、短期間の内、しかも中華人民共和国が海上に勢力を伸ばす前に尖閣諸島が大規模に開発され、多くの日本人が住むようになった事自体が、大油田の発見と開発よりも大きな誤算だったと見られている。
総人口十数万人の貧しい地域のままならともかく、100万人以上の人口と重要資源地区、重要産業地区となった同地域が、自らの目と鼻の先にあるという状況は、彼らの内政にとって看過できない事態だったからだ。しかも、一定規模の軍隊(自衛隊)まで駐留するとなれば尚更だ。
そして日中の東シナ海での緊張は、米ソ冷戦構造崩壊後に徐々に強まり、中華人民共和国の経済発展と国力の拡大に伴い激化するという傾向が続いている。
だが日本も、自らの生命線とでも呼ぶべき場所を防衛するため神経を尖らし続けており、沖縄を含めた尖閣諸島の防衛についてはかなりの努力を傾けている。
今後も尖閣諸島を中心として日中の緊張は継続されるだろうが、尖閣油田と尖閣ガス田が日本の生命線である以上、日本領として厳重に守られていく事になるだろう。
了
(補足・雑記・後書きに続く)