手折られことなき天上の花々
清らかな篩は偉大なる神々に大いなる炉を任されたと伝えられており、時として大国すら凌ぐ影響力を保持している。そして通常なら、神殿の奥深くに部外者を立ち入らせることはないのだが、聖典に記載されている伝説級極鎧の所持者なら話は変わる。
「なんと目出度い。国王陛下も喜ばれるでしょう」
「ありがとうございます」
肥え太った中年の男性神官の賞賛に、姫騎士型と共に名を高めたコーデリア・ポルフィロスが応える。
しかし凛々しい王女は若干疲れていた。
(何人目だったか……)
このやり取りだが、別々の聖職者がコーデリアに会うたびに何度も繰り返すので、最早彼女は回数すら覚えていない程だ。
つまりそれだけ清らかな篩の聖職者達は伝説の再来を喜んでいる……だけとは言えない。
騎国の赤花と称されるコーデリアを一目見よう。もしくは近くで話しかけようとしているのだ。
神に仕えようが節制など遥か昔に忘れ去られた。禁欲など考えられない。欲しいものは手に入れたい。できる限り贅沢な生活をしたい。
それが現代の聖職者であり、可能であるならコーデリアすら自分のものにしたいと考えていた。
「まさか妹君まで伝説級とは!」
聖職者がとんでもないことを口走る。
儀式に参加した騎国の人間はコーデリアだけであり、ましてや伝説級などあの場で現れていない筈だ。
実は若干の裏があった。
「お連れしましたぞ」
別の聖職者がそう言いながらやって来たが、そのすぐ後ろにはコーデリアにも劣らぬ美しき青花がいた。
「コーデリア姉様!」
「レティ!」
コーデリアを姉と呼びながらこれ以上ない程に笑顔となっている女はレティと呼ばれたが、本当に姉妹なのかと多くの者が首を傾げる程に似ておらず、共通点はエルフの長耳だけだ。
腰まで流れる清らかな青い髪とぱっちりとした大きな青い瞳は、苛烈さや凛々しさを感じるコーデリアの赤とは正反対だし、雰囲気や体型も全く違う。
よく言えば無垢、悪く言えば何でもかんでも信じてしまいそうな緩さで、この世に穢れや悪人など存在しないと言い出しそうだ。
更に体型だが、コーデリアが機能美を追求したような美しい刀身だとすると、レティは起伏の幅が大きすぎる。
厚い婦人服の上からでもスタイルが分かるため聖職者達はずっと凝視しているし、数少ない女性神官もどんな食べ方をすれば必要なところにだけ栄養が行くのかと首を傾げている。
しかもコーデリアに負けず劣らずの美貌となれば誰もが目の色を変えるだろうし、彼女もまた伝説級の極鎧を手に入れていた。
「私、聖女型でした!」
「おめでとう!」
報告するレティとそれを喜ぶコーデリアは二人の空間を作り上げる。
レティもまた伝説級極鎧の聖女型を入手していたが、そのせいで危うく裏の配慮が機能しかけてた。
レティはコーデリアの異母妹なのだが、母同士を比べた場合コーデリアの方が上で、しかも彼女は第一王女だ。
そのためレティが何かしらの特殊極鎧を手に入れた場合、コーデリアと彼女の母の面目を潰してしまうと考えた関係者は、若干タイミングをずらして儀式を行った。
しかしこの配慮は、姉妹が揃って伝説級の極鎧を入手したためいい意味で裏切られたのだが、一歩間違えれば後宮のパワーバランスを吹っ飛ばしたことだろう。
ちなみにだが儀式に参加者したエルフがこの配慮を知ると、次は人族を同じ場で儀式に参加させるなよと文句を言ったことだろう。
「父上もきっと喜んでくださる」
「はい!」
そしてコーデリアとレティの姉妹仲は良好で、特に家族間の問題もないため、純粋に喜びあっていた。
純粋でないのは男の聖職者達だ。
(これは面白いことになった)
内心でほくそ笑む聖職者達は、レティの母が信心深く神殿への配慮を欠かさない人物であることを知っている。そこへ聖女型は名前の通り、宗教勢力である清らかな篩と結びつくのが自然だと囁けば……。
聖職者達は象徴と王家の結びつき。更にはどう見ても無垢で世間を知らない、素晴らしい女を手に入れることを夢想する。
中身がないものをありがたい話に変えるのは得意中の得意なのだ。世間から隔離された神殿内に取り込めば、乙女を都合のいい自分の女にするなど造作もないように思えた。
ただ、そのためには同僚達を蹴落とす必要があり、そちらはかなり手古摺るだろう。彼らは神に仕えているのではなく、権力と欲の信奉者なのだ。
手に入れてないもないのに妄想する愚か者でもあり……先のことばかり考えて目が濁った結果、足元にある落とし穴も気が付いていなかったが。
◆
「はて……」
一方、誰からも期待などされていないフレッドは、伝聞と現実の違いに困惑を深めていた。
「そんなに悪くはないが……」
街から少し離れたところに、極鎧を運用して性能の確認をしてもいい場所があると知ったフレッドは、聖職者に許可を取ってから訪れ色々と試していた。
尤もいるのは彼一人だ。
聖なる行軍は極端を言えば歩くだけでいいし、極鎧を用いた国家間戦争など数百年以上も起こっていない。そんな停滞した環境で、しかも怠惰に慣れ切ったエルフの青年達が性能を確認しようと思うはずもない。
人間達も似たようなものだ。
無理矢理儀式に参加させられて、軍役の一部を人間に押し付けるためのモデルケースにされた彼らに向上心などなく、同じ境遇の仲間達と愚痴ばかりを溢していた。
言い方は悪いが、何が起こるか分からないから出来ることの確認をしようと思ったフレッドは異端である。
それは幼少期から同じで、体を鍛えたり武器を振り回したりするのが好きだったフレッドは、面白がった亡き父と母に援助されて、今の屈強な体を作り出した。
だがそれも無駄だ。争いはなく、形だけの軍役を面倒臭がる世の中で、鍛えたからと言ってなにになるのだ。無駄の極みである。
事実、権力には逆らえない。
(騒がしくなったしピリついてるな)
確認を終えたフレッドが幅の広い顎を太い指で擦りながら、自分の周囲で起こっている問題について考える。
(普通に仲が悪いのに古来からの教えに従って一纏めにすればこうなるか)
フレッドの視線の先には、出くわした途端に睨み合っているエルフの青年達がいた。しかし完全に同じエルフではなく、片方は褐色肌が特徴的なダークエルフと呼称されている種だ。
実はこの世界、国家間戦争こそ長く起こっていないが各国の仲はそれなりに悪く、なにかが起きれば張り合う関係だ。
しかもそれに加え、長く続いている清らかな篩も地域によっては微妙に教義や思想が変化しており、その影響を受けた者達が別の地域の教えに反感を示している始末だ。
つまり古い教えに従って各国から極鎧所持者が集まった今この場所は、限界を迎えかけている世界の縮図になり果てていた。
尤も、フレッドにすればどうしようもない話だ。
彼は貴族どころか実質追放されている身であり、国家や宗教のことを改善できる訳がない。可能なことと言えば、隅で身の丈に合った相応しい生き方をするだけである。
(ん?)
神殿近くから遠目で睨み合っている者達を見ていたフレッドは、その神殿内から妙に慌ただしい気配を感じてそちらに注意を払う。
そしてすぐさま神殿の入り口から遠のいて頭を下げた。
エルフの青年達が集まって外に出ようとしていること。彼らが自国の公爵や伯爵家の子息で権力と強い結びつきがあること。それらはこの際どうでもいい。
問題なのは彼らの中心に、コーデリアとレティの王女姉妹がいて、普段の精神状態と違うことだ。
(あちらは……多分だが妹様か)
フレッドは儀式で直接コーデリアを見ているが、レティはその場にいなかったので顔を知らなかった。しかし自国の王女姉妹が騎国の赤青花と謳われていることは知っていたので、レティの青い髪と瞳から答えを導き出した。
突然だが、古来から雄が雌にアピールする手っ取り早い手段がある。
力強さ。もしくは暴力と言い換えてもいいが、更にこの手段の中でも手っ取り早い方法は、反撃の心配がない弱者への攻撃だ。
そして大抵の場合は自分がどう見えているか分からないまま加減を誤る。
「もっと頭を下げんかぁ!」
太った伯爵家の息子の、真ん丸とした拳がフレッドの顎に突き刺さる。
人生の絶頂だろう。
後ろには公爵家の兄貴分がいて、いつ消えるかも分からない子爵の養子が文句を言えるはずもない。ましてやフレッドはエルフではなく人族なのだから猶更である。
そして麗しき王女姉妹への無礼を咎め、二人に自分の忠誠心を誇示できるのだ。
ただ、重ねて言うが客観視できていないし、古来からの伝統行事とは言え好む者と好まない者にはっきり分かれる行動だ。
そして人生の絶頂ならばあとは下るだけである。
「なにをしている!」
「きゃっ⁉」
当然ながらコーデリアは突然の事態に驚き、レティは縁のなかった暴力を直視できずぎゅっと目を閉じてしまう。
「お気になさらないでください」
しかも救えないことにこれを予測できなかった青年達は狼狽えるばかりで、寧ろ被害を受けたフレッドだけが平然としている。
「そうはいかない! 名と家名は?」
「フレッドです。家名はありません」
「な、ない?」
フレッドに名と家名を尋ねたコーデリアには、この場にいる者達は全員が貴族だという思い込みがある。
そしてフレッドを殴った者は彼の事情を知っていたからこそ殴ったため、焦った脳は余計なことを口走って自分を正当化しようとした。
「な、なんだ! プラーシノ家を追い出されたのか! コーデリア様、こいつはもう貴族じゃありません!」
世界の淀みとしか言いようがない。何百年と続く特権は自らをなにをしてもいい特別だと錯覚させ、先ほどの行為も問題ない事態だと認識させていた。
ついでにここで、更に面倒臭いことが起こった。
目立つ一団が教会の前で足を止めているものだから、首を突っ込んでも特に問題ないと自認する者達がやって来てしまう。
「はーぁーい。その髪色、噂の赤青花で姫騎士様と聖女様ね。初めまして。女王型のアドラシオン・エリモスよ。こっちは魔女型のソル・ディリティリオ。南砂漠の金銀って言った方が通りがいいかしら? よ、ろ、し、く」
アドラシオンと名乗ったド派手なダークエルフの女が、青年達を引き連れて乱入してきた。
女性にしてはやや背が高いコーデリアよりも更に高身長で、起伏はややレティに劣る程度の女など、世界中の同性から嫉妬されるだろう。
更に衣服と装飾は個性的で、男にとって暴力的な肉体を誇示するかのように肩から垂れ下がった布は胸部だけを隠し、腰もまた布を巻いているだけで脚が剝き出しだ。はっきり言って衣服とは言えず、日に照らされて輝く褐色の肌をほぼ全てを曝け出している。
しかもその割には金のイヤリング、腕輪、ネックレスを身に着けており、布と豪奢な金細工で着飾った女と言える。
だがなによりも美しいのは宝石ではなく、切れ長な金の目と後ろで結んだ長い金髪、女神と見間違えそうな顔立ちを持つ彼女そのものだ。
生きた生物でありながら、同質量の金を遥かに凌駕する価値があるのではないかと思わせる美貌は余裕に溢れ、瞳はどこか悪戯気な光を宿して煌めいている。
「天才大魔法使いソル・ディリティリオちゃんだよ。よろしくね!」
一方、ソルと名乗ったダークエルフの女も奇妙だ。
若干小柄で起伏もない彼女は、褐色の肌と服装こそアドラシオンと同じで肩から胸にかけての布を垂らし、腰にも巻き付けている。
だが大きすぎる黒いとんがり帽子をすっぽりと被り、そのツバからフェイスベールに用いるような妖しい紫の布がゆらゆらと垂れ、彼女の顔を遮っていた。
それは必要な措置なのだろう。幼さが残るような顔立ちは自身に満ちているが、色気を溢れさせるアドラシオン、凛々しい美貌のコーデリア、あどけなさと無垢の象徴のようなレティにも劣らぬ美しさだ。
更にベールですら遮れぬ灰色、いや、銀と錯覚してしまう瞳は星の様にキラキラと輝き、帽子を取れば同じく銀の如き短い髪が煌めいたことだろう。
「エリモスにディリティリオ?」
コーデリアにすればフレッドの件で忙しいところにやって来た乱入者なのだから、あとにしろと言いたいところだった。
しかしながら名乗った名前が大問題で、エリモスは騎国の隣に存在する砂漠の大国、熱砂国の王家の姓であり、ディリティリオは熱砂国で代々優秀な神官を輩出する最上位の貴族の姓だ。
途端にコーデリアとレティの周囲にいる青年達の人相が悪くなる。
先程国の仲が悪いと述べたが、隣国で力が拮抗している大国同士の貴族ともなれば更に悪い。騎国と熱砂国は何百年もいがみ合い対抗意識を燃やしているため、両者が遭遇すればいつも剣呑な雰囲気が漂い始める。
「なんの用だ?」
その因縁はコーデリアも受け継いでいるが、彼女は傍にいるレティがらしくない敵意を持っていることに気が付かなかった。
原因はソルの小さな胸の上で踊る、篩を模した金細工だ。彼女とは比較にならないレティの胸でも篩の金細工は踊っているが、こちらは縁が丸くソルの物は四角だ。
騎国の清らかな篩の教義は、悪を絡めとり正義を通すというものだ。しかし熱砂国における清らかな篩の教義は、選ばれた者が篩を通れるというものに変化している。
その変化は同じ清らかな篩で対立を引き起こしており、信心深い母の影響を受けているレティもそれに引っ張られていた。
「そうねえ。噂の美人姉妹を見れたから満足と言えば満足。中々じゃない」
「ア、アドラシオンが騎国の人間を褒めた……明日は熱砂国で豪雨だ」
「私だって美人は美人って言うわよ」
じろじろとコーデリア、レティ姉妹を観察したアドラシオンが頷くと、ソルは大きな帽子をずらして天を見上げた。
敵意は騎国側からの一方的なものではなく、熱砂国も持っている。
しかし、どこか傲慢な気配を漂わせて、自分が一番美しいと主張しているようなアドラシオンでも、騎国が誇る赤青花は遠回しに褒めるしかないようだ。
「ま、今日は挨拶だけにしておきましょうか」
アドラシオンの用事は終わったが、彼女の取り巻きもまたどうしようもない雄と言えた。
「それにしても、勇者と呼ぶに値する男はいないらしい。果たして姫君を守れるのか?」
褐色肌の青年は仲間に話しているような形を取ってはいるが、それは誰がどう見たってコーデリアとレティを囲んでいる者達に向けた言葉だ。
しかしながら鏡を見るべきだろう。アドラシオンの周囲にいる青年達も不摂生を原因とする肥満体系が多く、不測の事態が起こった時に機敏な動きができるとは思えない。
そして自分が優秀だと思っている雄は上から見られることを酷く嫌うものだ。
「なにを言うか! 我々はコーデリア様とレティ様をお守りするためなら命すら捨てる覚悟だ!」
「おお!」
「そうだ!」
「お前達こそどうなのだ!」
青白い顔を真っ赤にした者達は、コーデリアとレティのためなら命を捨てると豪語する。更にこういった場面で多いのは、お前はどうなんだと言う理論だ。
勿論返答は決まっている。
「当り前だ!」
「我々もアドラシオン様とソル様を何があってもお守りする!」
人間【と】動物……ではない。
自らは違うと区別しようが、本能を持っている限り人間も動物の一員でしかないのだ。
とは言えアドラシオンとソルを放っておいてヒートアップする青年達だが、女からすれば特に交流がある訳ではない者が大層なことを言っても心に響かない。
「それじゃあねー」
「また会おうじゃないか!」
「ア、アドラシオン様⁉ ソル様⁉」
アドラシオンもソルも面倒な角の突き合いに付き合うつもりはなく、見たいものは見たからもう用はないと言わんばかりに背を向け、取り巻きは慌てて後を追う。
「……なんだったんだ?」
「……さあ」
「……そうだっ⁉」
嵐のように去っていった女達にコーデリアとレティは首を傾げるが、コーデリアは取り込み中だったことを思い出し、慌ててフレッドの姿を確認しようとした。
「い、いない……」
コーデリアのぽつりとした声が漏れる。
フレッドは急用を思い出してこの場にいなくなっていた。
戦略的撤退と言う用事を。
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