帰還
(姫様達は眠れているな)
フレッドは簡素なベッドで眠る姫君達を確認する。
夜という概念がない不思議な場所だが、エルフだろうと人族だろうと規則正しい生活を送っているなら、普段通りの時間に眠くなるものだ。
しかし、フレッドは悪魔の件で不安を覚えた姫君達が、眠れなくなっているのではと心配していた。そのためここ数日、姫君達の精神安定剤としての自覚があるフレッドは、可能な限り姫君達と同じ場所で寝るようにしていた。
(まあ、色々とマズい気はするが必要だろう)
未婚の姫君達が眠っているすぐ傍に男がいるのは、政治的なことを考えると非常に危険な行いで、平時にそんなことをすればすぐさま処刑だろう。
ただ、今はとびっきりの緊急事態であり、万が一悪魔が現れた場合のことも考えると、フレッドが傍にいるのは必要な処置と言える。
しかも姫君達はそれに対して文句を言うどころか望んでいるため問題になりようがないし、アドラシオンに至っては、フレッドがベッドに侵入してきても笑顔で迎え入れるだろう。
なお余談だが、そのアドラシオンの予定では非常に大きなベッドの購入が決定していた。
(しかし……西極湖か。危険地帯は危険地帯だが、面倒がらずにきちんと対処すれば治められる筈……と聞いたような。親父が言ってたか?)
フレッドは、自分が平定することになっている西極湖の話を思い出す。
様々な魔物が徘徊する場所として悪名高い土地だが、清らかな篩や大国がその気になれば、ある程度はなんとかなる筈の土地だというものだ。
だが怠惰と堕落が蔓延して、軍役すら下々の連中に押し付けてしまえと思うようになったエルフ達は、面倒を非常に嫌うようになっており、西極湖はほぼ放置された土地となっている。
(大いなる神の話を信じてくれるなら、かなり本気の支援を受けれると思うんだが……)
流石のフレッドも自分と姫君達だけで危険地帯の確保ができるとは思っていない。そして面子が大きく傷ついているであろう各国が、その汚名を返上するため大いなる神に従う決断をしたなら色々と楽ができる。
ただし、腐臭が溢れる寸前の世界がどこまで頼りになるかは未知数であり、予想外の頭痛を招く可能性もあった。
(その辺りを考えても仕方ない。やれることをやるだけだ)
フレッドは、今考えても仕方ないことだなと思い直して目を瞑る。
運命のダイスは投げられた後なのだから、フレッドは精一杯やり遂げるだけの話である。
これから数時間後、事態は大きく動いた。
◆
朝早くの決戦の湖付近はある意味で戦場と化している。
「姫様ー!」
「アドラシオン様ー!」
「コーデリア様ー!」
悪魔の襲撃が起こった決戦の湖付近では、姫君達の使用人達や清らかな篩の聖職者、更には駆り出された下々の平民達が必死になにかの痕跡が残っていないかの捜索を行っている。
特に使用人達は、手ぶらで国に返れば自分がどうなるか分からないため必死だし、清らかな篩の聖職者は責任問題を少しでも軽くする希望を見つけようとこれまた必死だ。
ぎゅるりと耳障りな音が辺りに響いた。
「え?」
全ての者が呆然とした。
空に浮かぶ城より遥かに巨大な黒い物体が突然現れて、地上の人間達を影で覆う。
「お、お、大いなる神……」
「馬鹿! 跪け! 早く!」
「なんたることだ……なんたることだ……」
「か、神よ……」
「悪魔が出たからやってこられたんだ……!」
聖典に記されし大いなる神の登場に、エルフ、人族の区別なく全員が跪いて一心に祈りだす。
そして、つい先日上級悪魔が現れたことも合わさると、千年前の神話がほぼ再現されたと言っていいだろう。
【有機生命体用次元渡航装置起動】
「大いなる神がお言葉を……!」
更に大いなる神は、人間達にはほぼ理解できない言葉を発してその権能を披露した。
蜃気楼のように次元が歪むと五人の人影が現れ、しっかりとした形となって現実世界に結実する。
だが跪いて祈っている者達は、求めていた姫君達を認識することができず、大いなる神の次の言葉を待った。
【フレッドに直接通達。上級悪魔9番討滅の功績を称え臨時少佐に任命。特別撃墜王の称号を授与。訓練施設での教育後、コーデリア、レティ、アドラシオン、ソルと共に西極湖一帯の安全を確保せよ】
「ご神命、承りました」
大いなる神が現実に帰還したフレッドに神命を与えたが、聞いていた者達は疑問で一杯だ。
(フレッドとは誰だ⁉)
(上級悪魔の討伐⁉)
(大いなる神が王の称号を⁉)
(姫様達と共に西極湖⁉)
姫君達が大いなる神に直接名前を呼んでもらえるのはまだ分かるが、この場にいる者達はフレッドの名前など全く知らない。そうなると当然、大いなる神に名を呼ばれ王の称号まで与えられた勇者は誰だという思考になる。
(姫様だ!)
(あの男は誰だ⁉)
(彼が王なのか?)
姫君の名を聞いた使用人達の一部は反射的に顔を上げてしまったが、命綱とも言える存在を確認して安堵する。
だが、男の方には全く見覚えがなく、あれが王の称号を与えられた大男かと首を傾げた。
ここにフレッドを殴った者達がいなかったのは幸いか、あるいは不幸か。直接見ていれば青褪めただろうが、現場にいなかったせいで言い訳の余地が勝手に生まれる可能性があった。
【状況を終了。健闘を期待する】
最後に大いなる神はまた爆弾発言をして、最初からいなかったかのように消え去った。
少なくともここ数百年は確実に、大いなる神が直々に期待すると言ったことはなく、これだけでも歴史的大事件だ。更に神命を与えられたことも合わせると、神話の一場面と言ってもいい程である。
そして大いなる神が現れ、姫君達は無事戻ってくることができました。めでたしめでたし。
で終わらないし終われないのが世界であり政治だ。
一部始終を目撃した聖職者達によってそれはもう丁重な扱いを受けたフレッドだったが、事情を聴取した者達は彼の微妙な立場に困り果てた。
「騎国のフレッド・プラーシノ様でよろしいでしょうか?」
「いえ、家名はご当主様の命令で名乗ることができません。単なるフレッドでお願いします」
決戦の湖に近い街の神殿に案内されたフレッドは、別に隠すことでもないので正直に答えた。
これには聖職者も思わず言葉に詰まる。
大いなる神がフレッドの名という呼んだため、聖職者達は聖なる行軍の参加者名簿からその名を探したまではよかった。
そして幸いなことに他にフレッドの名を持つ者がいなかったため、彼の公的な立場は直ぐに特定することができたのだが……返答は平民よりは少しマシな立場で、明らかに面倒事が絡んでいることが分かるものだ。
(名乗ることができないって……)
騎国の木っ端貴族の事情など知る筈がない聖職者の思考は混乱した。
大いなる神に選ばれた人物を想像するなら、多くの者が武勇に優れている王族を想像するだろう。しかし、実際に出てきたのは男爵家の端にいるどころか、家名も名乗れないややこしい立場の大男だ。
これには混乱するなという方が無理筋である。
「分かりました……フレッド様が上級悪魔を討伐したことで、大いなる神が特別撃墜王の称号を与えられたということでよろしいでしょうか?」
「はい」
聖職者の問いにフレッドが頷いた。
まさか神に選ばれた者に、ひょっとしてご実家でお家騒動が起こっています? とは聞けない聖職者は、事実だけを確認することにした。
「我々も保証します。間違いなくフレッド様が上級悪魔を滅ぼし、大いなる神が王の称号を与えられました」
この件について、同じ場にいたコーデリアが保証するとレティ、アドラシオン、ソルが頷いて同意する。
公的な役職がある訳ではないが、大国の姫君の保証はそれなり機能する。ましてやそれが、いがみ合っている騎国と熱砂国の両方が認めたとあらば、強烈な印象を人々に与えるだろう。
(上級悪魔の討伐、大いなる神からの神命……事情は知らないが、プラーシノ家とやらも運が無いな。縁が切れているのなら大きな顔もできまい)
聖職者は頭の片隅でプラーシノ家の当主に同情する。
通常なら大いなる神の命によって王となった男の実家は、あらゆる名声が飛び込んでくる。しかしフレッドとの縁を切ったような状態なら無関係だし、下手をすれば縋りついて慈悲を乞うような立場になるだろう。
(それに姫君のこともある)
もう一点特別なことがある。
聖職者達が、さあどうやってフレッドから事情を聞こうかと悩んでいた段階で、コーデリア、レティ、アドラシオン、ソルが同席を強固に主張したのだ。
これは清らかな篩が、フレッドに政治的な面倒事を吹き込んでくることを警戒したもので、その手のことに疎い彼は姫君達を頼っていた。
フレッドの件が広まれば婚姻を巡る大合戦、商人の大攻勢、清らかな篩の大懇願が勃発するのが目に見えており、男爵家レベルの教育しか受けていない彼では捌ききれないのである。
更に姫君達が傍にいれば、大国の騎国と熱砂国が背後にいると錯覚するため、【ある程度】は人々の節度が期待できる。つまり内助の功と言えなくもない。
「ところでリンジショウサの件ですが」
「具体的な位階については少々お待ちください。前線で神々の軍勢の兵を率いていた者であるという解釈は間違いないのですが、数や規模についてはまだはっきりとしていません」
「分かりました」
会話に少しの間があったことで、フレッドは気になっていたことの一つを尋ねたが、聖職者も少々困っていた。
王だけではなくリンジショウサという物に任命されたフレッドだが、レティとソル、清らかな篩は古代の軍階級の一種であることまでは解釈を一致させていた。
しかし、古代の階級など絶えて久しく、具体的にどこまでの権限を使用していいかは清らかな篩でも意見が纏まっていなかった。
逆に特別撃墜王の方は、西極湖を治めるために与えられた地位と解釈され、古代にいた同種の王を参考にできるので割と明確だった。
「次は……」
他はなにを聞けばいいのかと、聖職者は前例のない事態に途方に暮れながら話を進めようとする。
腐敗してあとは地面に落下するだけだった時代という名の果実は、新たな流れに翻弄されようとしていた。
◆
【……訓練施設に関するエラーを探知。修正プログラム発信。施設体験モードから通常訓練モードへ移行】
もし大いなる神に明確な感情があれば激怒と共に舌打ちをしていただろう。
【独り言】よく考えたら宇宙戦争掲示板の特務大尉より階級上で草(*'ω'*)なおあの天然をパワードスーツガチャに放り込んだら装置がぶっ壊れること間違いなし。
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