追っ手
雨に濡れた裏路地。びちゃびちゃと、水溜まりが激しく降り荒ぶ雨粒と混ざりあって、地面を濡らしていく。
そこでただ一人座り込む少年は、怒りとも慟哭ともとれる叫びを上げた。
「なんで、なんでなんだ⋯⋯!」
薄汚れた白いTシャツと短いズボンを着込み、ジャラジャラとなる足枷をつけた少年。何者から受けた傷なのか、至る所に刺傷や切り傷があった。両方の指に関しては、その殆どが在らぬ方向を向いている。
背中に着いている“黒い翼”は折れ曲がっており、もはや飛べそうにない。
明らかな暴行の跡だった。
「いたぞ!あそこだ!」
ガッガッガッ、と少年の元へ近づく足音とともに、複数の武装した人間の声が路地裏に響く。
少年はその声に聞き覚えがあるのか、ピクッと身体を震わせたかと思うと、傷も気にせず走り出した。足枷についた鉄球が走った衝撃で地面に叩き付けられ、少年を追う何者かに居場所を知らせる。
「追え!絶対に逃がすなよ!あの忌み子を世界に放っておく訳にはいかんのだからなァ!」
「ッ!?くそ!!」
少年は必死に逃げる。
何度転びそうになっても、複雑な路地裏を駆使して追っ手を巻こうとしていた。
だが捕まるのは時間の問題だった。少年の身体はボロボロであるのに対して、武装した人間達はいたって健康だからだ。
「っ、行き止まり⋯⋯」
少年は隠れる場所が少ない路地裏で逃げに徹したが、やがて行き止まりの道へ来てしまった。
引き返そうと後ろを振り向くと、既に武装した人間達が逃げ道を塞いでいた。袋小路だ。
「へへ、追い詰めたぞ!」
武装した中でも隊長格らしき男が、下卑た笑みを浮かべながら少年に歩み寄る。そして、手に持っていた大型の銃を少年の眉間に突きつけた。
対して抵抗もせずダランと腕を下ろした少年は、その男を睨む。薄汚れた頬からは、確かな殺意が感じられた。
「なぁ忌み子、お前は散々逃げ回ったようだが、どうやらここで死ぬらしいなぁ!」
「⋯⋯そうだといいけどね」
「ほう?この状況でまさか生きれると思っているのか?ならおめでたい頭をしてやがる。いいか、この“天城都市”『クロスヴィ』でお前が生きることは許されていない!何せお前は───忌み子なのだから」
そう告げると同時に、隊長格の男は引き金を引いた。
雨が降る中でも響く鉄の擦れる音ともに、鉛玉は容易く少年の頭蓋を貫いて、その後ろの建物にまで傷をつけた。
ドサッ、と力を失ったように少年が倒れる。
「ふん、任務完了だ。戻るぞお前たち」
少年の遺骸を見つめて唾を吐き捨てた男は踵を返し、大型の銃をしまう。その背中には少年同様に翼が生えているが、黒い少年の物と違って真っ白に近い。
少年が殺される一部始終を見ていた男の部下達は、その命令に首を縦に振って男の後を追いかけ始めた。
その時だ───。
「うぐっ!?ぐぅぁあああ!!!」
「っ!どうした!」
一人の部下が絶叫を上げて地面に倒れ伏す。額を抑えてじたばたと闇雲に藻掻いているが、徐々に動きが鈍くなり⋯⋯やがて完全に沈黙した。
「おい!おい!しっかりしろ!⋯⋯くそ、ダメだ。コイツ完全に死んでますぜ、隊長」
「何故だ、“生命粒子”不足か?」
「いや、それにしちゃ余りにも早く死にすぎな気が」
仲間が近付いて男の心拍を確認するが既に手遅れらしく、残念そうに目を伏せた。
死んだ男は、隊長の男同様に背中に付いた白い翼が蝋のように溶けだして地面に消えていく───『失翼死』だ。
翼が消えた後に残ったのは、干からびて水分が抜けた男の死体だけ。
「ど、どうしましょうかねこの死体。一応仲間だったんですが⋯⋯」
「ふん、そんなモノはそこらにでも捨ておけばいいだろう。既に任務は遂行したんだ。仲間が死んだくらいで長居する必要は無い!ほらさっさと行くぞ」
「えぇ!?⋯⋯う、分かりましたよォ」
死体を抱いた部下は隊長の言葉を聞き、渋々と言った表情で仲間の遺体を路地の脇に寄せる。そしてその遺体に手を合わせ、祝詞を告げた。
「災難だったな。神のお傍に行けますように」
「終わったか?なら行くぞ」
「「へい!」」
祈りを見届けた隊長は死体から視線を逸らして、路地裏の出口へと歩み始めた。
残った者達は頷いて、死んだ仲間の遺体を一瞥し足を進める。
ある者は不運な奴だと笑い、ある者は何故死んだ?と疑問に頭を悩ませ始めた。
だがその答えに辿り着くものはいないだろう。
何故なら既に───部隊の崩壊は始まっていたのだから。
「ぎゃぁあああ!?」
「頭がぁッ!!グゥぉぉぉっ!!?」
「痛い痛い痛いいてぇよォ!」
唐突に仲間が倒れた。しかも一人などではなく、部隊の半数が一斉に苦しみ出したのだ。そしてその苦しみは伝染病のように、痛みを感じない者達にまで広がっていく。
「む、どうしたお前達!?」
隊長の男は、部隊の者達が次々に額を押えて倒れていく異様な状況に、目を白黒させて慄いた。どう考えても尋常じゃない。
そして倒れた部下達は皆苦しんだ挙句、徐々に翼が溶けだして干からびて死んでゆく。
数分もすれば、隊長を除いた全員が『失翼死』してしまった。
「何故だ!何故倒れていくんだお前たちは!?」
元はと言えば、黒い翼を持つ忌み子を始末するだけの簡単な仕事のはずだった。これは“祝福の喇叭”機関から依頼されたもので、完了すれば莫大な資金を間違いなく手に入れることが出来る。そうすれば女遊びや酒、新しい武器など思いのまだ。
そう思っていた。
だが現実は違う。隊長の周りでは干上がった死体が積み重なり、生きているのは彼ただ一人になってしまったのだ。
そして、彼はこの現象に一つだけ心当たりがある───そうあの忌み子だ。
黒い翼という不吉なモノを背負ったあのガキが、面妖な術を使って部下たちを殺した、と彼は結論付けた。半ば確信に近いものかもしれない。
彼はしまっていた武器を取り出し、少年が元いた場所へ戻る。そこには依然として、倒れたままの少年がいた。生えていた黒い翼も消えているため、絶命していることは間違いない。
だが、身体は干からびていなかった。
「おい忌み子ォッ!!お前だよなぁ?俺の部下を殺りやがったのはァッ!!」
照準を少年に向けたまま、隊長の男は問い掛ける。普通ならば死んでいると確信するような姿だが、この忌み子は生きているという直感があった。
そして、その直感は見事に的中する。
「⋯⋯殺したのは、僕じゃありません」
むくり、と少年の身体が起き上がる。消えた黒い翼はうねうねと生え変わり、眉間から後頭部に掛けて貫かれた穴も逆再生のように元に戻っていく。折れた指も、傷だらけの身体も、折れた足も⋯⋯その全てが生まれたてのように再生していた。
「でも、間接的になら殺したと思います」
少年はそう言って笑い、隊長の男を見つめる。
「な、何言ってやがるこのバケモノがァ!」
男はもはや、目の前の小さな少年が人智の及ばない化け物にしか見えなかった。
何故このガキは生きているのか?何故仲間は死んだのか?何故、何故、何故⋯⋯そんな疑問が浮かんでは恐怖に塗り潰され消えていく。
男が取れる手段は二つ、逃げるか殺すか。
だが冷静さを欠いた男は、逃げるという考えがなかった。
彼は再び大型の銃を、震える手で少年に銃口を構える。
「今度こそ、殺してやる」
「撃つんですかまた僕を⋯⋯死ぬのは貴方ですよ?」
「うるせぇ!死んだ仲間の仇を、思い知りやがれ!!」
迷うことなく引き金を引いた。男の銃口は確かに少年の心臓部分を照射し、このままなら再び少年は地に伏す。
その筈だった。
「なん⋯⋯でだ⋯⋯ッ!」
銃弾は少年に当たらなかった。それは何故か?
「イグゥゥアアアアッ!!!?」
男が激痛に襲われたからだ。しかも眉間のど真ん中から、全身に迸るような耐え難いモノが。
それは銃弾に撃ち抜かれたような───そう、まるで自身の銃を自分に向けた撃ったような、凄まじい衝撃だった。
「ァァァァアアアッ!!」
痛みに喘ぐ隊長の男。
そんな彼の白い翼は徐々に溶け落ち、地面に流れていく。
数分も経過すれば、彼も死んだ仲間達と同じく物言わぬ屍へと変わり果てた。
「⋯⋯また殺しちゃった。撃たない方がいいって言ったのに」
干上がった男に憐憫の眼差しを向け、積み上がった死体を避けながら出口に向かう少年。雨は変わらず激しく降っていて、溶けた翼を洗い流していく。
「いや違うか、僕が生まれてきた事が間違いだったんだ。そもそも僕がいなければ、あの人たちは死ぬことなかったしね」
重たい足枷を引き摺って、少年は後悔したように愚痴を吐いた。
「あぁ誰か───僕を殺してください」
tips:生命粒子。
はるか昔に発見された、無味無臭で透明な固体であり気体であり液体にもなりうるエネルギー資源。石油や木炭などよりも遥かにエネルギー効率がよく、どんな状態になっても常にエネルギーを放っている。
主人公のいる世界の住人たちは生命粒子に依存しており、生命粒子が少ない場所にいると身体機能の低下や目眩、吐き気などの症状を引き起こし、最悪の場合死に至る。