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一週間もしない内に殿下の言葉の意味は簡単に理解出来た。どのみち結婚しなくてはいけないわたくしに興味が無いということだったのだ。入学式で声を掛けた時に驚かれたのは、わたくしの入学を待ってなどいなかったから。そして、送った手紙すら読んでもいなかったということだ。あの時、わたくしは殿下が返事を書いたものの、忙しさのあまり侍従に託すのを忘れたと勝手に都合良く解釈していただけだった。
更にあの時伴っていた女性はクレア・プレストン男爵令嬢。殿下の特別な女性。皆、殿下のお立場を慮って彼女を恋人とは呼ばない。ただ、アカデミーで仲良くしている特別な女性と呼んでいる。それはまた、わたくしへの、違う、力を持つルーセント侯爵家を配慮してのことなのだろう。
こんな状況をわたくしはどうすればいいのか。答えは簡単、見て見ぬふりをすればいい。わたくしに子供が出来なかった時のことも、側妃になった場合のことも全て教えられている。波風を立てず、慎ましやかにしていなくては。でなければ、子供が出来なかった時に一族の年頃の娘を殿下へ宛てがい、生まれてきた子供を自分の子供として扱うなどということを涼しい顔をして出来るはずがない。しかもその娘を口封じの為に亡きものにすることまで知っているというのに。
だから、殿下とクレア様がにこやかに話しながら歩いている様を見掛けた時は、早々にその場から去るなり柱の陰等に隠れるようにしている。見て見ぬふりではなく、本当に見なければいいのだ。何も悪いことはしていないけれど、隠れなくてはならないのはわたくしなのだ。関わってはいけないのだから。
ところが、関わってはいけないと思えば思う程、殿下がわたくしの視界に入ってくる。今も、向こうから仲睦まじい様子で殿下とクレア様がこちらに向かって歩いてくるのだ。急に向きを変えるのも変だし、隠れる柱もない。こんな時は視線を落として素早く通り過ぎるしかないだろう。
とその時、お二人にうっかりぶつかってしまった女性がいた。何度か見掛けたことがある隣のクラスのレイチェル・ラーナー子爵令嬢。男子生徒から人気がある目のクリクリした女性だ。
「申し訳ございません。前方不注意で、あっ、申し訳ございません!」
レイチェル様の動揺はその声が表していた。まさかぶつかってしまった相手が殿下だとは思いもよらなかったのだろう。
でも、なんだろう、こういうの、良くある乙女ゲームの攻略対象とのイベントにありがち。ん?乙女ゲーム、イベント?
ん?でも、あの子、レイチェルだっけ、ピンクの髪ではない。ん?
やだ、わたし、これって、もしかしなくても…
はい、わたしはあれからお約束のぐわんぐわんする頭痛と共にその場で倒れましたよ。そして思い出した訳です、前世の記憶を。
だから、この世界は転生先ということ。でも、前世で自分がプレイしていたゲームの中ではないみたい。というか、たまたま前世の記憶が蘇っただけで、全く自分が知らない別世界に居るって感じ。
そして、今まで侯爵家で受けてきた教育という名の呪縛をどうしたものかと考えているところ。序に王子との関係も。
あの後、婚約者のわたしが近くで倒れても王子は何の行動も起こさなかった。それどころか、レイチェルの名前を聞き、鍛えている自分にぶつかり怪我をしていないか聞いたそうで。
どうしてわたしがそんなことを知っているかというと、怪我をしていないのに王子に抱きかかえられてレイチェルが運ばれた先とベッドに寝かす為にわたしが運ばれた先が同じだったから。
でもね、あの時殿下の隣にいたのは男爵令嬢のクレア様。ゲームの設定であるように婚約者のわたしが隣に居て、ぶつかったレイチェルと王子が惹かれ合う瞬間を隣で見ていたわけではない。序でに二人の仲が進展するのを阻止しようとかも思わない。だって、この二年のことを思えば、もう王子なんてどうでもいいもの。
わたしが考えている王子との関係は、ずばり、どうフェードアウトするか。あんな教育をしてくれちゃった侯爵家とも決別してもいいのだけれど、急には無理。今まで箱入り娘過ぎて、世の中のことを全く知らないのだから。
けれど、前世のことを思い出したのはついていた。世の中のことを知って、対策を練れば待ち受ける自分の未来を変えられる気がするもの。
クレアとレイチェルがこの世界でどういう役割なのかは知らないけれど、少なくともわたしにはサポートキャラなのかもしれない。わたしの決められていた詰まらない未来を変える為の。
この日、わたしは医務室のベッドの上で、未来を変えるべく行動を起こす決意をした。