機械仕掛けの心臓
何も無かった。
その空間には、何も無かった。
そこに、1が生まれ落ちた。
それは生まれ落ちてすぐ、こう思った。
「私/僕を見つけるモノが現れるまで不貞寝でもしようか」
そうして、本当にソイツは活動を停止した。
この行動には、1を生み出したやつもほとほと呆れただろうよ。
でもまあ、生まれ落ちた1はもう創造主の元を離れた。
かくして、この物語は、1を何かが見つけない限り停滞することが決定したのだった。
その日、俺は何処か虫の居所が悪かった。なんか苛ついていた。思春期特有の感情のブレだろうと割り切った。割り切ったのだが、原因の曖昧な苛つきに対しての苛つきが限界に達し。どうしようもなくやるせなくなり。つい、本当に衝動的に、部屋の壁をぶん殴った。
「バキっ」
破壊音。
壁ってのは、その名の通り壁なのだから、それなりに頑丈なはずで。もしも運悪く殴った部分がもろかったとしても、少し穴が開く程度だと思っていたのだが。
「あ?」
俺が殴った部分から、壁に大きく亀裂が入り、「向こう側」が見えた。
「な、ちょ、え、え?」
なんだ、亀裂の奥の空間。何もない。というよりは、そこにない?白い、いや、白く見えるその空間に、俺は恐怖ではなく、興奮を覚えた。
無意識に体が動く。あの空間へ行きたい。否、行くべきだ。俺は、あの空間に行かなければならない。
ふと気が付くと、俺は、壁の向こう側へ。日常から非日常へ足を踏み外していた。
「ほんっとうに何もない」
周りをぐるっと見てみたが、どこまでも続く白、白、白。
何もないという情報しかないことに、少しでも創作物的展開を期待した自分はすぐに冷め切り、とりあえず帰ろうとしたその時、
「ゴッ」
何かに躓きよろめいてしまった。
「おっ、と。なんだ?」
自然と視線が下に向く。さて、俺は一体何に躓いたのだろう。
「―――」
それが一瞬だったのか、それとももっと長い時間だったのかはわからない。わからないが。
見蕩れていた。視線の先に転がっている人型に。眠っているかのように横たわるその姿。中性的な体躯。絹のようにきめ細かな肌。人型の総てがとても奇麗だと、そう思っていた。
「う、ううん」
人型が唸った。その声だけで、ドキリと心臓が跳ね上がる。
さっきの衝撃が原因だろうか。人型は、確実に半身を起こし、目をこすり、そして、目を開けた。
「やっと見つけてくれましたね。」
人型は、覚醒早々、そう言った。
「これで私/僕はあなたのものです。良かったですね。大いに誇っていいですよ。」
どうやらこの人型、俺のものらしい。
興奮を抑えて質問する。
「君は、人間じゃあ、ないよな」
人型はさも当然のように
「ええ、人類ではないですね」
誇らしげにそういった。
「名前は?」
「ご自由にどうぞ」
「男?女?」
「どちらにもなれますよ」
「じゃあ、とりあえず女で」
「欲に忠実ですねえ」
「てかナニモノ?」
「まあ。簡単に言えば、人類の手に余るものですね。」
はは、なんだこいつ。完全にブラックボックスだ。
俺の、いや本当に人類の手に余る。
なんだ。上位存在、外宇宙の存在なんかにでも鋳造されたのか?
なんもわかんねえな、コイツのこと。
「じゃあさ」
だから、俺にとって、一番大切なことを訪ねることにした。
「俺がお前の所有者になるメリットは?」
人型は、堂々たる態度で、ない胸を張り、豪語した。
「私は可愛い」
「おん。せやな。それで?ほかには?」
「…」
「え?」
「んんん…」
「おいおい」
「あっ」
「おっ」
「命を懸けた戦いに身を投じることができます。」
「おや?」
「なんです?」
「それってデメリットじゃない?」
「まあ。そうともいえます、ね。」
「自分の命を質に入れちゃったかあ。俺」
「それぐらいの価値はあると思いますよ」
「確かに。」
「でしょう?」
「それで、その戦いはいつ始まる?」
「あ、今、すぐ。」
人型が、あらぬ方向を凝視しながら、つぶやいた。
刹那。
ットン。
腕が異常に長い黒い人形が、俺の隣に降り立った。
「へえ?」
思わず間抜けな声が漏れてしまった。
「マスター!邪魔!」
いきなり叫ばれた、と思ったら思いっきり投げ飛ばされた。
ずざざ。
ここには壁という概念がないのか、何かにぶつかることはなく。
不思議なことに床との摩擦だけで済んだ。
「いったあ」
先刻まで俺の立っていた場所に深々と黒い腕が突き刺さっていた。
「これが言ってた命を懸けたなんちゃらってやつ!?」
「はい!まさかこれほど早く来るとは思いませんでしたが!」
人型は明らかに焦っていた。俺が殺されることがまずいのか、自分が傷つくのが嫌なのかは定かではないが。
今は、
「おい、人型!名前は!?君のことをどう呼べばいい!?」
その言葉を待っていたかのように、人型は心底嬉しそうな表情で
「nullです!私の名前は、ヌルと発音します!」
「分かった!ヌル、君には後で俺が名前を付ける!とりあえず今はこいつに集中しよう!」
なんで俺はこの状況に適応しているのだろう。
「合理的な判断、感謝します!」
そんなやりとりをしているさなかでも、黒い人形。俺たちの敵はゆらりと身をひるがえし、今にも襲い掛かってきそうだ。
「ヌル!お前が戦うんだろ?何ができる?」
「正直起動後間もないので、武装はこれぐらいしか…」
そう言って右手にハンドガンを生成した。
「まあ、ないよりはましだろう。よし、とりあえず撃て。」
「了解!」
瞬間、ハンドガン(仮)から放たれたのは、ぶっとい青白い光線だった。
「うおっ」
思わず声が出る。まさかあのサイズでここまでの威力とは。
いや、今はあの黒い人形だ。目視では直撃だったが。さて。
「ヌル、当たったと思うか。」
とりあえず声をかけてみる。
「直撃はしたでしょうが、恐らく。」
言葉を濁すと同時に、光線の直撃による白煙が晴れる。
そこには、
「ジ、ジジッ」
人形は健在だった。が、五体満足というわけでもなく。
よけそびれたのか、防ぎきれなかったのか、片腕、脇腹の欠損。体の端々にひびが見えた。
「その武装、最強なんじゃない?」
ヌルに問うと、
「まだまだ序の口です。これ、初期装備みたいなものですし」
まじか、本当にこの世の存在じゃないんだな。再確認。
「あいつ、結構ボロボロだけど、まだ動くよな?」
「ええ、あれぐらいで倒れてくれるなら苦労しませんよ」
「なら、さっさととどめを――」
不意に伸びる黒腕。もちろん、標的は所有者である俺なわけで。
「あ、これ。死―」
「させません!」
瞬く間に俺の前に移動したヌルが攻撃を防ぐ。その身を挺して。
「っくぅ…」
ボトン
右腕が落ちた。ヌルの。
「だ、いじょうぶですか、マスター」
どても痛そうな顔をして、それでも、ヌルは、俺の安否を確認してくる。
痛そう?人型なのに?
「お前って、痛覚あるの?」
こんな緊急時に何を言ってるいるのかと、後に気づく。
「あ。すまん。何でもない。俺は大丈夫だ。」
そういうと、ヌルは、心底安心した表情で、
「ああ、そうですか。良かった。」
頭がおかしくなりそうだ。こいつは何故俺をここまでして守る?マスターだから?それだけの理由で?出会って間もない誰とも知らないやつを?自らの身を顧みず?
「ちなみに。くっそ痛いですよ。無駄な機能が多いんです。私。」
不意に聞こえた声で思考を中断する。
「なんて顔してんだよ。お前。」
痛みに歪んだ歪な笑顔を見て。思わず口に出す。
俺は、ヌルが傷つけられたこと、俺がその原因であることに、なぜか酷く苛ついていた。
こんなやつ、さっさと壊しちまおう。
「さっさとこいつを倒そう。チュートリアルキャラに負けてちゃ世話ねえや」
俺の表情を見て、ヌルは少し驚いたように目を見開き。
「そうですね。こんなクソ雑魚。秒で片しますよ」
少しうれしそうな顔をした。
「やっちまえ、ヌル!」
「命令、承知!」
言葉とともに敵に突っ込むと、ヌルはそのままゼロ距離射撃を試みる。
しかし、紙一重でよけられ、腹を思いっきり殴られる。
「いっったいですねえ、まったく!」
敵は動きが素早い。それに加え、恐らく予備動作無しで行動できる。
そうなると、否が応でもヌルは後手に回ってしまう。
目覚めたばかりなのが答えているのか、片腕を落とされた痛みのせいなのか、動きが鈍くなっているのも重なり、相手も手負いとはいえ、戦況が傾き始める。
敵には痛覚がない分、あちらのほうが圧倒的に有利だ。
だから、遅かれ早かれ、こうなっていたことだろう。
ガンッ!
鈍い破裂音。
「あっ!」
ヌルの唯一の武装であるハンドガンをとうとう弾かれてしまう。
「これは、しくじりましたね。」
さて、どうしたものか。運がいいのか悪いのか、弾かれたハンドガンは俺の元へ転がり込んだ。しかし、この距離から撃ってもよけられる可能性のほうが高い。
ならば、確実に当たる距離。それは―。
結論が出たと同時に、いや、それよりも疾く、俺の体躯は駆け出していた。
そして、今まさにヌルの胸部に敵の腕が突き刺さろうという刹那、
「ズンッ」
と、ヌルが感じるであろう感覚を、俺が感じていた。
「え?」
声を出したのはヌルだった。
その表情は困惑。目の前の光景を理解できていない。
人形は、そんなことなど気にも留めることなく、
「ズリュ」
無感情にその腕を。
引き抜けなかった。
「!?」
わずかに感じた動揺の色。
それもそのはず。引き抜こうとした腕を、ガッチリとヌルが掴んでいた。
そして、
「今です!マスター!」
主人の意図を察し、叫ぶ。
これが正解だったのかは、今となっては分からない。
きっと、もっと上手くやれていたかもしれない。
完封とまではいかなくても、もっとダメージを抑えて倒せたかもしれない。
でも、もう遅い。何か大事なものが壊れてしまった。
だけど、
「やっと、捕まえた」
掠れた視界でハンドガンを人形の眉間に合わせ、絞り出すように。
「さっさとぶっ飛べ」
引き金を引いた。
反動で腕が引き抜かれる。
支えを失った身体は、抜け殻のように崩れ亜ちる。
目の端に半身の焼失した人形が崩れ落ちるのを見届けながら、
急にとても眠くなって、ヌルの焦った表情と荒ぶる声を聴きながら意識がシャットダウンした。
「―――!――ター!―スター!」
なんだか俺の周りがうるさい。誰かが呼んでる?というか、今まで俺、何やってたんだっけ。なんで目をつぶってるんだっけ。なにかすごくヤバいことが起こった気が…。
「あ」
衝撃。呆然。興奮。安堵。
死
「ひっ!」
がばっ。
「はっ!マスター!ますたー!よかった、生きてる!」
とめどない感情の奔流から逃げるように目を覚ますと、ヌルが俺にしがみついてきた。その身体は、人間のように柔らかく、それでも、確かに伝わる冷たさが、人外であることをひしひしと感じさせた。
「なんで俺、生きてんの?あの時、確かに心臓を…」
あの時、確かに死を確信したはずなんですけど。
なんで目を覚ましたんだろう。死んだよな、完全に。覚えている。はっきりと思い出せる。勝手に体が動いて。痛みを感じる間もなく俺は俺の心臓が貫かれる感覚をを…
思案に耽っていると、
ずびっ
という鼻をすする音の後に、
「それはですね、私のおかげです。」
怒ったような泣き顔で、体を離しながらヌルが口を開く。
「あの後、とっさに私の自己修復機能をマスターに使ったんです。人類に使ったことなんてもちろんありませんでしたが、貴方を死なせたたくない一心で」
そして、少しためらった後、こう続けた。
「すると、使えたんです。修復できたんです。でも、それは人類の心臓ではなくって。修復というよりは、補完されちゃったんです。私と同じ構造の心臓部が。」
そこまで聞いて、少し思考停止して、思わず、
バッ
服をたくし上げる。胸の穴があった部分は、何か機械チックな継ぎ目が出来ており、恐る恐る手を当ててみると。
「―――」
鼓動がない。本来あるはずの、振動がない。
「―――――」
でも、生きてる。
「―――――――――」
少なくとも、身体は動いている。
思考は続いている。
「あ、あのぉ。大丈夫ですか?マスター。」
黙っているのを見かねてか、ヌルが恐る恐る顔を覗き込んでくる。
「ありがとう、ヌル。」
すっかり奇麗に直った身体を抱き寄せる。
「お前は命の恩人だ。」
とりあえず、思っていることを口に出すことにした。
「助けてくれてありがとう。」
人間として礼儀は通さなきゃ。
すると、ヌルは、少し驚いたような顔をした後、柔らかく微笑って、
「私のマスターが貴方のような人類で良かった。」
心底幸せそうに呟いた。