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行く春の白藤へ  作者: まめ童子
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第四章

※10/16 改行等修正

 

 藤之助(ふじのすけ)は今日もぼんやりと庭の藤の木を眺めていた。団扇(うちわ)をあおぐ手が気怠げに、小さく弧を描く。

 

 季節は夏になった。白藤の花はすっかり散ってしまい、青々とした葉が風にそよいでいる。湿った空気がじっとりと肌を覆うが、軒先に吊るした風鈴の瑞々しい音と、(すだれ)のような藤の葉のさざめきが、幾分か暑さを和らげてくれる。


 それでも怠惰が日々身をもたげる彼にとって、この季節はあまり好ましいものではなかった。煙管(きせる)をふかそうにも、暑くて続かない。かといってこのやり場のない苛立ちを紛らわすのに茶だけでは物足りない。結局こうして縁側に座り込んで、せいぜい水菓子でもつまむくらいしか、このやるかたない時間を乗りきる術はなかった。


 じわじわと蝉の声がする。それに呼応するように緩く束ねた長い髪先を汗が伝う。男はこの上なく苛々していた。


「藤之助、花火しよう」


 今まさに天上を焦げつかせている太陽のごとき暑苦しい男が、向日葵(ひまわり)のような色の癖毛を揺らしながら喜色満面に現れた。――苛立ちの種が増えた。藤之助は渋面を作る。


「まだ昼間だ」

「今やるとは言ってないでしょ」


 織羽(おりば)はいつも通り藤之助の許しを待たず部屋に入ると、持っていた花火を床に並べ始めた。どれも手花火(てはなび)のようだ。火薬を包む色とりどりの薄紙が目に鮮やかだ。


「――お前、夜までいるつもりか」

 藤之助の眉間に、ぐっ、と(しわ)が寄る。ただでさえ暑いのに、横にずっと熱源がいたのでは(たま)ったものではない。おまけに花火とは、なぜそう熱気を増すような真似をするのか――。


 友人の殺気を感じると、織羽は手を止めてを振り返った。

「だって綺麗だよ? 花火」

「答えになっていない」

 藤之助が苛々した様子で答えると、織羽は不満そうに口を尖らせた。


「だって、誰にも邪魔されずに花火ができそうな広いところ、ここくらいしかないじゃないか」


 ここは河原か何かなのか。なんて図々しい奴だ。藤之助は呆れて、持っていた団扇を強くあおぐと綺麗に並べられていた手花火を吹き飛ばした。ああ! と織羽が残念そうに嘆く。


「もう、藤之助は今晩の麦酒(ビール)、無しだからね」


 向日葵頭の男は散らばった花火をかき集めると、恨めしげに藤之助を(にら)んだ。


麦酒(ビール)があるなんて聞いてない」

「言ってないからね」


 この男は毎度飲食で気を引く以外に手がないのか。藤之助は呆れ返るも、結局はこの手段に屈して織羽の滞在を許している自分に気がつき、途端に少し決まりが悪くなった。今回こそは、と毎度思うも、退屈な日々のなか織羽がもたらす美味の数々が藤之助を懐柔(かいじゅう)するのは造作(ぞうさ)もないことであった。


 無言で考え込む絶世の美丈夫を見て、織羽はにっこりと笑った。


「花火と麦酒(ビール)。どう、最高じゃない?」

 藤之助は顔を覆って後ろに倒れ込んだ。


「――降参だ」



 辺りをひんやりとした空気が漂い始めた。あれほど眩しかった空は、墨を溶かし込んだように暗くなっていた。今夜は月は見えないが、星がさやかに瞬いている。


 二人はうっすらと汗をかく洋杯(グラス)を片手に、大きな身体を小さく丸めて縁側のふちに身を寄せると、息を潜めて雌日芝(めひしば)の葉のような火花を散らす線香花火のぽってりとした先端を見つめていた。――二人の火球が同時に落ちた。途端に静寂と宵闇がその場を支配する。


 織羽は深く溜め息をつくと、洋杯(グラス)をあおった。麦酒(ビール)の爽やかな泡と芳醇(ほうじゅん)な香りが身体をほぐしていくのを感じる。横の美人を見やると、もう火の消えてしまった花火の先を、いまだにぼんやりと眺めていた。その目には、相変わらずかつてのような生気が(うかが)えない。

 

 織羽はふと、昔のことを思い出した。



 織羽が藤之助と出会ったのはこの白藤の庭であった。藤之助が(くるわ)へやってきて間もない頃、織羽は師匠の術師―織羽は占星術師である―に連れられて、ここを訪れていた。当時から落ち着きのない少年だったため、その(きら)びやさにすっかり魅了されてしまい、師匠がよそ見をしている隙に抜け出して、あちこち歩き回った。

 

 幸い昼間だったため、娼妓(しょうぎ)たちは各々の自室にこもっており客室はどこも空だ。あらゆる部屋に入っては、妙に豪奢(ごうしゃ)刺繍(ししゅう)が施された(しとね)をめくってみたり、しかつめらしい字が書かれた掛け軸をつついてみたりと遊んでいたが、次第にそれにも()いてきた。


 そろそろ戻ろうかというとき、ひとつの部屋が目についた。風通しのためだろうか、廊下から部屋に入る戸が開かれており、その奥に美しい白藤の花が植わっているのが見える。織羽は吸い込まれるように、その部屋へと足を踏み入れた。


 たおやかに揺れる満開の白藤の下に、その人は立っていた。薄紫の(きぬ)を羽織り、やわらかな砂色の髪を風に遊ばせたその人は(にわか)に振り返った。


 織羽は息を飲んだ。白皙(はくせき)の肌に、すらりと長い手足。小さな輪郭にすっと通る鼻筋。前髪がわずかに隠す切れ長の目に収まる紫水晶を思わせる虹彩が、濡れたような(つや)めきを(たた)えてこちらを見た。


 その人は、泣いていた。


(――あのとき、どうして藤之助は泣いていたのかな)

 涙の理由は、今もわからないままだ。

 

 空になった洋杯(グラス)の底を見つめながら、織羽はまた物思いに(ふけ)る。


 あの後、追いかけてきた師匠に見つかりこっぴどくしかられたが、それでも懲りずに、郭へと出向く師匠にくっついて行っては、あの少年を訪ねて――もとい追い回していた。

 最初は冷たくあしらわれ―それは今も同じであるが―目が合っても無言で追い払われていたが、それでもしつこく構い続け、ようやく名前を聞き出すまでに至った。それからは土産(みやげ)という技を覚え、なし崩し的にその(ふところ)に入り込み、今の関係を築いている。


 あの頃の藤之助はまだ少年らしく、その心の機微(きび)を伺い知れた。もともと虚無的なところがありはしたが、修練に打ち込む姿は気迫に満ちていたし、客をとる頃には儚げながらも人を圧倒する雰囲気があった。


 ――静かに燃える炎のようだ、と織羽は思った。


 しかし、近頃はかつての鬼気迫るような情熱を感じない。縁側にじっと腰掛けて庭をぼんやりと眺めているばかりだ。すっかり消沈してしまった様子が、織羽にはどうにも気がかりであった。


 織羽の視線に気づくと、藤之助は(いぶか)しげにその顔を見返した。

「なんだ」

 この頃抱いている疑念を、友人に打ち明けていいものか――。織羽は逡巡(しゅんじゅん)した。


 珍しく言い(よど)んでいる織羽を不思議に思いながら、藤之助は麦酒(ビール)を口に含んだ。炭酸が舌をぴりぴりと刺激する。先ほどまで眺めていた花火を口にしたらこんな感じだろうか。

 

 風がそよいだ。軒先の風鈴がちりちりと涼しげに揺れる。――穏やかな夜だ。こんな時間がずっと続けばいい。ふと藤之助はそう思った。




 鼻先が冷えるのを感じて、青年は目を覚ました。腹にはいつも着ている羽織が掛けられている。どうやら眠ってしまっていたようだ。辺りを見渡すが既に帰ったのか、織羽の姿はない。羽織は藤之助が寝冷えしないようにという彼の計らいだろう。


 寝転がったまま庭を見やる。今宵は月こそないが、満天の星の光が降り注いでいた。白藤の木は星明かりを受けて、その葉を白銀に輝かせている。


「――美しいな」

 藤之助は思わず、そう口にしていた。


「今、美しいといったか」


 突如、縁側からぴょこんと(まばゆ)い白い影が飛び出してくる。藤之助は驚いて思わず小さく悲鳴をあげたが、その正体に気づくと途端に渋面(じゅうめん)した。


「子供はもう寝る時間だ」

「おまえ、私を追い払うのはいい加減諦めたらどうだ」


 不知火(しらぬい)は縁側を這い上ると、横たわる藤之助の顔を覗き込む。生糸のような滑らかな白い毛先が頬に触れる。白い顔に収まる翠玉の瞳の中に小さく自分の顔が映り込むのを、藤之助は見た。

「――近い」

 藤之助は不知火を手で払い除けると、上半身を起こした。床に寝そべっていたからか身体があちこち痛む。


「なあ、今日もあの向日葵みたいな頭の男が来ていたろう。二人で何をしていたのだ?」

 不知火はぞんざいな扱いをものともせず、にこにこと話しかけてくる。――織羽といいこの白藤の化生(けしょう)といい、笑顔で押しきれば(なび)くと思っているのか。藤之助は半ば呆れると軽く溜め息をつく。


「花火だ」

「花火?」


 白い少女は駒鳥(こまどり)のように小首を傾げた。


「――知らないのか」


 藤之助の問いに、不知火は首を横に振った。どうやら本当に知らないらしい。――確かにこれは山に棲む化生だ。人間の遊びについて詳しく知らないのも無理はない。


 藤之助はわずかな光明を頼りに辺りを探した。どこかに織羽が持ち込んだ花火が残っているかもしれない。ふと牡丹(ぼたん)色の薄紙が目に入った。それを拾い上げると、不知火の指に握らせる。そのまま庭先に導くと、燐寸(マッチ)を擦って花火に火を着けてやった。


 ちりちりと音を立てて、それは燃えた。彼岸花の花弁のような形に瞬く火花に、不知火の目は釘付けになった。


「声を出すなよ。静かに、そのまま見ていろ」


 藤之助は声を潜めてそう言うと、その様子を静かに見守っていた。不知火は言われたとおり、息を殺して火花が弾けるのを、膝を折って見つめていた。しばらくそうしていると先端に火の玉が実る。それはぽってりと膨らむと、刹那、地面へと砕け散った。


 不知火は、ほう、と溜め息をつくと、うっとりと首を(かし)げて藤之助の方を見た。


「これは――なんとも美しい」


 その表情に、藤之助は思わず見入ってしまった。いつもは幼子のように無邪気なその顔が、今は何故か大人びて艶麗(えんれい)に見える。不意に言葉を失うと、彼はそっぽを向いて団扇を強くあおぎ始めた。麦酒(ビール)の名残か、なんだか妙に火照る。


 不知火は手に残った燃え殻をしばらく見つめていたが、ふと思い立ったように立ち上がった。そのまま伸びをすると、星空を仰いだ。


「花火、まるで星のようだった」


 両手を天にかざすと、何かを握り込むような仕草を見せた。


「あの星々はこんなに近くに見えるのに、決して、手が届かないんだ」


 不知火は振り返る。星の光に照された白藤の化生は、夜闇に眩く煌めいていた。


「けれど今日、初めてそれを手にした気がした」


 人間はすごいな、と噛み締めるように言うと、白い蝶のように(そで)をはためかせて楽しそうにくるくると舞ってみせる。


 その姿に、藤之助は思わず見惚れた。――これは化生だ。まさしく自分は化かされているのかもしれない。

 ぼんやりとそんなことを思いながら、藤之助は頬杖をついて、いつまでも美しく舞う白藤の化生の姿を眺めていた。


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