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行く春の白藤へ  作者: まめ童子
26/27

織羽 最終章

最終章です。


 「これでよし」


 ふう、と息をついて額の汗を拭うと、女は(まと)めた荷物を見やった。思ったより大きくなってしまったがまあいいだろう。


 「本当にいいのか、美月(みつき)


 瑠璃色の瞳を戸惑わせながら傍で見守っていた男が、労るように声をかけてくる。


 「これでいいのよ――もう決めたの」


 美月はぎこちなく笑うと、真柴(ましば)の肩を叩いた。彼はなおも物憂げな顔で女を見ている。


 「そんな顔しないで。折角の決意が揺らいじゃうでしょ」

 「だが――」


 (にわか)に部屋の戸を叩く音がした。今行く、と声を掛けると美月は荷物を持ち上げる。


 「行きましょう」


 真柴は黙って頷くと、その後ろに続いた。


***


 里の広場では、民達が今か今かと主役の登場を待っていた。

 

 この隠れ里は少し前に別の里からの襲撃を受けて、存続に危機に曝されていた。しかし皆の努力の甲斐あって、元の姿を取り戻しつつある。これだけ復興が早く進んだのには理由がある。というのも、里長が傷を負い、もはやこれまでかというところで、家督を継ぐことを嫌がって逃げだしたはずの長の娘が戻ってきたのだ。本来ならば里を抜けた人間に命はないが、混乱の最中、その存在は民達にとって光明となったのは言うまでもない。―彼女にはそれだけの実力があった―


 今日はその里長の娘、美月から(しら)せがあるということで皆広場に詰め掛けている。

 民達は大いに湧いていた。――次期里長を期待されている彼女からの報せだ。きっと結婚の報告に違いない。

 里長の容態は徐々に快方に向かっているが、里を取り仕切る余力はまだない。なのでその座を予定どおり娘の美月に譲るだろうと民達は予期していた。

 だが、家督を継ぐにはまず家長として磐石(ばんじゃく)でなければならない。そのためにはまず夫を迎える必要がある。美月は里の復興に邁進(まいしん)していたのでなかなかそういった動きを見せてこなかったが、状況が落ち着いた今、ようやくその時が来たのだと民達は歓喜した。


 いや、家督が、長が、とかそんなことはその実どうでもいいのだ。この一年、里のために骨を折ってくれた美月にめでたい話があるのだとしたら、それは皆にとっても心から喜ばしいことに違いないのだった。


 群衆の前の方で歓声が起こる。そこには美しく着飾った美月が居た。後ろには里でも指折りの実力者の真柴を連れている。――もしや、彼が彼女の夫となるのだろうか。民達は一層ざわついた。


 美月は手を挙げて騒ぐ集団を制した。そしておもむろに口を開く。


 「集まってくれてありがとう。まずは、この場を借りて、今まで里の復興に尽力してくれた皆にお礼を言わせてください。――本当にありがとう」


 広場に拍手が響いた。彼女は深々と頭を下げる。そしてゆっくりと顔を上げると、神妙な面持ちで切り出した。


 「今日は、皆に伝えることがあります。私は――」


 その時、門前の警鐘が激しく鳴り響いた。皆何事かと、顔色を変えて音のする方を見る。美月と真柴は身構えた。――まさか、また敵襲か。

 すると門扉を見張っていた守衛が駆けてくる。


 「伝令――不審者一名を確保」

 「たった一人か」


 真柴は眉をひそめた。敵襲だとしたら数が少ない上に動きが無謀すぎる。こんな山奥だが、旅人が迷い込みでもしたのだろうか。


 「それが、美月さんに会わせてくれ、としつこくて」


 守衛は困ったように美月を見た。ますます訳がわからず真柴は横の女を見やったが、なぜか彼女は瞠目して固まっていた。


 「ねえ、それはどんな人?」


 彼女は震える声で問う。守衛は見てきた様子を(つぶさ)に答えた。


 「金髪のもじゃもじゃ頭で、金縁眼鏡の奴です」


 聞くや否や美月は駆け出した。――どうしよう、心臓が張り裂けそうだ。

 門前に辿り着くと、そこには複数人に取り囲まれた人影が見える。彼女はその姿を目にすると、その場に立ち尽くした。


 そこにはこの一年、ずっと想い続けてきた慕わしい男が居た。


 「――織羽(おりば)


 その声に、捕らわれていた金髪の男がぱっと顔を上げた。彼は目を見開いていたが、途端に安心したような表情で美月を見る。


 「よかった――また会えた」


 女は織羽に駆け寄ると泣きそうな顔をして、彼の頬を両の掌で挟んだ。


 「馬鹿ね、なんでこんなところまで来たの――死んだらどうするの」

 「おれ、自分のこと占ってみたんだ。そしたらまだ死にそうになかったから大丈夫かなって――」


 男ははにかんで、あっけらかんと言い放った。


 「訳がわからない!」


 美月はそう叫ぶといよいよ泣き出してしまった。織羽は何か間違ったかと狼狽(うろた)える。


 そうしているうちに、美月を追ってきた里の者達がわらわらと集まってきた。皆、里長の娘が余所者の男と何やら親しげ話している様子を訝しげに見ている。しかも彼女は泣いているとあって、男に向けられた視線は冷たい。

 織羽はそこでようやく我に返って、ここがどこなのかを思い出した。状況を説明しようと思って改めて目の前の女を見ると、何やら晴れ着を着ているではないか。


 (――ああ、間に合わなかった)


 こんなに民達が集結しているということは、今日きっと彼女は祝言を挙げるのだろう。もしかしたら彼女を追って一番に駆けつけたあの男が夫になるひとなのかもしれない。織羽の占い師としての勘が言っている。彼は善い人間だ。彼と夫婦になるなら、美月は幸せになれるだろう。


 ――だが、折角ここまで辿り着いたのだ。このままおめおめと帰るわけにはいかない。

 織羽は心を決めると、美月の手を握った。そして顔を上げた彼女の赤琥珀の瞳をじっと見つめる。


 ここに来るまで、彼女に会ったらなんと言おうかずっと考えていた。だが手紙を書こうと試みた時と同じように、思いつくのはたった一言だけだった。


 「美月、好きだよ」


 そう口にすると、やっと言えた、と彼は柔らかく微笑んだ。突然の告白に衝撃を受けた美月は思わず顔を赤らめて言葉を失う。その様子を愛おしそうに眺めながら彼は続ける。


 「これだけは伝えておきたくて、直接言いに来たんだ」


 それを聞いた美月は目を丸くすると、口をぽかん、と開いた。


 「――あなた、そのためだけにここまで来たの?」


 うん、と織羽は事も無げに頷く。


 「伝えたいことは、ちゃんと伝えないと。――伝えられるうちに」


 美月は、はっとした。それはきっと、彼が今は亡き親友にできなかったことへの後悔だろう。でも彼はそれを乗り越えてここまで来た。その事実を思うと、なんとも言えず胸が疼く。


 だが美月の内心を余所に、織羽は俄に悲しそうな色を浮かべて目を伏せると、ぼそぼそと呟きだした。


 「その、君はこれからお嫁に行くのに、今こんなこと言われても迷惑だったかもしれないね。いや、そもそも故郷まで押し掛けて告白なんて気持ち悪かったかな――」

 

 「ちょっと待って」


 どんよりとした空気を醸し出しながら取り留めもなく捲し立てる男を、女は片手を挙げて制した。


 「私、嫁になんか行かないわよ」

 「じゃあ婿をとるの?」


 そういうことじゃない、と叫びながら美月は織羽の肩を揺すった。そしてそのまま彼をぎゅっと抱き締めると、そっと彼の耳元で囁いた。


 「せっかくここまで来てくれたんでしょう。だったら最後まで、ちゃんとしてよ」


 織羽は思わずぶわっと赤くなった。――それは、もしかしなくても、そういうことだろうか。


 「――いいの?」


 美月はうっとりと微笑むと、力強く頷いた。その表情のあまりの美しさに飛び出しそうになる心臓を抑えながら、織羽は今一度、愛する女の手を握った。


 「美月、これからも、ずっとおれの傍に居てください」

 「――はい」


 この上なく幸せそうな笑みを浮かべた彼女はそう応えると、愛しい男に口づけた。織羽はあまりのことに全身から火が出そうにになる。


 里の者達は唐突な展開に付いていけず騒然としていた。突然現れた余所者が里長の娘を泣かせたかと思ったら何故か求婚している。

 だが美月の決意を、――また里を出て、慕う男の元へ戻ろうとしていたことを知っていた真柴だけは、この様子を半ば呆れながらも落ち着いて見守っていた。


 「まあ、そういうことだ。さて、そうなるとこの謀反者(むほんもの)をまた始末しないとならないか――」


 ざわめく群衆達を前に真柴がそう口にすると、皆は慌てて彼を取り囲んだ。美月は復興に尽力し、里長の娘としてその役割を充分果たしている、始末するなんてあんまりだ、と口々にわめきたてた。

 真柴はしばらく黙ってそれを聞いていたが段々と耐えられなくなり、ついには笑いだしてしまった。


 「冗談だ。俺は寧ろ、皆が美月を始末しろと言おうものなら全力で抵抗するつもりだったんだがな」


 その言葉にその場に居た全員がほっと胸を撫で下ろす。しかし里でも指折りの強さを誇る真柴が言うと、冗談に聞こえない。美月はじとっとした目で男を見やったが、彼は素知らぬ顔で続ける。


 「――だが、余所者をこの地に入れることはできない。その男と共に行くと言うのなら、二度とここには戻れないが、それでいいな?」


 途端に表情を引き締めた真柴に問われ、美月も神妙な面持ちになって頷く。――もとよりそのつもりだ。


 「では即刻立ち去れ。日暮れまでにこの山から出ろ。さもなくば命はない」


 彼が言うや否や、門扉が開いた。女は早速立ち上がると、足早に荷物を取りに戻る。


 織羽は戸惑った。このままでは彼女に故郷を捨てさせることになってしまう。彼は美月を説得しようと口を開きかけたが、目の前に真柴が立ちはだかり、人差し指を唇に当ててそれを阻んだ。


 「野暮な真似はするな。あなたが覚悟を決めてここに来たように、美月も覚悟はできている」


 そう言われた織羽は、はっと瞠目した。そして全てを悟った。彼女がわざわざ身支度を整えて里の者達を集めたのは、この里を出ることを皆に告げるためだったのだ。

 だがそう思うと、途端に男は背筋が冷えるのを感じた。一度は里を抜け出して命を狙われた彼女が、またもやその危険をおかそうとしていたのだとしたら、それはどれほどの決意だろう。しかもそれが自分のためかと思うと、織羽は肝が潰れそうな気がした。――二度とそんな目に彼女を遇わせまい。彼はそう自分に言い聞かせた。


 真柴はふと視線を和ませると、織羽に手を差し出す。彼はその手を取り、二人は握手を交わした。


 「あなたのことは美月から聞いている。頼りないけど頼りになると訳のわからないことを言っていたが――今なら何となくわかる」


 そう言って彼は破顔した。

 織羽は悩んだ。――これは誉められているのだろうか。


 真柴は大きく伸びをすると、相変わらず織羽達を遠巻きに眺めている群衆を振り返った。


 「さあ、里長に殺される前に、次の里長の算段をつけておかないとな」


 そう言って彼は里の者達の中に紛れていく。と、去り際に織羽にそっと耳打ちした。それを聞いた男はたちまち真っ赤になる。

 

 真柴は、じゃあな、と片手を挙げると固まったままの織羽を残して民達と一緒に去っていってしまった。


 ほどなくして、少し多めの荷物を抱えた美月がこちらに手を振りながら戻ってくる。



 二人は改めて向き合った。そしてしばらく見つめ合うと、どちらからともなく抱き合う。

 あの日、もう二度と感じることはできないと思っていた温もりに、胸がいっぱいになる。


 この一年、ずっと互いを想ってきた。ひとときだって、その存在を忘れたことはない。少し時間がかかってしまったが、こうしてまた巡り会うことができた。


 額を合わせて二人は笑う。そして、気恥ずかしさから少しためらうように、しかし、ずっと待っていたとばかりに、口づけを交わした。


 美月は潤んだ瞳で織羽を見上げると顔を赤らめる。


 「織羽、好きよ――私からも、ちゃんと伝えておきたくて」


 そう言い終えると恥ずかしそうに顔を覆う。言われた方も赤面したが、先ほど公衆の面前で思いっきり接吻(キス)してきたのは誰だったかと思うと少し可笑しくなってきてしまった。


 「ちょっと、なに笑ってるのよ」


 ひとが頑張って告白してるのに、と美月は口を尖らせる。その姿が愛らしくて、織羽は彼女を抱き寄せた。


 「いや、君は可愛いなって」

 「――っ」


 腕の中で彼女が身じろいでいるのを感じながら、男はその耳元に唇を寄せた。


 「好きだよ、美月――もう、どこにも行かないで」


 その切ない声に応えるように、女は愛しい男を強く抱き締めた。


 「約束する――ずっと、あなたの傍に居るわ」


 二人は確かめるように目を合わせると、今度は深く口づける。――もう二度と、互いを離さない。そんな想いを込めて。


 「――帰りましょう」

 「うん」


 そう言葉を交わして、織羽と美月はしっかり指を絡める。そして大きく開かれた門扉から外へと歩き出した。

 ――まだ先の見えない、だが二人で切り開いていける、未来へ向かって。



閲覧ありがとうございます!織羽編も最終章まで来ました。もう一編後日譚を準備しておりますのでしばしお付き合いいただければと思います。ありがとうございました。

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