織羽 第七章 後編
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織羽と美月が帰途につく頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
あの後、屋敷に招かれた二人は客人の来訪に目を輝かせた真白によって、手厚くもてなされることとなった。この年頃の子ども特有の未曾有の生命力に付き合うのは、普段座り仕事の織羽にとって過酷を極めたが、美月はそれを圧倒的な体力で難なくこなし最終的には少女を見事に手懐けてみせた。――彼女は一体何者なのだろう、と織羽は改めて疑問に思う。
ゆっくりと歩を進めて、彼は天を仰いだ。夜空には無数の星が瞬いている。華やかなその光は、身体を温かくほとばしる血脈のように、力強い天の川を描いていた。
その星影の中に、織羽は真白の姿を思い浮かべた。
彼女の容姿は、やはり藤之助に瓜二つだ。
だが、藤之助が蝋燭に灯る焔のような儚げな男であるなら、真白は暮夜を賑やかに照らす街明かりのような朗らかな少女である。
今日一日、その存在と触れ合うことで、姿かたちは似ていてもこの親子はまったく違う人間なのだということを、織羽はいよいよ心から理解できた気がした。
「――おれはもう、手離してもいいのかな、藤之助への思いを」
ふと足を止めると、彼はそう口にした。
今もまだ、親友を思うと胸が苦しくなる。彼にもっと生きていて欲しかったという思いは、この先もずっと変わることはないだろう。
しかし、その娘は、彼が遺した生命は、これからもずっと続いていく。藤之助はもうこの世に居ないけれど、真白の存在は、確かに彼が生きていたことの証明なのだ。
藤之助が願ったのはきっと、彼の生きた時間が優しい未来に繋がることだ。ならばもう、彼を失った苦しみを、いい加減手離すべきなのではないか。織羽はそう思うのだった。
でも、何か、どうしても、それを選びたくない気持ちが彼を苛む。
少し先を歩いていた美月が振り返る。彼女はすこし考える素振りを見せていたが、うん、とひとつ頷いた。そのまま織羽の傍に戻ると、強張って冷たくなっている織羽の頬をそっと両手で包み込んで応える。
「お別れ、って、その人への思いを感じないようにすることではないわ」
すると皺の寄った彼の眉間をつつき、柔らかな笑顔で美月は続けた。
「手離したって、手離さなくたって、好きにしたらいいじゃない。――どうしようと、彼がここに居たことが、なかったことになるわけではないのだから」
織羽は目を見開いた。何か心につかえていたものが途端にするりと抜けるような心地がした。
彼は恐れていたのだ。この苦しみを手離すことが親友との思い出を手離すことに繋がるような気がして、怖かったのだ。
だがきっと、大切なのはこの記憶をどう感じるかではない。
(藤之助のことを、絶対に忘れない)
男は再び夜空を見上げる。満天の星が、彼を包み込むように広がっていた。星は夜毎に姿を変えても、その光はいつだって温かい。――藤之助もきっと同じだ。
いつかこの痛みは消えて、ただ懐かしさだけが残るのかもしれない。だが記憶の中の親友は、同じしかめ面で鬱陶しそうに手を振って、でも最後には、同じ穏やかな笑顔でこちらを見つめているのだ。その姿さえ忘れなければ、いつだって彼に会える。
深く息を吸って真っ直ぐ前を見つめると、織羽は再び歩き出した。
もう二度と、立ち止まることはない。
美月はその横を並んで歩きながら男の横顔を見つめていた。
(もう、大丈夫ね)
織羽はやっと、己の痛みと向き合うことができた。自分も、抱えている問題に向き合わなければならない。
――いよいよ、覚悟を決める時がきた。
ぎゅっと拳を握り込むと、彼女もまた前を向いて歩みを進めた。
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