織羽 第六章
屋敷に戻ると、美月は織羽を卓子につかせた。すぐさま女中に頼んで温かい茶を淹れてもらう。夏とはいえ、夜は冷える。
すっかり消沈しきった様子の男を美月は黙って見ていたが、その胸中はざわついてならなかった。
さっきのひととはどういう関係だろうか。真白というのは誰の子だろうか。万が一、億が一にもないと信じたいが、まさか二人はそういう関係なのか――。
ふと額に気配を感じて我に返ると、苦笑いを浮かべた織羽が美月の眉間をつついている。女は、しまった、と顔をしかめる。――またやってしまった。
気まずさを隠すために、美月は白い湯気をたてる茶器に顔を埋めるようにして中身を啜った。茶の温かさが喉を通ると、強張った心身がほぐれていく気がする。
そうして二人はしばらく静かに茶を飲んでいたが、織羽が俄に切り出した。
「真白は、藤之助の娘なんだ」
唐突な話に美月は面食らった。と同時にほっと胸を撫で下ろす。――さっきの邪推は、やはり邪推に過ぎなかったようだ。
それにしても、と女は首をかしげる。藤之助は娼妓だったはずだ。遊郭とは確かに偶発的にそういうことも起こる場所ではあろうが、真白という子が、はっきりと藤之助の娘だと明言できるということは、何かしら確たる証拠をもって生まれてきたということだろうか。
「おれもはっきりとは知らないけど、藤之助には恋人がいたみたいだ」
美月の疑問に答えるように、織羽は言った。真白は藤之助が亡くなった直後に生まれ、事情はわからないが、ほどなくして親族が暮らす今の家に預けられたという。
――なるほど、それなら得心がいく。そうすると、さっきの藤枝という女性は藤之助の身内といったところだろうか。そういうと、兄さん、と言っていた気がする。
不意に織羽の言葉が途切れた。彼は俯いて茶器の中身をぼんやりと見つめている。美月はなんと声をかけていいか思いつかなかった。どうしていいかわからず、美月は男の手に自分の手を添える。ひやりとした感触が伝わってきて、彼女は言いようもなく悲しくなった。
「真白が二つになるまでは会いに行っていたんだ。でも、日に日に藤之助に似ていくあの子を見ていると、どうしても、苦しくて」
痛みを堪えるように、織羽はきつく目を閉じた。
そうか、と美月は悟った。彼はまだ、親友の死を受け入れられていないのだ。
きっと真白を見ていると、藤之助のことを思い出してしまうのだろう。もう二度と戻らない日々への憧憬と、あの時、親友のためと思ってした選択への後悔が彼を苛んでいるに違いない。
そう思うと、美月は静かな怒りを覚えた。――藤之助は残酷な男だ。
死の淵に立って子を遺すなど、自分が存在したことを、残された者たちが否が応でも忘れられないように仕向けているとしか思えない。生きることに執着していない素振りを見せておきながら、最期の最期に大きな傷跡を残して去っていったのだ。なんと自分勝手な振る舞いだろうか。
だが、と美月は顔を曇らせる。――自分も似たようなものだ。これだけ織羽を振り回した挙げ句、結局は彼を一人にしてしまう。
そのまま会話が途切れ、二人は俯いたまま、時だけが過ぎていった。
「ねえ、忍の者に会ったことはある?」
長い沈黙を破って、美月は口を開いた。唐突な問いに織羽は困惑しつつも首を横に振って否定する。
「忍はね、毎日が生きるか死ぬかの二択だから、いちいち誰か死んだからって感傷に浸っている暇はないの」
美月は目を瞑った。目蓋の裏に、辛く苦しい修行や務めの日々に散っていった同胞の姿が浮かぶ。
「だけど、弔いだけはきちんとする。その人が生きていたことを忘れないために、お別れするのよ」
そこで言葉を区切ると、美月は向かい合う男を真っ直ぐに見つめた。
「でもそれは、悲しいからそうするんじゃない。その人が生きた時間を大事に思うからするの」
その言葉に織羽は瞠目した。たちまち鳶色の瞳が潤む。
「藤之助さんは、もう戻らない。でも彼の生きた証はちゃんとある――ここに」
そう言うと美月は、とん、と目の前の男の胸を指でついた。
「嘆いて悲しむだけが、弔いじゃない」
途端に織羽の目から堰を切ったように涙が溢れる。
「怖いんだ。真白が藤之助に似れば似るほど、藤之助がもうこの世にいないことが、かえってまざまざと感じられて――あの子は藤之助じゃないから」
真白を通して感じられる藤之助の面影は、記憶の中にあるその像を濃くするばかりで、薄れさせてはくれない。――これは呪いだ。真白を見る度、藤之助への思いが募れば募るほど、もう二度と彼には会えないという事実が織羽を苦しめる。
「でも、おれは藤之助が大事だから――ちゃんとお別れしないと」
目元を無造作に拭うと、男はぎこちなく笑った。
「真白に、会いに行くよ」
誰より大切な親友との思い出を、彼の生きた時間を、悲しい記憶にしないために。
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