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行く春の白藤へ  作者: まめ童子
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織羽 第五章


 外出を満喫した二人は、茶屋で寛いでいた。ここは織羽(おりば)御用達の藤屋の姉妹店にあたる甘味処である。

 今日の目当てはこの店でしか味わえないという珈琲餡蜜(こーひーあんみつ)だ。というのも最近、店主は西方の素材に傾倒しているらしく、この珈琲というのも近頃この国に入ってきた飲料で、何を思ったかそれを餡蜜に合わせてみたら絶品だった、と評判になっているのだ。


 美月(みつき)は運ばれてきた餡蜜をじっと見つめる。見た目は普通の餡蜜だが、ふわりと嗅ぎ慣れない香ばしい香りが鼻先を掠める。いい香りではあるが、味の想像がつかない。口に入れていいものか悩ましい――。

 すると向かいに座る男がくつくつと笑い出した。美月は、はっとして眉間を押さえる。

 「そんなに怖い顔して餡蜜を食べるのは美月くらいだよ」

 「う、うるさいわね」

 美月は、ふん、と鼻を鳴らすと勢い任せに一匙掬って口に運んだ。

 香ばしい香りがより濃密に口中を満たす。珈琲の味はほろ苦く、餡蜜のしっとりとした甘さと絶妙に融け合っている。

 彼女は目を輝かせた。――これは絶品だ。


 その様子を織羽は目を細めて眺めていた。彼にとって、美月が甘味を頬張っているときの愛らしい表情を見ているのが、何より癒される時間だった。その姿が見たくて、ついつい甘味を土産にしていたら、なぜか自分が甘味好きだと思われてしまった。あながち間違いでもないので、こうして二人で甘いものを楽しむのが習慣になっている。


 不意になぜだか、あの藤の庭で藤之助と過ごした日々が甦ってくる。


 彼に会いに行くときも必ず手土産を持っていったものだ。藤之助は会う度、帰れとのたまう割にどこか土産を期待している節があった。俺を餌付けするつもりか、と責め立てておいて結局、饅頭だの麦酒だの、持ち込んだものは全て楽しんでいた。

 藤之助はいつも仏頂面で格好つけていたが、その実、何かを口にしながら語り合っているときは表情豊かな男だった。彼を思うと、もう戻らない日々に、織羽の胸は相変わらず締め付けられるように痛んだ。


 「食べないの?」


 美月の声に我に返った織羽は、あわてて笑顔を取り繕った。彼女は心配そうに首をかしげている。気を取り直して一口、餡蜜を食べてみた。――なるほど、確かに。


 「おいしい」

 「よかった」


 たちまち美月は笑顔に戻る。その顔を見ていると、織羽は幾分か心の傷が癒されるような気がした。


***


 辺りは黄昏時の斜陽に照らされ、橙色に染まっていた。二人はのんびりと街道を歩いている。延びた二つの影がぴったりと寄り添っているのを見ると、美月はなんだか照れ臭く感じた。

 目当ての品も買えたし、甘味も味わった。他にもしたかったことは済ませて、あとは特にすることもなく、あてどなく道を歩いている。ただ二人で並んで歩いているだけなのだが、彼女にはそれが何より幸福に思えた。


 ふと、往来を行く人影が立ち止まった。何やらこちらを窺っているようだ。するとその人影がぱたぱたと駆けてくる。美月は何事かと首をかしげていたが、横の織羽が、はっと緊張するのが繋いだ指先から伝わってくる。と、思った瞬間、彼の手が離れた。


 「織羽先生」


 砂色の髪を揺らしたその人は、焦ったように織羽に声をかける。


 「――藤枝(ふじえ)さん」


 そう口にした彼の顔は強張っていた。ずっと避けていた相手に出会ってしまったかのようだ。美月は不意に不安を覚えて、彼の着物の袖口をきゅっと握る。

 「ご無沙汰しております」

 藤枝と呼ばれた女は深々と頭を下げた。

 「ごめんなさい、お姿が見えたので、ついお声がけしてしまいました」

 藤枝は申し訳なさそうに美月の方を見る。――綺麗なひとだな、と美月はぼんやり思った。

 

 「おれの方こそ、ごめんなさい、ずっと顔を出さないで」


 そう言うと、織羽は目を伏せた。沈黙が流れる。何か言い知れぬ気まずさを感じて、美月は一歩後ろに下がった。なんだか胸のうちがもやもやする。――二人はどういう関係なのだろう。


 「――まだ、あの子には会っていただけませんか」


 気遣うような藤枝の声に、織羽は、はっと顔を上げた。途端に苦しげに表情を歪める。


 「ごめん、まだ、怖いんだ」


 男は掠れた声を絞り出した。藤枝は困ったように微笑む。


 「真白ももう五つになります。どうか一度、会いに来てやってください。――兄さんにも」


 それを聞いた織羽は愕然とした表情をして固まってしまった。そのまま俯くと、呟くように返す。


 「――ごめん、もう少しだけ、待ってほしい」


 何度も謝罪を繰り返す男を藤枝は悲しそうな顔で見ていたが、紫水晶の瞳を伏せて、わかりました、と一言残すと、一礼してその場を去っていった。


 冷たい風が吹く。すっかり日が落ちて、辺りの気温が下がってきた。

 美月はそっと織羽のそばに戻り、強く握りしめられて冷たくなった手を包んで温めてやる。


 「――帰りましょう」


 男は項垂(うなだ)れたまま頷く。二人は黙って帰途についた。



閲覧ありがとうございます! せっかくのおデートがとんでもないことに……

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