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行く春の白藤へ  作者: まめ童子
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織羽 第三章


 じわじわと蝉が鳴いている。美月(みつき)は庭に出て、金色の日の光に染まったかのように咲き誇る向日葵(ひまわり)に水をやっていた。夏の盛りの熱気に汗が身体中から吹き出してくる。


 今日は隣の花街に仕事で赴いている織羽(おりば)から、留守を任されている。


 身体の傷はすっかり良くなった。腕もようやく治癒し、今では家の手伝いをこなせるまでに至っている。

 だが自身の回復を喜ばしく思う一方で、いよいよこれからのことを考えねばならないと思うと、その心は少しだけ塞ぐのだった。――最初はすぐにでも出ていこうとしていたのに、随分いい加減なものだなと美月は自分に苦笑する。


  一通りの水まきを終えると、彼女は露壇(テラス)に置かれた椅子に腰かけて、ぼんやりと庭を眺めていた。風にそよぐ花々を見ていると、何故だかこの街に落ち延びた日のことが頭に浮かんでくる。



 美月の故郷はここより遠く北にある小さな隠れ里だった。この里は隠密を稼業とした者たち――いわば忍たちの集まりであった。

 生家は集落の長の家系であり、いずれはその役目を彼女が継ぐことになっている。

 

 だが、美月にその気はなかった。

 

 ずっと疑問に思っていた。なぜこの里の人間は皆、ただ与えられた役目を(まっと)うするだけの人生に納得しているのだろうか。否、ただ諦めているだけかもしれない。いずれにせよその定めに抗おうとするものは誰一人として居はしなかった。

 

 物心つく頃にはすでに修行に明け暮れる日々を送っていた。怪我は耐えない。優しい言葉も掛けられない。ただひたすら己を殺して、務めを果たすことだけを考えるように言い聞かされてきた。

 けれどどうしてか、そんな毎日に馴染むことができなかった。ここではない、もっと広い世界が見てみたい。――自分の人生は、自分で決めたい。


 そう思っていた矢先、とうとうその日が訪れてしまった。父親が家督を譲ると言い出したのだ。当然、美月は拒んだ。しかし彼女の意志に反して、その準備は瞬く間に進められていった。とうとう結婚相手があてがわれ、なにも知らされないうちに初夜の支度が整えられていることに気づくと、美月はたまらず家を飛び出したのだった。

 

 里の者たちはすぐさま追いかけてきた。その鬼気迫る形相を見るに、連れ戻しに来たのではなく自分を始末しようとしていることは、容易に察しがついた。――生きて隠れ里を出ることは許されないのだ。



 どうやってあの街外れの雑木林まで逃げ延びたかは、よく思い出せない。ただ腕を折られた時点で命はないと思っていたので、再び目が覚めたときは、あの世にでもいるのかと錯覚した。

 

 ふと、心配そうに自分を覗き込む鳶色の瞳を思い出す。美月は思わず赤面した。ここ最近、その人を思うと妙に気持ちが落ち着かない。顔を合わせて話しているときは穏やかな心持ちなのに、彼のいないところでその姿を思い浮かべると、どうしてだか胸がそわそわするのだ。


 美月はぱちん、と頬を張ると、部屋に戻るべく立ち上がった。こんなに顔が熱いのは、きっと夏の暑さにのぼせてしまったからに違いない。


 その時だった。庭の端から人影が飛び出してくる。美月は咄嗟に身構えた。ついに恐れていたことが現実になったかと、彼女は表情を険しくした。

 だが、その人物は美月の姿を認めると、膝をついて(こうべ)を垂れる。見覚えのある(たたず)まいに、彼女は声を上げた。


 それは幼いころから苦楽を共にしてきた、友人であった。


 「真柴(ましば)――」


 真柴と呼ばれた男は、つと顔をあげる。瑠璃色の瞳が労るように美月を見る。


 「息災で何よりだ、美月」

 「――何の用」


 長い付き合いの知己にもなお警戒の色を(あらわ)に、美月は構えを崩さず問う。その様子に真柴は困ったように微笑む。

 「そう怖い顔をするな。お前を手にかけるつもりはない」

 その言葉を聞くと、美月はようやっと力を抜いた。――真柴は里でも指折りの実力を誇る猛者だ。確かに、自分を殺す気があったのなら問答無用で息の根を止められていただろう。


 「俺の言いたいことはわかるな」

 「私は帰らない」

 

 用件を明言する前に即座に拒否された真柴は苦笑した。だがすぐに真剣な表情に戻ると、居住まいを正して、改めて切り出す。


 「お前がいなくなった後、里が襲撃に遭った。なんとか切り抜けて壊滅は免れたが、酷い有り様だ。長も傷を負って弱っている」


 美月は動揺した。自分のいない間にそんなことが起こっているとは考えてもみなかった。確かに追っ手が一向に現れないので少し不審に思ってはいた。

 里の者たちは無事では済まなかっただろう。命を落とした者はいるのだろうか。親しかった者たちの顔が次々に浮かんでくる。何より、残してきた父のことが気がかりでならない。

 瞳を揺らして故郷に思いを馳せていると、真柴はやおら地面に手をつき、深々と頭を下げた。


 「美月、どうか戻っては貰えないだろうか。――お前の力が必要だ」


 地に擦れそうなほど低く(ぬか)づいた男の姿を目の当たりにすると、美月は焦燥を覚えた。自分は里長の娘だ。里が混乱している今、民たちを安心させるためにその存在が求められていることはよくわかる。一刻も早く戻らねばならないと、気が急いてくる。


 しかし美月の心は揺れていた。脳裏に金色の癖毛に鳶色の瞳をした男の柔らかな笑顔が(よぎ)る。 

 いつかはこの時が訪れるとわかっていた。だが、いざ現実になってみるとどうしようもなく離れがたい気持ちが沸き上がってくる。


 彼女はしばらく目を伏せて考え込んでいたが、膝を折って真柴の肩を叩いた。彼は顔を上げる。


 「わかった。でも、少しだけ時間をちょうだい」


 美月は目を閉じると、今一度、織羽の姿を思い浮かべた。温かく跳ねる鼓動に、芽生えてしまった思いを自覚する。否、きっと本当はわかっていたけれど、気づかないようにしていただけだ。


 (あのひとが好き)

 ――だからちゃんと、さよならしないと。


 風に揺れる黄金(こがね)色の向日葵を見つめて、美月は心を決めた。


***


 日暮れ前に織羽は屋敷に戻ってきた。ただいまと声をかけて戸口に立つ彼は何やら包みを下げてにこにこしている。まったく人の気も知らないで、と美月はじとっとした目付きで男を見やる。その視線にまったく気づかずに、彼は包みを差し出した。


 「はい、夏といえば藤屋の水羊羹だよね」


 嬉々とした様子にすっかり毒気を抜かれた美月は呆れて笑ってしまう。――いつも思っていたが、この男は何かと土産をよく持ち帰ってくる。しかもいつも甘味だ。

 

 「あなた本当に甘いものが好きね」

 「そうかな――そうかも」


 織羽は照れたように頬を掻く。その仕草がなんともいえず愛らしく見えて、美月は高鳴る胸を必死に宥めた。――自覚が芽生えるとこうもあからさまなものかと、内心苦笑する。


 「お茶にしましょうか」


 平静を装って男を卓子(テーブル)(いざな)うと、彼女は炊事場に立った。今日はいつも身の回りの世話をしてくれている女中も所用で不在にしている。と、そう思った途端、美月の眉間に皺が寄った。――もしかしなくとも、ここには今、ふたりきりなのでは――。


 ふと気配を感じて振り返ると織羽が心配そうに覗き込んでいる。女は思わず声を上げそうになったが、自分は腐っても忍の里の長が娘だと、ここはぐっと唾をのみ込んで耐える。

 「何かしら」

 少し声がうわずってしまった。まずい、と美月の目が若干泳ぐ。

 織羽はやはり気遣うような色を浮かべて、彼女の眉根をつつきながら声をかけた。

 「留守番させておいて何だけど、そんなに動いて平気?」

 美月が手に取ろうとしていた茶器を取り上げると、彼は、おれがやろうか?と首をかしげる。仕事帰りで疲れているだろうに、やはり相手のことを思いやってしまうその人に、彼女は笑みをこぼした。

 「向日葵の水やりの方がよっぽど重労働よ」

 男は、はっとした顔をすると気まずそうに頬を掻く。美月はなおも、ふふ、と笑っている。


 「ねえ織羽、私、あなたにお願いしたいことがあるの。だからたまには私にもてなされてちょうだいな」


 そう言って織羽の背を押して追い出すと、美月はようやっと茶の仕度に取りかかった。



 水羊羹は絶品だった。つるりとした感触が熱く疲れた喉を癒していく。そこによく冷えた茶を流し込むと、小豆のふくよかな香りと茶の爽やかな香りとが混ざりあって、涼の極みと呼べる心地がする。二人は同時にふう、と息をつくと、目があって、どちらからともなく笑い出した。可笑しくて長いことくつくつと止まらなかったが、少し落ち着いたところで織羽が切り出した。


 「それで、おれに頼みたいことって何?」


 美月は答えるのを躊躇(ためら)うように指を絡めていたが、心を決めると赤琥珀の瞳で向かい合う男をじっと見つめて口を開く。


 「ねえ織羽、私とお出かけ(デート)しませんか」


 男はぽかんと口を開ける。つるん、と匙に残っていた水羊羹が卓上にこぼれた。



閲覧ありがとうございます!次回、おデート回です!

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