作品3-9
店主が かすみ と聞いて一番に思い付いた食材が綿飴であった。それをどのように、あるようでないもの、ないようであるものに仕立てるか。それでいて味のあるものにしなければならない。
祭りの屋台にあるような綿飴マシンなら色や味を工夫できそうなものであるが、それだけでは芸がない。店主は、かすみから連想した月をテーマに、まずは饅頭を作ることにした。
白い綿飴で包むことを基本に、こし餡やさつまいも餡、そしてかぼちゃ餡の三つを用意した。それぞれの餡が綿飴に包まれて、おぼろげな月に見えなくもない。そして、口にいれても食べ応えのない綿飴に餡を詰めると、とたんに頬張るような重量感が出る。ちなみに、どれも綿飴の甘さを考慮して餡の甘さは控えめにしてある。餡のいくつかは表面を焼いて、噛めばサクッとする触感を加えたのは店主の工夫である。
「お待ちどう様。」
誘拐犯と、ご丁寧にまだ人質を演じている店主の妻がまじまじとお皿に置かれたかすみ饅頭を眺めている。
「なるほど、餡を月に、綿飴をかすみに見立てたか。」
ひとしきりかすみ饅頭を見た二人は、
「どれ。」
という誘拐犯の一声を合図にほおばった。
口に入れて温めると、綿飴が溶けて餡が とん と舌に乗る。
一つひとつを口に運ぶたびに、鼻から抜ける餡の香りに息を深めている二人であった。
「おいしい。」
激高していた妻もこれにはにんまりと頬を緩ませ、満足そうにしている。一方誘拐犯はと言えば、満足していないようであった。
「うまいことはうまい。しかし、餡が却って邪魔している。俺は かすみ と言ったんだ。これじゃただの饅頭だろ。」
店主にとってそんなことは百も承知だった。誘拐犯の方を見向きもせず、次の料理の準備に取り掛かっていた。
「いちいち言われねぇでもわかってるよ。そんなのお通しみたいなもんだ。本命は次だ。」
そう言って店主は昼間に手折った桜の木の枝を手に取った。
つづく。