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幸せな結末

 身体の震えが治まると、紗江子は誠の腕から放された。名残惜しそうに、ゆっくりと。


「それじゃあ、ちょっとあの男と話をしてきますので、紗江子さんはここで待っていてください」


「……え? あの、神谷さん一人で行くんですか?」


「ええ、そのつもりですが……、あの男にまだ何か用があるのですか?」


 投げられた問いに、反射的に首が横に動いた。


「そうじゃないですよ! ただ、一人だと危ないかも……」


 脳裏には、扉にたたきつけられたときに見た、幸二の表情が蘇った。どこか虚ろな血走った目に、歪んだ笑みのまま固まった口元。とても正気だったとは思えない。もしも、逆上して刺されたりしたら……。そんな不安が湧き上がってくる。

 しかし、当の誠は穏やかな微笑みを浮かべていた。


「大丈夫ですよ。すぐに片がつきますから」


「あ! 待ってください!」


 制止をよそに、誠は部屋の中に入っていった。そして、ガチャリという音を立て、扉に鍵がかけられる。


「神谷さん! 神谷さん!」


 扉を叩きながら名前を呼んだが、鍵が開く気配はない。


 その後、紗江子は扉を叩きながら名前を呼び続けたが、反応は返ってこなかった。それならばと思い、ポケットからスマートフォンを取りだす。中から不穏な音が聞こえたら、すぐに通報しよう。そう思いながら、ドアに耳を当てた。


「なに……もく……んだ?」


「お……さえ…………あ…………だけで…………れより……うす……か?」


「そ…………」


「このしゃ…………もう……おっ…………いた……あな…………とう……わりで……」


「……」


 内側から、二人の会話がかすかに聞こえてくる。内容までは分からないが、怒鳴り合いや争いになっている様子はない。

 ひとまず、通報はしなくて良いのかもしれない。そう思っていると、会話が止んで近づいてくる足音が聞こえた。

 慌てて離れると扉はすぐに開き、誠が姿を現した。


「お待たせしました。これですべて終わりましたよ」


 穏やかな笑顔と声ともに、優しく頭が撫でられた。

 

「もう二度と紗江子さんの前に姿を現さないし連絡もしない、という言質は取りました」


「……え?」


 ついさっきは、正論にも逆上して襲いかかってきたのに。


 ――ギィ


 混乱する耳に、再び扉が開く音が届く。

 我に返ると、生気のない目をした幸二が目に入った。とっさに身構えた肩を、誠の腕が優しく抱く。


「……」


 幸二は一瞬だけ眉をひそめ、何か言いたげに唇を震わせた。しかし、誠のシャツを掴みながら嫌悪感のこもった目を向ける紗江子を見ると、言葉の代わりに小さなため息を吐き出だした。そして、無言で軽く頭を下げ、振り返らずに廊下を去っていった。

 

 足音が聞こえなくなると、今度は誠のため息が廊下に響いた。


「まったく。最後まで、紗江子さんに謝罪の言葉はなしですか」


「いえ、もういいですよ……、これ以上関わらないでくれるなら……」


 力なく答えると、誠の顔に苦笑が浮かぶ。


「それもそうですね。あんな男、関わらないにこしたことはないですから」


「その通りですね……、二度と関わらないって言質を取ってくれて、本当にありがとうございました……」


「いえいえ。ただ、当面の間は注意したほうがいいと思うので……、やっぱり俺の家で暮らしましょう。相手は、勝手に合い鍵を作って忍び込むようなやつですから」


 誠の言葉を受け、再び脱力感に襲われた。

 勝手に鍵を開けたのは自分なのに、それさえも人のせいにしていたなんて。あまりの落胆に、軽く目眩がした。


「……ご迷惑でなければ、お願いします」

 

「ええ、もちろんです!」


 嬉しそうな声とともに、キツく抱きしめられた。


「紗江子さんとずっと一緒にいられるなんて、本当に幸せだ……」


「もう、大げさですよ」


「そんなことないですよ。俺はこの日が来ることを、ずっと、ずっと待っていたんですから」


 腕に込められた力は、いっそう強くなった。

 紗江子は頬を緩めて、もう、と再び呟き、誠の背中に腕を回した。






 その後、提案通り紗江子と誠は、同棲することになった。 

 二人で話し合った結果「やはり、また何かが起きたらまずい」という結論に至り、ワンルームマンションは早々に引き払った。

 

 はじめのうちは、同棲することで愛想を尽かされたどうしよう、などと紗江子は考えていた。しかし、誠はずっと一緒に暮らすようになってからも、労いの言葉や、愛の言葉を絶やすことはなかった。


 そんな生活を続けるうちに、半年近くの月日が流れた。

 

 今日も紗江子は、二人の香りが混ざり合う寝室で、誠に腕枕をされていた。


「今日も、とても可愛らしかったですよ」


 甘い囁きとともに、額に唇が落とされる。


「それは、どうも……」


 とっさに目を伏せて視線を逸らすと、ふふ、という穏やかな笑い声がこぼれた。


「紗江子さんは、いつまでたっても、初々しいですね」


「だって、今まで誰かにこんなに褒められたこと、なかったから……」


「それは、周りの見る目がなかっただけですよ。まあ、紗江子さんの魅力を理解できるのは、俺だけだと思いますけどね」


「……それって、一般的には微妙な女ってこと?」


「あはははは、そんなことないですよ!」


「本当かなぁ」


 口を尖らせて腕を組むと、骨張った細長い指が頬を撫でた。


「ええ、紗江子さんはどこからどう見ても、魅力的な女性ですよ。閉じ込めてしまいたいほどに」


 不意に、背筋が粟立った。その原因が、穏やかな微笑みに垣間見えた鋭い視線のせいなのか、頬を撫でた指が首筋に滑り降りたからなのか、判断はつかなかった。


「んっ……」


 深く口づけをされ、口内に的確な愛撫が与えられれば、他のことなど考えられるはずもない。

 

 唇が離れると、整った顔に浮かぶ恍惚とした表示が目に映った。


「……これからもずっと、俺の隣にいてくれますね?」


「……」


 無言でうなずくと、誠の口元に笑みが浮かんだ。再び、背中が粟立っていく。


 それが口に残る心地よい舌の感触のせいなのか、笑顔のせいなのかは、やはり分からなかった。


 それでも、自分をこんなに愛してくれる人と、私もずっと一緒にいたい。


 そんな甘い気持ちが、紗江子の胸を満たしていった。

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