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 今日は私が先に階段を上がる。

 トン、トン、トン。

 私の足音に重なるように、後ろから足音が聞こえてくる。


「暑いねえ」


 景山先輩がしみじみ言う。

 私は答えずに階段を上りきって、部屋へ入る。すぐにクーラーをつけて設定温度を下げると、景山先輩が勝手にベッドを椅子代わりにして座った。


「はい、お土産。立派なのしいか」


 鞄の中から大きめの袋を出して、私に見せる。

 近づいて袋を受け取ると、中には駄菓子として売っているものではなく高そうなパッケージに包まれたのしいかが入っていた。


「どうしたの、これ?」

「お父さんが取り寄せたのもらった。美味しかったからお裾分け」

「ありがと。今、食べる?」


 お礼を言ってのしいかの袋を開けようとすると、景山先輩が「いらない」と興味がなさそうに言った。私はもらったのしいかをテーブルの上に置いて、部屋の隅っこで壁を背もたれにして座る。


「遠くない?」


 不満そうな声が聞こえてくるけれど、昨日自分がしたことを考えてほしい。人を押し倒そうとしただけでは足りずに「えっちなこと」をしようとした人間の側に座るわけがない。


「近くに行く理由ないし」


 素っ気なく答えて、「用事は?」と一応尋ねる。

 返答次第ではここから出て行ってもらわなければならない。


「用事なんて一つに決まってるじゃん」


 明るい声が聞こえて、私は決心する。


 叩き出す。

 追い出す。


 どちらでもいいけれど、彼女には帰る以外の選択肢を与えるつもりはない。


「玄関まで送るから」


 私は立ち上がって部屋のドアを開ける。


「待って、待って」

「待たないし、用事も聞かないから」

「えー、聞く耳持とうよ」

「持たない」

「持たないと、この部屋の窓開けて大声出しちゃうかも」


 景山先輩が面倒くさいことを言いだして、私はため息を一つつく。


 彼女は馬鹿げたことを本気で実行に移すようなところがある。

 私はドアを閉めて、景山先輩を見る。いつでも彼女を追い出すことができるように、ドアの前からは移動しないでおく。


「今日は心を入れ替えてきたから大丈夫。こっちきて」


 にこやかに景山先輩が言う。


「腐った心、入れ替えることができたんだ?」

「相変わらず酷いね。まあ、いいけど」


 酷いというわりにまったく気にしていない声色で言って、景山先輩が手招きする。どうやら彼女の近くに行かなければ、話が始まらないし、終わりもしないらしい。私は諦めて彼女が椅子代わりにしているベッドの端っこに腰掛ける。


「じゃあ、今日はキスから始めようか」


 明るい声は彼女の口から出た言葉とまったく合っていないし、昨日よりはマシだというだけでろくでもないことを言っている。


「やっぱり心が腐ってるじゃん。」

「人を腐葉土みたいに言わないでよ」

「腐った繋がりで腐葉土を出したら、腐葉土に失礼だと思う。大体、腐葉土は人の役に立つからいいけど、景山先輩は何の役にも立たないじゃん」


 はあ、と息を吐き出すと、景山先輩が断りなく私のすぐ隣に座り直した。そして、手を掴んでくる。


「なに?」

「譲歩してえっちなことからキスにしたわけだし、多香美も譲歩してキスしよう」


 さらりと到底受け入れられない提案をしてから、景山先輩が私の頬を撫でる。


「ちょっと、ふざけてるの?」

「真剣だよ」

「もっと悪い」

「してみたら案外いいかもよ」


 馬鹿みたいなことを言って、景山先輩が私の頬にキスをした。


「百香、ちょっと!」


 強い口調で懐かしい呼び方をすると、景山先輩が口角を上げる。


「その声、いいね。ゾクゾクする」

「風邪でもひいたんじゃないの」

「そのゾクゾクじゃない。あのね、漫才しにきたわけじゃないから、とりあえずいちいち突っ込み入れるのやめて」

「あー、もうウザい。昨日からなんなの」

「言ったじゃん。キスから始めましょうって」


 くだらないことばかり言う景山先輩にむかむかする。

 キスしたら気がすむなら、キスくらいしてやる。


 別に大したことではない。

 手と手が触れ合うのと大差がないはずだ。

 唇だって手だって体の一部で、唇だけが特別なんておかしい。


 それに今、私にはキスしたいと思うような人はいない。

 この先ずっと。

 一年経ったって、二年経ったって。

 大人になったって。

 キスをしたくなるような人はできないと思う。


 草野先輩は私を好きにならないし、キスだってしない。

 彼女は私の幼馴染みで、それ以上にはならない人だ。


 だから、だから、誰とキスをしたっていい。


 私は景山先輩の頬を押さえて、無理矢理唇を彼女の唇にくっつける。

 でも、強く押しつけすぎて、柔らかさよりも歯の硬さを感じてすぐに顔を離した。これをキスと呼びたくはないけれど、唇同士が触れ合ったのだからキスに分類されるのだと思う。


「思ったより情熱的でびっくり。でも、今のはキスっていうより正面衝突だよね」


 景山先輩がわざとらしく唇を押さえながら言う。


「初めてなんだし、仕方ないじゃん」

「私が初めてかー。光栄だな。でも、キスってこういう風にしたほうがいいと思うけど」


 ふわりと景山先輩が笑って、顔を寄せてくる。

 目を閉じるよりも先に、唇が触れる。

 柔らかく触れてすぐに離れる。でも、またもう一度キスをされて、今度は下唇を挟むように触れてきた。


 涼しくなりかけていた部屋が暑く感じる。

 唇も熱を持っているような気がする。


 それは景山先輩の体温が私に伝わってきているからかもしれないけれど、よくわからない。唇が離れて、またついばむようにキスをされる。気持ちがいいわけではないけれど嫌ではなくて、景山先輩の腕を掴む。すると、すぐに唇が離れた。


「……なんか慣れてない?」


 掴んだ腕を離して、ついでに景山先輩から体も離す。


「そんなに上手かった? 百香、照れちゃう」

「そういうところ、ウザい」


 キスはそう悪いものではなかったけれど、望んでいたものでもない。キスをして用事が済むならそれでいいくらいのもので、私にとってそれほど大きな出来事だとは思わない。


 そう、そんなに大きな出来事ではないはずだ。


 キスなんて大事にとっておくものではない。

 草野先輩が良かったなんて、私は絶対に思っていない。


 小さく息を吐いてから、景山先輩を見る。


「で、これからまたえっちなことするなんてふざけたこと言いだしたら、この部屋から叩き出すけどどうする?」

「今日はこれで終わり。叩き出さなくても、自発的に帰るから」

「それ、なにか裏があるの?」

「裏も表もないよ。私が劉備百香(りゅうびももか)ってだけ」

「は?」


 また、景山先輩がわけのわからないことを言いだす。

 劉備というのは三国志の登場人物だけれど、ここでその名前が出てくる意味がまったくわからない。


「私、劉備玄徳(りゅうびげんとく)に弟子入りしてるの。多香美は諸葛孔明(しょかつこうめい)に弟子入りしてる花口孔明(はなぐちこうめい)ね」

「なんで花口孔明なの。こういうときって、名字名乗って諸葛多香美(しょかつたかみ)なんじゃないの」

「諸葛より孔明のほうがわかりやすいから。それに大事なのはそこじゃないから」

「どうせ、三顧の礼とか言うんでしょ」


 劉備玄徳が諸葛孔明を三度訪ねて軍師に迎えたとかいうアレだ。


 景山先輩が昨日来て、今日も家に来たこと。

 明日も来たら三回目になること。


 そう考えると、彼女は三国志ごっこがしたいとしか思えない。


「よくわかったね。私、劉備を見習って明日も来るから」

「本気で言ってるの?」

「本気。明日はキスの続きね」


 景山先輩がとびっきり可愛い顔をして私を見る。


「……続きって?」

「次の段階ってこと。昨日言ったこととも言うね」


 昨日言ったこと。

 それはおそらく「えっちなこと」という最低な台詞で、幼馴染みに言うべきものではない。


「景山先輩、馬鹿でしょ」


 ため息交じりに言うと、明るい声が返ってくる。


「多香美、予告はしたからね。あとは自分で考えて」

「考えってって、なに?」

「三回以上は来ないってこと。じゃあね」


 そう言うと、景山先輩は部屋から出て行った。

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