C'mon, baby アメリカ!
ユスタたちが、テルモピュライで激戦を見物していた頃。
荒野のど真ん中でマザランが腕を組んで待っていた。
「遅い……!」
マザランは苛立った様子で、タイムマシンの前を行きつ戻りつしている。
「あいつらいつまで待たせるんだ……!」
眉を吊り上げるマザランの後ろで、キトラがフンと鼻を鳴らす。
「待つ身のつらさが、少しはわかったかしら」
「まったくもう、こっちはさっさと元の時代に戻って、溜まっている政務を片付けなきゃならないってのに、あいつらいつになったら戻ってくるん……」
ぴたり、とマザランが止まった。
「だ……」
マザランが何かに気付いたように目を見開く。
「ああああああああああっ!」
そして頭を抱えて絶叫した。
「そうか! バカか私はっ! 何も律儀にあいつらのことを待っている必要はないんだ!」
バッと振り向いて、キトラに詰め寄った。
「おい、ドスケベロリ巨乳!」
「私のこと?」
「今すぐ未来に向けて出発するぞ!」
え? とキトラが目を丸める。
「連れの人たちを待っていなくていいの?」
「一向に構わん! あいつらを置き去りにして、私だけが元の時代へ戻る! そうすれば……! そうすれば……!」
マザランは拳を握りしめ、歓喜に打ち震えながら、天を仰いだ。
「邪魔者が消えて、私が新たなる国の支配者になれるじゃないかぁぁぁ!」
マザランがキトラの肩を掴んで揺さぶった。
「さあ帰るぞ! すぐ帰るぞ! 一刻も早く、私だけを元の時代に戻すんだ!」
ええぇ、とキトラが顔を歪める。
「さすがにそんなことはできないわよ。あの人たちを置き去りにするだなんて、いくら何でも道義に反するわ」
「いいんだよ! グリーンだよ! そもそもあいつらこそ道義なんてものとは無縁の生き物たちなんだよ!」
「でもぉ……」
「ええい、もういい、どけっ!」
マザランがキトラを突き飛ばしてタイムマシンに飛び込む。勢い倒されたキトラは、地面の石に後頭部をしたたかに打ちつけてしまった。
「ぐんぼっ!」
変な声を上げて、キトラは昏倒した。
一方、タイムマシンに乗り込んだマザランは、しめしめとばかりに手を擦りながら舌舐めずりしていた。
「さて……」
一つ咳払いして、マザランは声を張り上げた。
「エパラキサメパロットドルツハボシュバラベビウィンガロスハバランチイグナードアブラカタブラナミアミダブツチョベリグチョベリバブッチホンハイパーメディアクリエイターアベノミクスピエンコエテパオンリーチイッパツツモタンヤオォォォッ!」
マザランが呪文を唱え切ると、タイムマシンのシステムが起動し始めた。
「ふふん、このマザランの記憶力と処理能力を舐めるなよ」
タイムマシンが虹色に発光しながら空高く浮上し、一際強く耀いて消失する。その内部では、マザラン歓喜の高笑いが響いていた。
「ハァーッハッハッハ! これでこのマザラン様が新たなる国王! 新たなる支配者だ! すべての民を従えて、世界最高のマザラン帝国を築くのだ!」
ヒャッホゥ、オウイェース、などと叫びながらマザランはタイムマシンの中ではしゃぎまくる。
「ざまぁ! ざまぁ! ざまぁみさらせ、クソ紫とアホオレンジ! これが渾身の、ざまぁ展開じゃあああああああ!」
感極まったマザランが、体を猛烈に回転させてアクロバティックな宙返りを打つ。
ところが。
勢いあまって、そのままタイムマシンの外まで飛び出してしまった。
「え」
マザランの目が点になる。今の自分の状況を秒で理解し、感情メーターは天国から地獄へと一気に振り切れた。
「えええええええええええっ!」
自分の絶叫を聞きながら、マザランは時空の狭間へと落下していった。
「うわあああああああああっ!」
叫びながらマザランはどこまでも落ちていく。
いつの間にやら、そこは空の上だった。雲を突き抜いて、青海目掛けて落下していく。やがてマザランが隕石のような勢いで海面に激突すると、高い水しぶきが上がった。
そして、数十秒後。
「ぶはぁーっ!」
飛び出すような勢いで、マザランが水面から顔を出した。
荒い息を吐きながら、辺りをきょろきょろと見回す。
「はっ、はっ、こっ、ここはっ?」
いったい自分はどこにいるのか。それを確かめようとしたマザランは、すぐにその答えを知ることになる。
何故なら、ある物が視界に入ったからだ。
「あ……」
水面に揺れるマザランの視線の先に、緑色の巨大な女性の像が建っていた。
左手には銘板を持ち、右手にはトーチを高々と掲げた、女神の像。
世界中の誰もが知る、自由の象徴。
自由の女神像だった。
「あ……あ……アメリカですかぁぁぁ!」
すなわち。
マザランが着水したのは、アメリカ合衆国、アッパー・ニューヨーク湾だったのである。
「はっくしゅん!」
陸へと這い上がったマザランは、くしゃみをしながら身を震わせた。当然ながら頭から足先までぐっしょりずぶ濡れだ。
「くそぅ、何がどうなっているんだ。どうして私はアメリカにいるんだ」
自分が置かれている現状も、またその対応策もわからず、マザランはただ無意識に波止場沿いをよたよたと歩いていった。
そのときだった。
背後から、荒々しいエンジン音が聞こえて、マザランは振り向いた。
「ん?」
見ると、後方より自動車が迫って来ていた。
自動車といっても、かなり旧式のものだ。外見的には乳母車に大きな四輪を取り付けたようにも見える。
車は酔っ払いのスラローム走行のように激しく蛇行しながら、マザランに向かって突っ込んできた。
「なななななっ!」
乗っているのは黒ずくめの男たちだったが、それに気付く間もなく、車は正面からマザランに激突する。
「ごぶうううぅぅぅっ!」
轢かれたマザランは吹っ飛ばされずにそのまま車のフロント部分に張り付いた。
「うわばばばばばば!」
車体にしがみついたマザランのせいで視界を塞がれたのか、車はあらぬ方向にカーブを切り、波止場に積まれた貨物の山目掛けて突っ込んでいった。
「ぎぃやあああぁぁぁ!」
マザランが絶叫した直後、車は貨物の山に激突して大破した。
それからしばらくして、崩れ落ちた貨物の隙間から、マザランがノソノソと這い出てきた。
「ゼェ……ゼェ……! 何が何で何事なんだよ……!」
ふらつきながらマザランが頭を振る。普通なら骨折か内臓破裂でもしていておかしくないほどの事故だったが、体の頑丈さだけはさすがなものである。
振り向いて見ると、車に乗っていた黒ずくめの男たちが衝撃で吹っ飛んで、波止場のそこいらに散らばるように横たわっていた。
「こいつらはいったい……ん?」
ふと、ある物がマザランの目に留まった。
地面に転がった、人間大サイズの麻袋だった。明らかに何かが詰められているようにずんぐりと膨らんでおり、口のところが荒縄で縛られている。
さっきの車に乗せられていたようだ。
「んん……?」
何か得体の知れない雰囲気を感じ取り、マザランはその麻袋を凝視した。
すると。
モゾリ、と麻袋が動いた。
「ヒッ!」
マザランは小さく叫んで身を仰け反らせた。
麻袋は巨大な芋虫のようにモゾモゾと蠢いている。また、その内部からくぐもった呻き声のような音も聞こえてきた。
「まさか……中に人が……?」
恐る恐るといった足取りで、マザランは蠢く麻袋に近づいていった。そして麻袋のそばで屈み込み、しばし逡巡した後、意を決して両手を伸ばした。
「おりゃあ!」
一息込めて、麻袋の口を縛っていた荒縄をほどく。
すると袋の口から、やはり人間がずぼりと顔を出した。
鼻の下に口髭を生やした、初老の男性だった。
「うむむ……!」
男性は呻きながら麻袋から這い出して、周囲を見回した。眼を瞬かせ、一人で納得するように何度も頷いていた。
「あ、あの……?」
戸惑いながらもマザランが男性に声を掛ける。
すると男性は、射貫くような鋭い視線で、まっすぐにマザランを見据えた。
「なるほど、理解した。あなたのおかげで助かったわけか」
へ? とマザランが目を丸める。
すると男性は、いきなり手を伸ばしてマザランの腕を掴んだ。
「では急いでここから逃げるぞ」
言うなり、男性はマザランを無理やり引っ張って駆け出した。
事態が呑み込めないマザランは、目を白黒させながら引かれるままに足を動かす。
「はっ? おっ? えっ? 何だ、何事なんだよ」
「説明は後だ。とにかく今はどこかに身を隠すのが先決だ」
「いや、してくれよ説明を! 何が何だかわけがわからんわ! そもそも、あんたは誰なんだよ!」
言い募るマザランをちらりと見返りつつ、男性はわずかに溜息を吐いた。
「そんな暇はないと言っているだろう。とにかく走れ。私は……」
少し言い淀んだ様子で、男性は自分の名を口にした。
「ニコラ・テスラ。至って善良な発明家さ」