新約:テルモピュライの戦い
「さあ始まりました! テルモピュライの戦い! 実況は私、ベルサちゃんと」
「ユスタちゃんでお送りするわ」
ここはギリシアのテルモピュライ。山に囲まれた峠道だ。
「というわけでね、ベルサちゃんこうして戦場となるテルモピュライまでやってきたわけなんですけども、すでにスパルタの皆さんはがっちり重装備で陣取ってますね。ではここで、スパルタ代表のレオニダスさんに、お話を伺ってみましょう」
ベルサが、隣で腕を組んで立つレオニダス王に呼びかけた。
「レオニダスさん、これから始まる大戦への意気込みを聞かせてもらえますか」
「ほいほーい。まあ意気込みっつってもね、うちらいつも通りがんばってやらせてもらうだけなんで。お相手のペルシア軍さんたちは、二十万くらいの大軍勢らしいですけど、戦いは数だけで決まるもんじゃないからね」
「ふむふむ、ちなみにスパルタ軍は何人くらいなんですか?」
「300人」
「……え?」
「うちらのメンバー300人だぞぉ!」
「そんな人数で何しにきたん? 社会科見学?」
コホン、とユスタが咳払いした。
「ギリシア勢が極端に少ない理由は、この年スパルタでカルネイア祭、他の諸都市ではオリンピア祭が行われていたからよ。当時のこの祭りは神聖な物で、戦争より優先しなくてはいけなかったの」
「おー、よく知ってるなぁ! だからあたしも一応、戦争に行くべきかどうか、デルポイの神託を受けにいったんだぞ」
デルポイの神託? とベルサが首を傾げる。
「当時信じられていた、デルポイに伝わる占いみたいなものよ。信託の結果は、【王が死ぬか、国が亡ぶか】だった」
「こんな占い結果が出たらさ、もう戦争行くっきゃないじゃん? あたし王だしさ、国を守んなきゃいけないしさ」
レオニダス王が視線を前方に向ける。同時に、彼方から地響きが聞こえてきた。
「はっはっはー! おいであそばせたぞぉ!」
見れば、地平線を埋め尽くさんばかりの大軍勢が、黒い津波のように押し寄せてきていた。
ペルシア軍の先陣だ。
「よっしゃあ! いっちょかましますか! いくぞ、野郎ども!」
レオニダス王の呼びかけに応えるように、スパルタ兵たちは獣のような唸り声を上げた。
「じゃあ私たちは、後ろの方で見学してよっか、お姉ちゃん」
「お二人の警護は、このアンリめにお任せくださいませ」
「そうね。レオニダス王一世一代の大戦、じっくり見せてもらいましょう」
そう言いユスタは踵を返した。
そしてついに戦いが始まった。
土石流がごとき勢いで峠道へとなだれ込んだペルシア兵たちは、隊伍を組んで待ち受けるスパルタ兵目掛けて一気に突っ込んできた。
しかし。
両軍が激突するや、一斉に吹っ飛んだのは、ペルシア兵たちだった。
「えーっ!」
ベルサが驚愕の声を上げた。
「何で? 何が起きたの?」
「あれこそがスパルタ必勝の陣形、ファランクスよ」
ユスタがしたり顔で解説する。
「ファランクスは盾と槍を持った兵が、密集し攻撃しながら隣の人間を守る隊形のことよ。スパルタはこの戦闘がとても得意だったの」
その後も絶え間なくペルシア軍は峠に突入してきたが、どれほど時間をかけても一向にスパルタの守りを崩せない。
「わはは! その程度の力じゃ、うちらには擦り傷一つ付けられないぞぉ!」
高笑いしながら、レオニダス王は単身ファランクスの隊形から飛び出した。
そのままペルシア兵に向かって突っ込んでいく。
「一から鍛えて、出直してこーい!」
レオニダス王が拳の連打を繰り出すと、ペルシア兵たちは弾けるポップコーンのように、次々と峠道から吹っ飛ばされていった。
そのまま延々とペルシア兵を撃退し続けること幾時間か。ついに敵軍は正面突破を諦めて撤退していった。
「すごーい! 本当にたった300人で勝っちゃった!」
目を輝かせて感動しているベルサに、レオニダス王はチッチッチッと指を振ってみせた。
「さっきの奴らは様子見の先方部隊だぞ。こっから本命の精鋭部隊が総攻撃を仕掛けてくるだろうから、もう一回遊べるドン!」
レオニダス王の言う通り、第一陣の撤退からしばらくして、また大地を揺るがす地鳴りが聞こえてきた。
ユスタが手の平をかざして、前方を注視する。
「あれはまさか……不死隊じゃないかしら」
「不死隊って?」
「防御を捨てて攻撃に特化した、ペルシア最強の精鋭部隊よ。この不死隊は一万人で構成され、一人死んでもまた一人が補充されることから不死隊と呼ばれたわ」
「設定が完全に中二病やね」
おっし! とレオニダス王が一声上げる。
「最強の精鋭部隊たぁ、相手にとって不足なしだ! お前ら根性見せろよ!」
レオニダス王が、スパルタ兵たちに檄を飛ばした。
そのときだった。
「えっ?」
後方からも地鳴りが聞こえ、ユスタは振り向いた。するとどういうわけか、峠の逆方向からも、ペルシア兵たちが突撃してくるではないか。
「挟まれちゃったよ、お姉ちゃん!」
「そんな、どういうことなの、これは」
狼狽するユスタとベルサを尻目に、レオニダス王は、んー、と思案を巡らせた。
「こりゃどうやら峠の抜け道を見つけられちゃったなー。多分、土地に詳しい人間を丸め込んで、背後に回り込んできたっぽいぞ」
そう言っている間にも、ペルシア軍は前後から迫ってくる。戦局において、完全な挟撃が決まることは、すなわち勝敗が決まったことを意味する。
普通ならば。
「ユスタ王、ベルサ王、お下がりください」
ただペルシア軍にとって不運だったのは、スパルタ軍のしんがりの位置に、アンリがいたことだろう。
「ユスユスとぉ、ベルベルにぃ」
アンリが大剣を抜いて大上段に構える。
「手ぇ出すんじゃねぇぞ、クソゴミどもがァァァッ!」
振り抜いた大剣が地面に叩きつけられるや、地走りの衝撃波が一直線に峠を遡り、後方のペルシア兵に襲い掛かった。
吹き飛ぶペルシア兵たちは阿鼻叫喚の悲鳴を上げながら、上空彼方へと消えていった。
「おーおー、さすがにやるなぁ、あのピンク髪の人は。こりゃあたしらも負けてらんねーぞ」
パキパキと指を鳴らしながら、レオニダス王は前方から迫りくる不死隊に向き直った。
「うおっしゃあああぁぁぁ! 不死隊がなんぼのもんじゃーい!」
次の瞬間、レオニダス王の体は高速回転を始めた。回転速度はどんどん高まってゆき、やがて体の周囲に巨大な竜巻を作り出した。
不死隊の面々は、その竜巻に巻き込まれて上空へと舞い上げられていった。
「もうお前ら、物理法則もノーサンキューか」
もはや人間離れしているアンリとレオニダス王の戦いぶりに、思わずユスタはそう突っ込む。
だが破壊の災厄と化した両者は留まることを知らず、哀れにも突撃してくるペルシア兵たちを根こそぎ吹き飛ばし続ける。
運よく難を逃れた敵兵も、結局はスパルタのファランクスを突破できず、戦場の露と消えていった。
「よーし、こんなもんかなー」
「あらあら、あまり手応えがなかったですね」
やがてレオニダス王とアンリの攻撃が収まった頃、峠道は累々と横たわるペルシア兵たちで埋め尽くされていた。
生き延びた者は一人もいない。不死隊が死んでいる貴重な光景映像であった。
「精鋭部隊ェ……」
ベルサがやりきれない表情で、無惨なペルシア兵たちの姿を見渡す。
ユスタもやれやれとばかりに溜息をついた。
「これがスパルタの強さよ。スパルタ軍のファランクスと、この峠があまりにも強力だったから、ペルシアはどんな軍を投入しても勝てなかったの」
「もうファランクス云々のレベルの話でもないような気がするけど」
あまりにも壮絶かつ一方的な戦いに、ユスタとベルサは驚きを通り越して、若干引いていた。
が、そんなことお構いなしに、レオニダス王とスパルタ兵たちは意気揚々と勝ち鬨を上げていた。
「よーし、そんじゃそろそろ本気出していくぞぉ! この峠から打って出て、ペルシア軍の本陣に攻め込んでやるのだ!」
「え、自分たちから峠捨てちゃうの?」
まさかのレオニダス王の提案に、ユスタはあんぐりと口を開けた。
「おー、いつまでも守ってばっかじゃつまんないからなぁ。攻守交替、今度はこっちのターンだぞ!」
「ずっとこっちのターンだったように思うけど」
「さあいくぞ野郎ども! 獲物はペルシア軍二十万、時間無制限食べ放題だぞ!」
そしてレオニダス王はスパルタ兵たちを引き連れて、猛烈な勢いで峠から飛び出していった。
モーロン・ラベ! モーロン・ラベ! と叫びながら……。
「お姉ちゃん、モーロン・ラベってどういう意味?」
「……来たりて取れ、よ」
取れるかバカヤロウ、とユスタはボソリとつぶやいた。
「ねぇお姉ちゃん、結局この戦いの結末ってどうなるの?」
「現代に伝わる歴史記録としては、峠を捨てて広場に出てきたスパルタ軍に、ペルシアのクセルクセス王は全軍で総攻撃を行うの。それでもスパルタはこれを何度も撃退するのだけど、激戦の最中にレオニダス王が凶刃によって戦死してしまう」
「えっ、あの子、死んじゃうの?」
「そしてこのテルモピュライの戦いは、ペルシアが残ったスパルタ軍を全滅させて終わりを迎えるわ。しかし王を殺されたスパルタは復讐を決意。この翌年に起きたプラタイアの戦いでは一万人ものスパルタが動員され、三十万人いたペルシア全軍を壊滅させているわ」
これを聞いたアンリはしきりに首を捻っていた。
「アンリの見立てでは、とてもあの王を討ち取れるとは思えませんが……」
うん私もそう思う、とユスタは力なく答えた。
「まぁ、私たち現代に生きる者にとって、歴史とは資料から読み取れる情報に過ぎないから。実際のところ過去において何が起きたかなんて、永遠に真偽不明のままなのかもしれないわね」
「じゃあさ、今からスパルタ軍の後を追って、実際にはどうなったのか確かめにいこうよ」
「そうね、隠された歴史の真実を確認するのも面白いかもしれな……ん?」
突然ユスタが何かに気付いたように空を見上げた。
「どうなされました、ユスタ王」
「あ……あれ……」
ユスタが震える指先で、天の一角を指し示した。
ベルサとアンリも空を仰ぎ、ユスタの視線の先を見る。
その空の彼方遠くに。
ウンコ型のタイムマシンが浮かんでいた。
「あれれ? お姉ちゃん、あれって私たちのタイムマシンじゃ……」
そうベルサが言いかけたとき、タイムマシンは一瞬キラリと光った後、忽然と消失してしまった。
「あ……あ……」
ユスタが全身をガタガタと震わせる。そして腹の底から絞り出すような、全力の叫び声を上げた。
「あの片眼鏡ェェェ! 私たちを置き去りにしやがったアアアァァァ!」