激戦! アンリVSレオニダス王
歴史とは実にままならぬものである。
数百年前、あるいは数千年前に起きた出来事が、寸分違わぬ事実のまま現代にまで伝えられてきたという保証などどこにもないからだ。
例えばレオニダス王についての伝承は、【歴史の父】と呼ばれるヘロドトスが編纂した歴史書に詳しい。ヘロドトスの記述によると、レオニダス王はスパルタの王族アナクサンドリデスの三男として生まれ、兄たちが早逝したために繰り上がりで王位を継承したとされている。
しかし多くのこのような古文書におけると同じように、ヘロドトスの記述がすべて疑いようのない確かな事実だと断言できるかといえば、必ずしもそうではない。
愛知県名古屋市にお住まいの自称歴史研究家である零川一太朗氏によれば、最先端テクノロジーを駆使した近年の研究によって、レオニダス王は実は女の子であったという説が有力視されてきているらしいのだ。
そう。
レオニダス王は女の子だったのである。
女の子だったのである!!!
「そんなわけでこんなわけで、私がレオニダス王だぞ」
王を名乗る少女の言葉に、メンサは目を丸めた。
「レオニダス王でごぜぇますって? お前のような小娘が?」
「そうだぞ。ほらほら皆の衆、そこに倒れてる影武者くんを介抱してやっちくり。多分、剣は肋骨に刺さって急所は無事だろうから」
この指示を受け、スパルタ兵たちは倒れたレオニダス王(影武者)の体を担いで下がっていった。
「でさ、ペルシアからの使者の、メンサっていったっけ? お前が来ることはアテナイから報せがあったから知ってたんだけど、こんなにあからさまに喧嘩売ってくれるとは思ってなかったからさ」
少女はメンサに、満面の笑みを浮かべて見せる。
「本当に嬉しいぞぉ! 最近じゃうちと喧嘩しようなんて命知らずの国はめっきりいなくなってたからさ!」
「何……でごぜぇますと……?」
「あたしの意見も、さっき影武者くんが言ってたのと同じってことだぞ。ペルシアが望むなら、全面戦争バッチコイってこと! ペルシア軍って何人くらいいるんだ? 十万か? 二十万か? そいつら全員ぶっ殺せるなんて、あたしめちゃくちゃ楽しみだぞぉ!」
快活に笑いながら言うレオニダス王を見ながら、メンサは困惑した表情で首を振っていた。
「本気でペルシアとやり合うと? 狂気でごぜぇますよ」
「狂気ぃ?」
レオニダス王が、右手で作った拳を振り上げた。
「こんなん、うちらじゃ至って普通の通常運転だぞ。これが狂気だと思うなら、よーく覚えとけ」
そして半身を捩じり、拳を思い切り振りかぶる。
「でぃす! いず! スパルタあああぁぁぁ!」
次の瞬間。
振り抜かれた豪速の拳が、メンサの胴体にぶち込まれた。
「グッバアアアアアアアアアァァァァァッ!」
砲撃のような轟音が響く。ぶん殴られたメンサは、絶叫しながら上空高くぶっ飛んで、空の彼方へキラリと消えた。
「はっはっはー。故郷ペルシアまで飛んでけーつってな!」
腰に手を当て高笑いしている彼女を見ながら、ユスタたちは茫然と立ち尽くしていた。
「ん? あー、えっと、お前らもペルシアからの使節団だったっけな」
レオニダス王がユスタたちの方に顔を向けた。
「んじゃ、お前らにもお帰り願おうか。さっきの男と同じように、あたしが送ってやるぞぉ」
この言葉に、ユスタはたじろいだ。
「えっ、違っ……」
「心配すんなぁ! 痛いのは最初だけだぞぉ! すぐに意識失うからなぁ!」
ユスタの言葉も聞かず、レオニダス王が襲い掛かかってきた。
「アンリ!」
咄嗟にユスタが叫ぶ。 直後、衝撃音が轟いた。
弾丸のように突っ込んできたレオニダス王の体はしかし、ユスタたちの前方でぴたりと止まっていた。彼女の拳を、アンリが大剣の横腹で受け止めたのだ。
「おぉ、あたしのウルトラスーパースペシャルグレートパンチを受け止めるなんて、なかなかやるなぁ」
「あなたもなかなか可愛らしいですけれど、ユスタ王とベルサ王に牙を向ける者は、このアンリが許しませんよ」
ギチリと大剣が軋む。密着している剣と拳の間には、とてつもない力が拮抗して押し合っているのだ。あまりのエネルギーに、空間さえ歪んで見えた。
広場の緊張その極みに達した刹那、剣と拳が弾かれ合い、鋭い炸裂音が響く。
「おりゃあああああ!」
「セイヤァァァァァ!」
両者必死の気合を合図に、激しい戦いが始まった。
アンリの剣とレオニダス王の拳が激突するたびに、凄まじい衝撃派が周囲に四散し、スパルタの都市を震撼させる。
ユスタとベルサもその衝撃の煽りを受けて、立っているのがやっとだった。
「うわぁ、アンリと渡り合うだなんて、あの子ただ者じゃないね」
ベルサの言葉にユスタが頷く。
「ええ、どうやら本当に、彼女こそが伝説のレオニダス王当人みたいね。史上最強の脳筋戦士って呼び名は伊達じゃないわ」
ユスタとベルサは互いに手を握り、身を寄せ合って会話を続けた。
「そんなに強かったの?」
「強いなんてもんじゃないわ。最強よ」
せっかくだからレオニダス王について教えてあげるわね、とユスタは言った。
「さてこの人を語る上でまず知らなきゃいけないのが、都市国家スパルタについてよ」
「私たちが今いる、ここのことでしょ?」
「ええ、スパルタはギリシアの中にある都市のことよ。都市と言っても名前だけで、中身は国と大差なかったわ。そしてスパルタ教育の語源になった国でもあるわね」
「厳しかったの?」
「ええ」
「ケンカしたり遅刻したら退学になったの?」
「殺されたわ」
「え?」
「殺されるの」
「んん?」
「規律を乱した者や訓練中に怪我をした者、病気になった者はすべて殺されたの」
「何でやねんねんねん」
「最強の軍隊を作るためよ。当時スパルタでは住民の十倍もの奴隷を抱えていたの。そんな奴隷が結託して反乱でもされたらひとたまりもない。そこでスパルタはある方法を見つけるの」
「それは?」
「住民一人が奴隷十人分の強さになればいい」
「ア、アホや……」
「なぜかこれがまかり通ってしまい、スパルタはギリシア最強の軍隊になっていくの」
「無理が通れば道理が引っ込むもんだね」
「この最強スパルタを統治するレオニダス王が有名になったのは、この時代に行われていたペルシア戦争があったからよ」
「ペルシア戦争?」
「ペルシアの王クセルクセスがギリシアの領土を侵略しにきたために起こった戦争よ。当時の大国ペルシアは遠征によって領地を拡大していたのだけれど、スパルタは服従を要求するペルシアからの使者を殺し、ペルシアと戦うことを決したの」
「……ん? そのペルシアからの使者ってもしかして」
「ええ、さっきぶっ飛ばされたメンサって人がまさにその使者だったみたいね」
そして私たちもその仲間だと思われているっぽいわ、とユスタが付け加えた。
そんな二人の会話の間にも、アンリとレオニダス王の戦いは激しさを増し、熾烈を極めていく。
「おりゃあ!」
レオニダス王の神速の回し蹴りが、アンリの大剣を跳ね飛ばした。
「これで終わりだぞぉ!」
「何のッ!」
両者必殺の間合いにまで接近し、互いに拳を振りかぶる。
「ドリャァァァッ!」
「ハアァァァッ!」
レオニダス王とアンリの拳が交錯し、互いの顔面に強烈な一撃を打ち込み合う。
次の瞬間、二人はお互い後方に吹き飛び、それぞれ壁と柱に叩きつけられた。
あまりにも苛烈な戦いに、広場の誰もが声一つ出せずにいた。そのまま数十秒が過ぎたとき、レオニダス王とアンリの両眼が、同時にギラリと光った。
「面白い……! めちゃくちゃ面白いぞぉ! このあたしとここまで渡り合えたのはお前が初めてだぞ!」
「あらあら、それはこちらの台詞です。それに私はまだ、本気の十分の一も出していませんよ?」
「おお、奇遇だなぁ。あたしもそうだぞ!」
二人は互いに笑みを浮かべながら立ち上がり、ゆっくりと歩み寄るように間合いを詰めていった。
そのとき。
「待って! ストップ! ストーップ!」
広場の中央にユスタが躍り出て、二人の間に割って入った。
「そこまでよ! まずは誤解を解かせてちょうだい。私たちはさっきのメンサさんとたまたま知り合っただけで、ペルシアとは何の関係もないわ」
あぁーん? とレオニダス王が気だるげな声を出した。
「ペルシアと関係ない? じゃあお前らは、どこの誰なんだ?」
ベルサがとてとて歩いて、ユスタの隣に立った。
「あのね、私たちタイムマシンに乗って、未来からやってきたの」
「はぁー? 未来からやってきたぁー?」
うんそうだよ、とベルサが軽く答える。
それを聞いたレオニダス王はしばらく沈黙した後。
「何だ、そっかぁ! あたし、すっかり勘違いしちゃったぞ!」
ニカッと笑って頭を掻いた。
「未来からはるばるスパルタに来てくれたなんて、王として嬉しいぞ」
「…‥え? そんな簡単に信じてくれるの?」
「話のわかる人でよかったね、お姉ちゃん」
「客人相手に乱暴なことしちゃって悪かったなー。あたしとしては、そこのピンク髪の人と決着つけたい気分だけどなー」
パンパンと鎧の埃を払い、アンリがぺこりと頭を下げる。
「あらまぁ、恐縮です。アンリめも久しぶりに熱くなれました」
さてと、と言いつつレオニダス王は軽く伸びをした。
「せっかく未来から来てくれた客人に、スパルタを案内してあげたいとこだけど、今ちょっぴり忙しいのだ。何しろペルシア軍との大戦争を控えてるからなぁ」
「大国ペルシアとの戦争が、ちょっぴり忙しいレベルなの?」
「あ、そうだ。せっかくだからお前らも戦争に参加してく? 土産代わりに、うちらの喧嘩、見ていきねぃ!」
「ヒェッ……いやそれはさすがに……」
「えっ、本当? わーい、見たい見たい!」
戦慄するユスタとは対照的に、ベルサは目を輝かせてぴょんぴょん跳ねていた。
「ねぇねぇ、行こうよお姉ちゃん!」
「アンリめも、少々体が火照っていて、もうひと暴れしたい気分です」
「え……えぇー……」
げんなりとユスタが顔を歪める。
こうして。
成り行きか運命か。
ユスタたちもスパルタ軍と共に、歴史に名高いテルモピュライの戦いへと赴くのであった。