レオニダス王登場からの、レオニダス王登場
ソニックブームを発生させるほどの猛スピードで走る荷車は、あっという間に荒野地帯を横断突破する。
野を越え、山越え、谷越えて。
やがてアンリが牽く荷車は、目的地の都市へと到着した。
石造りの建物が一面に立ち並ぶ、大規模な都市国家だった。
「はい、着きましたよ、ユスタ王、ベルサ王」
言いつつアンリが荷台を覗き込むと、ユスタとベルサは揃って口から泡を吹き、白目を剥いていた。
「あぁっ……! 白目剥いてるユスユスとベルベルも、何だか絶頂直後みたいでとっても可愛いにょぉ……!」
わけのわからぬことを言いながら、アンリがもじもじと太ももを擦り合わせる。
やがて、ユスタとベルサが意識を取り戻して起き上がった。
「うえぇ……気持ちわるぅ……」
「ベルサ大丈夫……? お姉ちゃん、風圧で顔面の皮が剥がれたかと思ったわ」
げっそりとした表情でユスタとベルサが荷台から降りたとき、いつの間にかメンサは地面に立って都市の風景を見渡していた。
「こいつぁすげぇ。本当に、あっという間に着いちまったでごぜぇますよ」
興奮した様子でメンサは身を震わせていた。
「いやぁ、ありがとうごぜぇます。本当に何とお礼を言ったらよいものやら」
「いえいえ、どういたしまして」
「あんたらのおかげで、ここスパルタの王であるレオニダス王に面会できまさぁ。まったく感謝の限りでごぜぇますよ」
「そんなに気にしなくていいわよ。元はと言えば私たちが……」
そこでユスタは言葉を切った。
「……ちょっと待って。今、何て言ったの?」
「へ? まったく感謝の限りでごぜぇますと……」
「いやその前。この都市国家とその王の名を言わなかった?」
「はぁ、だからこのスパルタのレオニダス王に会えると」
「レ」
レレレレレ、とユスタは震える口で連呼した。
「レオニダス王ですってぇぇぇ!」
バッとユスタが振り向いて、ベルサとアンリを睨んだ。
「あなたたち、今すぐここから逃げるわよっ!」
「どしたの、お姉ちゃん?」
「今聞いたでしょ。ここはスパルタなのよ」
「はい、それが何かまずいのでしょうか?」
「まずいのまずくないのって、まずすぎるわ。とにかく説明してる暇もないからすぐにここから逃げ……」
「おんやぁ?」
ユスタの言葉を遮るように、メンサが低い声で言った。
一同が視線を都市の方に向ける。
前方から、複数人の男たちが、隊列を組むようにぴったりと歩き、こちらに向かってきていた。
「おやおや……向こうからお出迎えとは。意外に行儀のいい連中のようでごぜぇますな」
クククッ、とメンサが渇いた笑い声を漏らす。ユスタにはそれが、悪意を帯びて聞こえた。
「メンサさん、あなた……何者なの?」
「ん? 何者と言われても、自分はただの使いでごぜぇますよ。我らがペルシアのクセルクセス王より賜った勅旨を伝えるための……ね」
「ペルシアのクセルクセス王ですって? それじゃ、あなたの目的って……」
そこまでユスタが言いかけたとき、向かってきていたスパルタ人たちが、眼前に到着した。
どれも頑強な体つきをした、筋骨隆々の男たちだ。
中でも先頭に立つ男は、肉体が黒鉄でできているのかと見紛う程に、一際いかつい体格であった。
「ペルシアからの使節団だな」
そう先頭の男が言った。低く重々しい声だったが、わずかな言葉の中に気品が漂っていた。
「これはこれは、光栄でごぜぇますな」
メンサが両手を広げて男に歩み寄った。
「まさかレオニダス王直々にお出迎えいただけるとは」
「この人が……レオニダス王ですって……?」
「誰なの、お姉ちゃん?」
「数千の兵で二十万の敵と互角に渡り合った王様よ」
そうユスタがベルサに耳打ちした。
「用件を聞こう」
短く応じた先頭の男、レオニダス王は、鋭い眼差しでメンサを睨んでいた。
「自分はクセルクセス王の命によって参ったメンサってもんでさぁ。レオニダス王のご尊顔を拝し、恐悦至極でごぜぇますよ。つきましてはお近づきの印に貢物をお渡ししたいのでごぜぇますが」
「貢物だと?」
「へい、実は貢物は二つ用意してごぜぇましてな」
そう言ってメンサは懐から手に乗る程度の小さな葛籠を取り出した。
「この小さな葛籠。そして後ろの荷車に乗せてある大きな葛籠。このどちらか一方を選んで受け取ってもらいてぇんでごぜぇますよ」
小さな葛籠と大きな葛籠? とベルサがつぶやいた。
「何だか舌切り雀のお話みたいだね、お姉ちゃん」
シッ、とユスタが人差し指を建てた。
「とはいえ、ご安心くだせぇ。どちらの葛籠を選ぶかは、その中身を見てから決めていただければ結構でごぜぇますよ」
メンサが手にしていた小さな葛籠を開けて、中身を取り出した。それは、足と羽を広げた鳥が描かれた、布製の旗だった。
「あの絵柄……たしか……どこかで見たような……」
ユスタがその旗を注意深く眺める。
だがユスタが思い出すより先に、レオニダス王が口を開いた。
「その旗、ペルシア帝国……アケメネス朝の国旗だな」
「おお、さすがは名高きレオニダス王でごぜぇますな。よくご存じで」
「その国旗を受け取れと言うのか?」
「はぁ、受け取ると申しますかその……」
メンサは不敵な笑みを浮かべ、上目遣いでレオニダス王を見た。
「掲げていただきてぇんでごぜぇますよ。この国旗を、このスパルタに」
ガチャリ、という金属音が響いた。レオニダス王の後ろに控えて立つスパルタ兵たちが剣に手を掛けた音だった。
「それはつまり、このスパルタがペルシア帝国の軍門に下れということか」
「早い話がそういうことでごぜぇますよ」
メンサを睨むレオニダス王の眼光が一層の鋭さを帯びた。
「率直な要求だな、ペルシアからの使者よ。実に率直で、簡潔で、愚劣極まりない要求だ」
「おや? お気に召していただけないようでごぜぇますな?」
飄々と言いつつ、メンサはくるりと背を向けた。
「ならば、あちらの大きな葛籠はいかがでごぜぇましょうか」
メンサはゆっくりと荷車に向かって歩いて行った。そして、葛籠の角に手を掛ける。葛籠の角には金具が着けられており、彼はその金具をパチリと外した。
次の瞬間、葛籠はパックリと四方に開き、中に入っていた物が荷台にゴロゴロと転がり出た。
「なっ……!」
思わずユスタが息を呑む。
大きな葛籠に入っていた物。
それは。
大量の、人骨だった。
「こいつらはねぇ、我らがクセルクセス王のご意思に背いて、愚かしくも手向かってきた国々の連中でごぜぇますよ」
説明するメンサの顔は、悪意に満ちた暗い影に染まっていた。
「小さい葛籠を受け取らねぇなら、この大きな葛籠を差し上げまさぁ。正確には、葛籠の中身の連中たちと同じ運命を与えてくれよう、というのがクセルクセス王のご意思でごぜぇますよ」
「そうか、用件の趣は承った」
レオニダス王の顔は、言葉を紡ぐ口以外、石像彫刻のように微塵も動かない。
「ならば私も率直に、簡潔に、返事をしよう。ペルシアからの使者よ」
ズン、とレオニダス王が一歩前に出た。地面を踏み砕くがごとき響きだった。
「貴様らがごとき下劣な者どもからの貢物など、砂一粒さえ受け取りはせぬ」
これを聞き、メンサはわずかに目を伏せた。
「左様でごぜぇますか。王といえども所詮は蛮族でごぜぇますな。ならばその旨、クセルクセス王にたしかにお伝えいたしましょう」
「その必要はない」
スラリ、とレオニダス王が剣を抜く。
「お前は自分の運命を見誤った。お前たちの王も自国の運命を見誤った。このスパルタを侮辱することは、神々を侮辱することよりも恐ろしい結果をもたらす。それを今、お前の魂に刻み付けよう」
レオニダス王が手にした剣を高々と振り上げる。これを見たユスタは、思わず口を手で覆った。
「まずいわ、あのメンサって人、殺されるわよ」
「えっ、そんなシーン見せられたら、私ショック受けちゃうよ」
「お任せください。アンリめがベルサ王のお目々を目隠ししておきますね」
いや止めろよ、というユスタの声と同時に。
レオニダス王の剣がメンサに向けて振り下ろされた。
しかし。
「遅せェェェッ!」
メンサの一喝と共に、炸裂音が轟いた。
一秒後。
どさりと倒れたのは、レオニダス王だった。
「へ……?」
ユスタが目を丸める。
剣を落とし仰向けに倒れたレオニダス王の胸に、短剣が突き刺さっていた。
「ええええええっ!」
レオニダス王敗れる。まさかの事態に、ユスタは絶叫を抑えられなかった。
「口ほどにもごぜぇませんなぁ」
言いつつメンサは、レオニダス王が落とした剣を拾った。
「改めまして自分はメンサという者でごぜぇます。自分がクセルクセス王から使者としての役割を賜ったのは、自分こそがペルシア帝国最強の暗殺者であると認められているからでごぜぇますよ」
倒れているレオニダス王を見下ろしながら、メンサが剣を振り上げる。
「スパルタなんぞの小国家相手にペルシア軍を動かすまでもごぜぇません。今ここで大将首を討ち取って、終いでごぜぇますよ」
トドメの一撃が、レオニダス王目掛けて一直線に振り下ろされる。
そのときだった。
スパルタ兵たちの隙間から、一つの影が目にも止まらぬ速さで飛び出して、メンサの前に回り込んだ。
その影の正体は。
オレンジ色のビキニのようなパンツを身に着け。
赤いマントを羽織った。
ゆるふわポニーテールの。
女の子だった。
「何ィッ?」
思わずメンサが叫んだ。自分が今振り下ろした剣が、年端も行かぬその女の子の指先によってがっちりと捕らえられていたからだ。
「おーおー、随分と好き勝手やってくれちゃったなー」
女の子はニカッと明るい笑顔で言った。
「あたし参上!」
??????
と、クエスチョンマークが連なって、ユスタたちの頭の上に浮かんでいた。
いきなり現れた謎の少女が、メンサが放った必殺の一撃を指先一つで受け止めてしまったのだ。何が何だかまったく理解ができなかった。
「ねぇ、お姉ちゃん、あの子誰なの?」
「さっぱりわからないわ」
一方、メンサはぎりりと歯を食いしばって、顔に青筋を走らせていた。今、自分が掴んでいる剣が、まるで万力にでも締め付けられたかのように、ぴくりとも動かせないのだ。
「ほい」
女の子が軽く言うと、彼女が指先でつまんでいた剣先がパキンと折れた。
メンサの顔に冷や汗が浮かぶ。
「お前は……何者でごぜぇますか」
「はっはっはー! はじめましてこんばんみー! あたしこそがこのスパルタの王、レオニダス様だぞぉ!」
「は?」
その女の子の言葉は、メンサにも、そしてユスタたちにも、まったく理解し難いものだった。
「さっきあんたが短剣を突き立てたのは、あたしの影武者なのだ。スパルタの王がこんなにも可愛い美少女だと知れたら、他国から舐められちゃうから、普段はあたしの代理を演じてくれてるんだぞ」
「ええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
ユスタの叫び声が、スパルタの空に響き渡った。