【閲覧注意】俺がウンコに潰されかけた話 ~BURIBURI DENGEROUS~
「おかしいわね」
タイムマシンの中で、キトラがぽつりとつぶやいた。
「おかしいって何が?」
ベルサが尋ねると、キトラは神妙な顔で、中空のモニターを示した。
「見なさい。エントロピーの増大によって虚の質量を持つ粒子が非ユークリッド空間と外次元に疑似放出されているわ。これはつまり結晶偏光子で複素積分されたエクストラポレーションがフラクタル理論によって無限連分数を導いた場合の大群型ワームホールと逆ベクトルの値を示しているということよ」
「あーなるほどねすごくわかりやすい」
「できたら、さらにわかりやすく説明してもらえないかしら」
「タイムマシンが故障したってことよ」
またかよ、とマザランがこぼす。
「妙だわ……修理は完璧だったはずなのに……。んん?」
何かに気付いたように、キトラはモニターを覗き込んだ。
「あ、わかった。乾電池のプラスとマイナスを入れ違っていたわ」
「このタイムマシンの原動力、乾電池なの?」
単三電池四本よ、とキトラが答える。
「いけないいけない、道理でいつまで経っても目的の時代に着かないわけだわ。てへぺろごめりんちょ」
「それで、どうするの?」
「乾電池を入れ替えるだけだから、大した手間は必要ないわ。作業のために、一旦どこかの時代に出るわよ」
そう言ってキトラは、手早くモニターを叩いた。
さて。
タイムマシンが出現したのは、だだっ広い荒野の上空だった。
今、その荒野を突っ切るように、一台の荷馬車が走っている。荷馬車を引くのは若くたくましい駿馬だ。
若くたくましく、そして不幸な馬でもあった。
何故なら。
その馬は、数秒後、突然上空から降ってきたウンコ型のタイムマシンに圧し潰されて、死んでしまうからであった。
「あちゃー……」
タイムマシンから出たユスタたちは、目の前の光景に絶句していた。
それは悲惨な落石事故ならぬ、落ウンコ事故だった。荷車はひっくり返り、地に横たわった馬は、目を見開いたまま息絶えていた。この馬も、まさか己がウンコに潰されて絶命する運命を背負っていたとは予想もしなかっただろう。
「やっちまったぜ」
無表情のままキトラがつぶやいた。
「どうするの? 警察行くの?」
「逃げると罪が重くなるわよ」
キトラの両側からベルサとユスタが語り掛ける。
すると。
「あら?」
アンリが何かに気付いたようだった。
「ユスタ王、荷車の下に、誰かが下敷きになってます」
言いつつアンリはひっくり返っていた荷車に近寄り、それを軽々と持ち上げた。
そこに、目を回して伸びている男が横たわっていた。
麻布の服を着た、色黒で痩せぎすな男だった。
「もしもし? 大丈夫でしょうか?」
アンリが体を揺さぶると、男は低く呻きつつ目を開いた。
「うぅ……何事でごぜぇますか……」
男がうつろな目を動かす。幸いにも大きな怪我は負っていないようだ。
「大丈夫ですか? 立ち上がれますか?」
「あぁ、こいつぁ申し訳ねぇこってす」
アンリが差し伸べた手を取り、男は立ち上がった。
「あいたた……。あのぅ、いったい何が起きたんでごぜぇましょう? 突然、雷みてぇな音がして、目の前が真っ暗になっちまったんですが」
ユスタがおずおずと男に近づく。
「あの、ごめんなさい。実は私たちが乗っていたタイムマシンが空から落下して、あなたの荷馬車にクリティカルヒットしちゃったのよ」
「は? タイム……何でごぜぇますか、それは? それに荷馬車って……」
そこまで言いかけて、男は硬直した。馬と荷車の無惨な姿が目に入ったのだ。
「うわあああぁぁぁっ!」
絶叫しながら、男は倒れた馬に駆け寄った。
「おいっ、しっかりしてくれぇ! おめぇがいなかったら、大事な荷物を届けられなくなっちまうでごぜぇますよ!」
「荷物って?」
「荷馬車に積んでた葛籠のことでごぜぇますよ!」
慌てふためいた様子で男が辺りを見回す。すると少し離れたところに、人間の身長よりも大きな葛籠がごろりと転がっていた。事故の衝撃で、荷馬車から投げ出されてしまっていたらしい。
「おおっ、これこれ! これでごぜぇますよ! だけど葛籠は無事でも馬がいなけりゃ運ぶことはできねぇし。このままじゃ使いを果たせなくなっちまうでごぜぇますよ。おろろーん! おろろーん!」
「あの……本当にごめんなさいね。大事な荷馬車をダメにしちゃって」
珍妙な声で泣き出した男に対し、ユスタが頭を下げた。
「うん? 何であんたが謝るんでごぜぇますか?」
「だから、私たちが空から降ってきたせいで、荷馬車がオシャカになっちゃったからよ」
は? と男が目を丸める。
「何を言っているんでごぜぇますか? 人間が空なんぞ飛べるわけねぇじゃごぜぇませんか?」
「えっと……もしかして飛行機とか知らない時代の人なのかしら。今って西暦何年なの?」
「西暦? 何でごぜぇますかそりゃ?」
ユスタたちが顔を見合わせた。
「西暦を知らないってことは、相当昔みたいね。もしかしたら、紀元前ってこともあり得るわ。えっと、あなたは……」
視線を戻し、ユスタは男に名を聞いた。
「自分はメンサという者でごぜぇますよ。国の使いで、この先の峠を越えた都市に大事な葛籠を届けなきゃならねぇってのに、これじゃどうにもワヤでごぜぇますよ。おろろーん!」
その男、メンサは、また大口を開けて泣き始めた。その様子を見かねて、ユスタがおずおずと手を差し出した。
「あの、メンサさん。やはりあなたの荷馬車が壊れてしまったのは、私たちの責任だと思うの。だからその荷物、目的地まで運ぶのを手伝うわ」
「へ……?」
「アンリ、お願い」
「はい、かしこまりましたぁ」
ユスタに言われてアンリは葛籠の角を無造作に掴み、ひょいと軽々持ち上げた。
「どひゃああああ!」
その光景に、メンサは尻餅をついて驚いた。
「しししっ、信じられねぇほど怪力なお嬢さんでごぜぇますな!」
「あら、恥ずかしいです、えへっ」
言いつつアンリは、葛籠を荷車の荷台にぽいっと乗せた。
「というわけで」
ユスタが振り向き、キトラに視線を送る。
「私たちはメンサさんと荷物を届けてくるから、ちょっとだけ待っててね」
「まあいいでしょう、わかったわ。じゃあ、その間に私は乾電池のプラスとマイナスを入れ替えておくわね」
げっ、とマザランが小さく叫んだ。
「あの、ユスタ王。それ私も付き添わなくちゃダメですかね。あなたたちと一緒にいると、大抵ロクなことにならないので、ここで待っていたいのですが」
ふーん、とユスタが軽く応じる。
「まあいいわ。それじゃ行くわよ、アンリ」
「はい」
ユスタとベルサとメンサが荷馬車の荷台に乗り込む。そしてアンリが荷車の柄をがっちりと握った。
「では出発しますね。少々飛ばすので、しっかりと捕まっていてください」
アンリがそう言った、次の瞬間。
ミサイル並の勢いで荷車が発車した。
凄まじい衝撃波が拡散され、周囲の地表が土煙となって捲れ上がる。
「あばばばばばばばばばばばばばっ!」
「おぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼっ!」
あまりの速度ゆえに、受ける風圧も半端ではない。ユスタとベルサは、歯茎を剥き出しにして、荷台から吹き飛ばないよう必死にしがみついていた。
「やっぱり……残ってよかった……」
あっという間に地平線の彼方に消え去った荷車を見送りながら、マザランは安堵の溜息を吐き出した。